東京で、再出発。そして師匠との出会い / ①
自分の今までをもう少し整理しておこうと思い書いています。
私は4年間、地元では割と大きめの、8店舗ほどある美容室に就職しました。そこはサロン経営と、エステ、ドレスショップ、県内外のホテルや結婚式場のヘアメイク部門と割と幅広く事業を行なっていた会社でした。
当時私はヘアメイク部門の方に入っていて、会社では結婚式のありとあらゆる部分を見せてもらったし、基本的なヘアメイクの技術も、着付けも学ばせてもらったし、会社という構造や、会社と取引先という構造も見せてもらいました。
20〜24歳というのは社会に出て初めて知る事が多くて、全てが学びだし、特に美容師の世界なんて、キツくて当たり前と思っていたので、どんなに怒られても泣いても、辛いというよりは、悔しいという思いの方が強かった気がします。
実際は高校の時から美容室でバイトしてたので、合計9年ぐらいは美容師、美容室と関わっていたからか
就職してギャップを感じたとかではなく、(美容専門卒からサロンに入った子がよく陥る理想と現実のギャップで嫌になる子もいるけど)その悔しさは多分、アルバイトよりは責任が多く、それに答えられない自分に悔しかったのだと思う。
そんな社会人生活をしていて、以前にも書いたように、
その美容室で働き始めてから3年目ぐらいから、自分の技術の限界を感じ始め、そのサロンで、この先何を学べば良いかもわからなくなり、その代わり、ヘアメイク部門のチームリーダー的な事や、新しく出来る結婚式場の店舗の店長の話が来たりして、評価してもられるのは嬉しかったのですが、こんな実力しかないのに、人の上に立たなければいけない状況と、責任に答えられないと思い、会社を辞めようと思い始めました。
もちろんやめる目的は、もっと本当のヘアメイクを、この目で、なまで見てみたい。雑誌やコレクションのヘアメイクがどんなものか見てみたいし、実際に見ないと、何の説得力も無い!と思ったからでした。
辞めると心に決めてから、何をどう始めれば良いかもわからず、とりあえず直接連絡をとるしかないと、単純バカな思考で、自分の好きだったハイブランド雑誌をやっている、何人かの有名なヘアメイクさんの情報を調べたり、事務所の連絡先を調べたりして、ようやくそういう事務所にアシスタント募集が出ていることを知り、また、雑誌のコマーシャルフォトにも、少しだけヘアメイクアシスタント募集の記事が出ることも知り、自分の好きなヘアメイクさんが出てこないかと毎月そればっかり見たりしていました。
それと並行して、どこからの情報かはわからないけど、ヘアメイクのアシスタントなんて、ろくにお給料ももらえないということも聞いていたので、とりあえず、アシスタントにつくことができても、お金がなかったらやっていけないとも思って、ひとまず100万円を目標にバイトもして、それがたまったら東京に行こうと決めました。
半年ぐらい経って、少しずつお金もたまってきた時に、ついに好きなヘアメイクさんんの求人が出たのを見つけ、すぐに履歴書を送りました。
1週間後ぐらいにそのマネージャーさんから電話がかかってきたのですが、今思ったら当たり前ですけど、「来月からこれますか?」と言われ、もちろんその時の私は石川県在住。。流石に来月は無理でした。。
その後も何箇所かの事務所に履歴書を送ったり、電話したりしていましたが、やはり現在、東京在住では無いと言うと、どこもNGで、本当は働く場所が決まってから東京に引っ越したいと思っていましたが、とにかく東京に住まないと何も始まらないとわかって、それから3ヶ月ぐらいで引っ越しました。目標の100万円には全然届いてなかったけど、とにかく早く現場で学びたいという思いしかなかったのだと思います。
会社を辞めるとき、東京への引っ越しも、もう色々難関はあったのですが、そこは省略させていただいて、
そしていよいよ師匠と出会うのです。
東京に引っ越してから、まずは、アシスタントをしながらも出来るバイト探し。
