見出し画像

師匠と姉弟子 / ②


不思議な面接をしたあと、一度自分から断ったにもかかわらず、

再びお願いをしてようやく師匠が決まった。


最初の3ヶ月ぐらいは確か試用期間で、その後正式にアシスタントになれるかを判断されるという事だった。そしてその電話の次の日から、私の目の前に広がる世界が、本当にがらりと変わった。


次の日から行くことになった現場。

内容は何も聞かされず、とりあえず集合場所に行き、

師匠と、師匠のその頃の現アシスタント(私の姉弟子)と合流し、

どこだったかもわからないけど、気持ちの良い光の入る、眺めのいい、ハウススタジオに到着した。

そこで現れた2人のモデルさん


びっくりした

ずっと雑誌で見てたモデルさんが目の前に現れ、

師匠と親しげに話している。


そして私に与えられた役割は、ヘアメイク中にそのモデルさんにネイルを塗ること。

師匠が決めた色をそれぞれの方に塗っていった。

緊張し過ぎて多分すごい時間がかかっていたと思う。

でも塗りながら、今この空間で目の前にはあの有名なモデルさんたちがいて、しかも私はそのモデルさんの手を取りネイルを塗っている!!


昨日までの自分の日常と

今、目の前に広がっている世界


たった1日違うだけで全く違う世界に行けること

東京ってそういう場所なんだなと。


その日から、毎日毎日そんな光景の連続で、

とにかく、テレビや雑誌で見ていたような世界の連続。


ただ、そんな事に浮かれる余裕もないくらい、

毎日が、緊張の連続でした。


姉弟子からは、全てのことをメモをとるようにと言われ、

言われたものをすぐに手渡せられるように、

師匠の道具を全てどこに何があるかを覚えること。


師匠のメイク道具のセッティングの仕方。

テーブルの上に、何をどのように置くか。


そして何をどこにどういう配置で片付け、

キャリーの中にどう配置するかを覚えること。


師匠のヘアメイク道具は、常に10日間用ぐらいのキャリーケース2台体制(途中で知っていくのだけど、ヘアメイクさんの中では多い方らしい。)そして、特殊系のヘアメイクをするときにはさらにもう1台ウィッグや特殊材料が入っているものが追加され全部で3台体制の時もあった。

姉弟子の動きは俊敏で、師匠が車で現場についた途端に、ギャリーを預かり、スタジオ内に。(スタジオマンが居てくれるところではスタジオマンに運んでもらったりもするけど、メイクボックスは壊れ物なので大事に運んでくださいとか指示も出したり)

メイクルームのどこにキャリーを広げたら邪魔にならないかを瞬時に判断して、キャリーを開き、テーブルにメイクのセッティングをしていく。

その間、 スタジオマンの方に、メイクルームにアイランプをいれてもらえるかを聞き、いれてもらえない場合は、師匠がいつも持ち歩いている簡易のアイランプをまたすぐさま、どの角度で、どこにつけられるかを判断して、取り付ける。

姉弟子のその動きは本当に無駄がなく研ぎ澄まされていて、師匠の技術とかメイクとか云々よりも、まずはその姉弟子を目指さないといけないと身を以て知らされた。


これも東京生活の奇跡の一つで、偶然にも姉弟子と私の住んでいた場所が同じ駅というミラクルもあって、現場の帰りには今日のダメ出しや、姉弟子の言葉をたくさんもらうことができた。

遅い弟子入りだった私は、かろうじて姉弟子の一つ年下で、(これで姉弟子が年下だったら気まずかったな。。きっと)姉弟子が、2年ぐらい師匠についていて、卒業が決まったので、新しいアシスタントを探し始めているところだということで、あと3ヶ月後には姉弟子もいなくなり、私1人で全部をこなさないといけないのかと思うと、ゾッとした。。

姉弟子は現場ではそんなに言葉数も多くないし、必要な事以外はあまり話さず、(そんな話している隙は1秒もないからだけど)とにかく師匠の動きをよく見て、自分のできることを探している感じがした。

師匠の方針なのかもしれないけど、どちらかというと言葉で説明するより、背中を見て感じ、考え、覚えろというスタンスだったのだと思う。

師匠は正直怖かった。姉弟子も怒られるし、私も怒られる。


現場終わりでみんなでご飯に行ったりして、ダメ出しの時間になると、

私のできなさの責任は姉弟子の責任となり、私をアシスタントできるレベルまで育てられなかったら、卒業もさせてもらえないと言われていたりもしていた。

でも姉弟子は、師匠は怖いけど、本当にすごい人だし、優しいんだよ!ということを何度も私に話してくれた。どんなに怒られてもそう言える、そう思える関係性が2年という間にできているのだろうと思って、じんとしていた。


東京の奇跡というか、師匠も、姉弟子も東京生まれ東京育ちで、生粋の東京人。バイト先の美容室の方は横浜あたりだったけど、居酒屋のマスターも奥さんも生粋の東京人だった。

なんか、これが江戸っ子精神なのかな。。と少しずつ感じていた。


続きはまた







みんなで幸せになるためにどうしたらいいのか考えています。支援してくださると嬉しいです。