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角田光代『銀の夜』を読んで、『対岸の彼女』を思い出した(毎日読書メモ(515))

読んでから少し時間がたってしまったのだが、角田光代『銀の夜』(光文社、そして感想を書けないでいる間に光文社文庫になった!)を読んだ。光文社、というところでピンと来る人もいるかもしれないが、女性誌「VERY」に連載されていた小説だったそうだ。連載していたのが2005年から2007年、そして単行本が刊行されたのが2020年、文庫になったのが2023年。
単行本には珍しく、作者のあとがきが付いている。2007年に連載を終了している小説が何故13年近くも刊行されなかったのか、という事情。連載が終わって、このままでは単行本には出来ない、と、校正刷りだけ編集者から貰ったのに、他の仕事が忙しく手を付けられずにいるうちに、その小説のことがすっぽり頭から抜け落ちていた、ということらしい。仕事場の片付けをしていて出てきたまっさらの校正刷りを見ても、自分が書いたものであることすら忘れていたという小説。なまじ十年以上手を付けずにいた小説は、今となっては直せない、と作者は思い、連載時の姿のままで刊行することになったらしい。三十代の終わりに、自分より少しだけ年下の主人公たちを動かし、物語を作って、それから十数年たった自分にはもう、その主人公たちの言動を変えることができないと。勿論作家は自分と同じ立場同じ年頃の登場人物だけを造形するわけではないけれど、当時の自分が造形したものは、今の自分が動かすものではない、と思ったらしい。

その『銀の夜』(雑誌連載時のタイトルは「銀の夜の船」)は、一貫私立女子校の中学部で出合った麻友美とちづると伊都子の35歳の今を描く。
遊びで組んだガールズバンドで芸能界デビューしてしまい、校則の厳しい高校を退学処分になり、別々の高校に在学しながら音楽活動を続けるが鳴かず飛ばずになって解散。ファンだった男性と結婚して何不自由ない暮らしをしながら娘を育て、娘を芸能界に入れようとしている麻友美、自宅でイラストの仕事をしているが、夫の浮気に気づき、どのように対処するか考えあぐねているちづる、カリスマ文化人の母に振り回されるような人生で定職につかず、ふらふらと海外をさまよったりして、手慰みで始めたような写真を写真集にしないか、と言われたのをきっかけに、フリーの編集者と恋愛関係に落ちる伊都子。3人それぞれの「こんな筈じゃなかった」感がひりひりと読者に伝わってくる。もがき、正解のない道をそれぞれに探す3人。人生のピークは十代のあの頃だった、という麻友美の発言にあとの2人は反発するが、それでも、3人はそれぞれにその頃の記憶にとらわれている。

呪縛を解くきっかけと、それぞれの出口、というのが小説の本筋だが、読んでいて、若い時の記憶(それは栄光だったのか?)が、それぞれの、その後の人生を縛り付けている様子が、作者の出世作、直木賞を受賞した『対岸の彼女』に近くないか、という印象を持ち、直木賞受賞当時に読んで以来十数年ぶりに『対岸の彼女』(文春文庫)も読んでみた。雑誌連載が2003年から2004年、2004年11月に単行本が刊行され、2004年下半期の直木賞を受賞している。単行本の刊行タイミングは全然違うが、執筆時期は、実は2年くらいしか離れていない。『対岸の彼女』の主人公の小夜子(専業主婦で、一人娘の公園デビューがうまくいかなかったのがきっかけで、生き方を問い直したくなって就職することにする)と葵(小夜子を雇用する女社長。小夜子と同い年で出身大学も一緒だった)も35歳。そして、葵の「過去」のエピソードが、小夜子と葵の現在との間に挟まれる。その過去は「栄光」ではない、当時の葵にとってやむにやまれぬ行動だったが、彼女の周囲に大きな波紋を呼び、結果的に彼女の人生を大きく転換させることになる。それもまた『銀の夜』の3人にとってとは違う形であれ、彼女を呪縛してきたものであったことに違いない。
葵の会社の新規事業を担当するために雇われた小夜子だったが、元々いる社員がその事業に不満を持ち、それがきっかけで会社の経営が揺らぐ。小夜子も職場を去るが、葵の過去の出来事について、当時、新聞沙汰になったときにすごく気になっていて、それが自分の雇用主であることを知って、当時の葵の気持ちを知りたかった、という気持ちが自分の原動力になっていたことに気づく。

何十年も生きていれば、それぞれ、その長さだけの過去があり、記憶がある。それが鮮烈であればあるだけ、それにとらわれがちになるだろうが(栄光であれ、忘れたい過去であれ)、それまで積み上げてきた過去のすべてが自分の原動力になりうる、ということをこの2つの小説は描いているように感じた。「とらわれ」をポジティブな形で自分の人生に反映させていければ
それが幸福の糸口になりうる、ということも(そんなにきれいごとではいかないけれど)。

『銀の夜』のあとがきで、作者は、50台になった主人公たちは、どう暮らしているだろう、と思いを馳せる。SNSとうまく付き合えているか、更年期に苦しんでいないか、そこには、また角田光代が向き合ってみたいと思う人生があるのかもしれない。

2つの小説のどの登場人物も、わたしと全然違うけれど、どこかで通じている部分もあるような気がした。悩みとか、歓びとか、そういう気持ちを、忘れないようにして、自分の原動力にして、生きていく。


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