もしもアシスタントが決まったら、いつ仕事になるかもわからないだろうし、スケジュールなんて前もって多分わからないだろうから、あんまり大きいところでシフト制は無理だし、急な変更にも対応してもらえそうな所。。
きっと極貧生活になるだろうから、まかないがあたる飲食店。美容からも離れてはダメだなと思って、美容室。その組み合わせなら昼も夜も働けば、なんとか生活費は稼げるかな??と思って、とりあえず、駅から家までの間を歩き回って、駅前の個人店そうな美容室に訳を話して、雇ってもらいました。
田舎者の私はもう24にもなっているのに、なんとなく東京の人は冷たいとか怖いとかいうイメージがあったけど、本当にそのイメージが全く覆るほど、東京産まれの良い人たちにめぐり合うことばっかりでした。
実際、アルバイトさせてもらった美容室もオーナーとスタッフ2人でもう何十年もその場所でお店をしてて、夜の居酒屋でもアルバイトしたいと相談したら、すぐに、近所の居酒屋も紹介してくれました。
引っ越してはじめの1ヶ月ぐらいはその二ヶ所ででアルバイトをしながら、アシスタント募集を探して、自分の一番つきたかった人以外でも、とにかく早く現場に行きたかったので、ハイファッションだけでなく、トレンドの赤文字系のメイクさんにも幅を広げて情報収集していました。
そして何人かのヘアメイクさんの面接を受けました。
理想だったハイファッションの超有名ヘアメイクさんの時はマネージャーさんとご本人と3人でお会いしました。目の前に憧れだったヘアメイクさんが居ることにすごくドキドキして舞い上がり、テンションはマックスだったのですが、条件が、アシスタントがサードまで居て、まずアシスタントに付いても現場はファーストアシかセカンドで、サードはあんまり現場には行けないとのことでした。そしてどれぐらい続くかにもよるけど、ファースト、セカンドが卒業していかないと私が現場に行けるのは果てしなく遠いと思い、(東京のアシスタント事情を知っていたら当たり前かもしれないし、私がハタチだったらそれでも全然良かったけれど、)とにかく急いでいたので、残念だけどそこはお断りしました。
同じようなタイミングで他の面接も受けていて、そのかたはお金の条件が厳しく、月に3万円でも良ければ。ということでした。そして、今までは直アシ2人体制だったけど、1人体制で行こうかと思ってるということでした。それはつまり現場に行く回数は増えるけど、アルバイトする時間が全く無くなるかもしれないということなのです。
考えさせてくださいと言って、家に帰り、お金の計算をしました。
今まで貯めた貯金、少しは今のバイトで補えても、半年持つか持たないか。。
不安しかない。。うーーーー
そしてお断りの電話をしました。。
次に面接してもらったヘアメイクさんは元々あまり知らなくって、でもその事務所には憧れのモデルさんが所属していたりしていたのだけど、面接を受けさせてもらった事務所の緊張感が怖すぎて、なんだか気が進まず、結果そこもお断りすることになりました。
どんどん日にちだけが過ぎ、東京に引っ越してきて約1ヶ月になろうとしていたので、もう一度冷静になって考えていた時に、ふと心に残っていたのが、2番目の面接のヘアメイクさんでした。
そのかたの面接があとで振り返った時に、一番特殊だったのです。
面接はファミレスで、そのヘアメイクさんのBOOKを見せて頂き、あとは最近の世間話みたいな、、最近気になってることとかある?とかニュースの話をして終了。
そんな事を聞かれるとは思ってなかったので、その場で思いついた事を話たんだと思うけど、緊張し過ぎて全く覚えていない。
でも後で振り返って、あの人はなんだろう??
ってとにかく引っかかっていたのでした。
本当に本当に失礼な話だけど、私は再び電話をして、やっぱりアシスタントに付かせてください。とお願いしました。
そして師匠となったその人にアシスタントとして付いている間じゅう、
「お前は俺のこと一回断ったんだからな!!!」
と何かあるたびに言われ、
バツが悪いまんまアシスタントをすることになりました。
2008年の春。
そこから約3年間、地元にいた時とは考えられない、怒涛の東京アシスタント生活が始まりました。