多和田葉子『太陽諸島』、地球にちりばめられてシリーズ完結!(毎日読書メモ(447)
多和田葉子の新刊『太陽諸島』(講談社)は2021年から2022年にかけて「群像」に連載されていた、言語をめぐる冒険を描く3部作の完結編。
『地球にちりばめられて』の感想がこちら。
『星に仄めかされて』の感想がこちら。
3部作すべて、彗星菓子手製所という和菓子屋さんのお菓子をモチーフにした装丁で、砂糖菓子のマットな半透明感が美しく印象的。
『地球にちりばめられて』を読んだのが2018年12月、『星に仄めかされて』が2020年7月で、2年ずつ間を開けての読書だが、この小説に出てくる登場人物たちはそれぞれに愛しく、普段だったら前作と2年も空くと、登場人物の名前とかキャラとかまるっと忘れてしまうのだが、このシリーズについては、文中のヒントに助けられる部分はあるにしても、それぞれの名前や、立ち位置や性格付けがくっきり記憶に残っており、読者は彼らと対話しながら進んでいるような気持ちになる。
進む、つまり、6人(Hiruko、Susanoo、クヌート、ナヌーク、アカッシュ、ノラ)は、それまで足踏みするように、記憶を足元に封じ込め、アルル(フランス)、トリアー(ドイツ)、コペンハーゲン(デンマーク)を経めぐってきたのだが、Hirukoの失われた(のかもよくわからない)祖国へ向かおうと、船で旅立つ。飛行機、という手段はないらしい。そして、6人の航海記ではなく、客船を兼ねた郵便船で、ゆっくりとバルト海を進むのだが、何故その航海を選ぶことになったのか、Hirukoの記憶は混濁していて、他の搭乗人物も語らない。バルト海を東へ。東? 確かにHirukoの祖国であった場所はずっと東にあるのだが、船でバルト海を東に向かっても、彼女の国にはたどり着けないではないか。
しかし、このディストピア的世界では、スエズ運河は閉鎖されていて、地中海からインド洋に出ることも出来ない。また、ヨーロッパの船舶がアフリカ沿岸を公開して喜望峰を回ってアジア方面に向かうことも治安的に厳しいのだという。だから、バルト海を東へ?
わたし自身が旅行したことのない地域なので、コペンハーゲンからリューゲン島(ドイツ)、シュチェチン、グダニスク(ポーランド)、カリーニングラード(ロシアの飛び地)、リガ(ラトビア)、タリン(エストニア)、サンクトペテルブルグ(ロシア)、という寄港地が、淡々とした描写ながら、自分の想像を絶する異国情緒を醸し出している。そして、船上で交わさされる会話、船の食堂で、彼ら6人が座る「地球」テーブル以外の水星、金星、火星テーブルの人々との対話。本文は勿論日本語なんだけど、同じテーブルでも対話する相手によって英語になったりパンスカになったりドイツ語になったり、他のテーブルの人とスペイン語やロシア語で会話したり。意図的に日本語で喋ったり、漢字を書いたり。パンスカを使っているとそれは何故エスペラント語ではいけないのか、と絡まれたり。船の上そして寄港地でコスモポリタンなふるまいをする人々。
過程が大事。それを実践するための東への旅。回答を持っている人は誰もいないのに、とりあえず東に向かわないと見えてこないものがある、ということを徐々に体感するための旅。失われた国で新潟に住んでいたHirukoと、福井に住んでいたSusanooの方言による合戦。テーブルの外から日本創成神話の世界が流れ込んできたりもする。
HirukoとSusanooの故郷はどこへ行ってしまったのだろうという仮定。行ってしまった先はエネルギー循環サイクルの確立したユートピアなのか?
小説連載中にロシアとウクライナの戦争が始まったこともあり(それは小説が書き始められた時点では現実ではなかったが、小説の前提にはもともと影を落としていた状況)、一行の前に立ちはだかる壁はとても高い。
物語は八方塞がりではない。ディストピア的世界の中でも、それぞれが自分の目指すものを持って物語は終わる。6人はこのままポホヨラ(伝説の土地)を目指すのか。3部作ではなく、更に物語には先があるのかもしれない、という期待を持って読み終える。
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