病原体のキャリア:金森修『病魔という悪の物語 チフスのメアリー』(ちくまプリマー新書)
新型コロナウィルスの感染が拡大し始めた頃、自覚症状がないのに、ウィルスを持っていて、それを人にうつしてしまう人が相当数いるために、感染が爆発的になった、ということが徐々にわかってきて、マスク着用とかアクリル板の楯などによる飛沫感染の防止が喫緊の課題となっていったのだが、こうした不顕性感染(細菌やウイルスなどの病原体がからだの中に侵入して増えるが、病気の症状を示すことなく、知らない間に免疫ができてしまうような感染のしかた)の前例として、自分自身は何の症状も現われないまま、腸チフスを周囲の人にうつしていた人がいた、という話を新聞で読み、それについて書かれた本を読んでみた。
金森修『病魔という悪の物語 チフスのメアリー』(ちくまプリマー新書)は、科学史家が、公衆衛生とは何かについて若い読者を想定して書いた本だが、読み進めると、現在のコロナウィルスの感染拡大のことを色々考えさせられた。2006年の本なので、SARSがちょうど感染拡大していた時期で、裏表紙の紹介には、チフスのメアリーのエピソードは「エイズ、鳥インフルエンザなど、伝染病の恐怖におびえる現代人にも多くの問いを投げかけている」とある。
メアリー・マローンは、1869年にアイルランドで生まれ、家族でアメリカ合衆国に移住、アメリカで、裕福な家庭の賄い婦として働いていた。
1906年に、家庭内で6人の腸チフス患者を出した家を調べた衛生工学の専門家は、水道とか食料の流通経路などを調べたが、これといった原因は見つからず、人の出入りを調べたところ、退職した賄い婦(料理がうまかったため、家族の印象はとてもよかった)の経歴が気になり、調査。その結果、彼女が仕事をしていたことが分かった8家族のうち7家族で腸チフス患者が出ていることが判明。本人はぴんぴんしている。
衛生工学者が調査依頼に行くが、犯人捜しのような前提で糞尿のサンプルを要求されたメアリーは抵抗、結果的に衛生局から彼女を確保するために人が派遣され、病院に入れられ、検便の結果、腸チフス菌が検出される。彼女が健康保菌者であることが立証された。
メアリ―は1907年から1910年にかけて、ニューヨークのイースト・リヴァーに浮かぶ島の隔離病棟に入れられ、定期的に検便されるが、時折、腸チフス菌が検出されないこともあったらしい(菌の活発度の問題なのか)。薬剤の投与は効果を見せず、医師に胆嚢の摘出を勧められたのは拒否し、結局、状況が改善されることないまま、裁判にも敗訴(自分は健康だと主張している人間を3年にもわたって拘束していることを是とされた)。
その半年後、衛生局は結局彼女を解放する決定をし、調理の仕事にはつかない、という念書を書かせ、洗濯婦の仕事を斡旋し、島から出した。彼女一人を拘束していても、当時のニューヨークでは年間数千人の腸チフスが発生しており、彼女「だけ」を拘束していることに意味はない、という判断も働いたようだ。
しかし、その5年後、彼女は再び逮捕される。ニューヨークの病院で腸チフスの集団感染が起き、そこで、メアリーが偽名を使って賄い婦として働いていたことが判明したのである。彼女は再び隔離病棟に送られ、1938年に亡くなるまで、病院のある島で、病院の仕事の手伝いなどをしながら暮らすこととなった。
彼女の事例が有名だったため、まるで彼女一人が腸チフスの不顕性感染を起こした悪魔のような女性であるかのように思われてしまうが、彼女のように症状を出さないまま胆嚢に腸チフスの感染巣を持ち続け、排便時に菌を出し、手洗いの不足などの要因により他人に菌をうつしてしまうケースは他にも沢山あったらしい。こうした「キャリア」は全患者の3%くらいはいたと思われ、あまりに膨大であるため、すべての人を捕まえて隔離することは不可能であることが当時既に医学者たちにはわかっていた。実際に、メアリーより多くの人に腸チフスを感染させた人の事例がこの本の中でも紹介されているが、彼らは、食品関連の職につかないように勧告されたりはしているが、拘束されたり隔離されたりはしていない。公衆衛生と人権のせめぎ合いの中で、悪名が轟いてしまった結果として拘束され続けることとなったメアリーは不幸であった。彼女が女性であったこと、移民であったこと、身寄りがない暮らし向きであったことなどが、拘束の一因となっていたのではないかと作者は推察している。
1947年に刊行されたアメリカの公衆衛生行政に関する本の中で、腸チフスの感染拡大防止の方策として、キャリアの管理(年に一度の訪問調査、及び食品の取り扱いに関わる仕事には就かないよう指導する)、及び胆嚢切除の勧奨が挙げられている。これらはメアリー等の先行事例の結果とも言える。メアリーの時代に、それらの方策がシステマチックに機能していれば、メアリーが25年近くも隔離され続けることはなかったのかもしれない。
巻末の一章は、現在を予知したかのような書きぶりで、心から震撼する。
「人類は、細菌やウィルスとの闘いにほぼ決定的な勝利を収めた、と、そう楽観的に考える人もいた。だが、その後、それは幻影に近いということが否応なく認識されていく」(p.128)
変異ウィルスの薬剤耐性、人類のそれまでにない大量移動と交流、それまで人間が到達していなかった場所の開発が進むことに寄る新しい病原菌との接触の可能性の拡大。
エボラ出血熱、エイズなどの事例について簡単に紹介されている(これはチフスのメアリーについての本なので、それらはまた、別の話だ)。
そして、この一節は、本当に本当に肝を冷やさせるような、2006年からの2020年への警鐘だった。
「腸チフスがもたらす社会的災禍は、いまでは昔とは比べものにならないくらいに小さいものにすぎない。だが、恐ろしい伝染病が、いつ社会に蔓延するかは誰にもわからず、もしそうなれば、電車で隣に座る人が、恐ろしい感染の源泉に見えてこないとも限らない」(p.137)
新型コロナウィルスが収束したとしても、それでめでたしめでたしではない。今後、どんな病気が発生したとしても、たゆみなく、感染拡大を防止する方策を考え、ワクチンを開発し、一人一人が感染を防止するための対策を講じなくてはならないのだということを改めて考えた。
トップ画像は、メアリー・マローンのWikipediaに出ていた、1909年ニューヨーク・アメリカン紙の記事より。
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