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毎日読書メモ(130)糠漬け文学の系譜!:『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(リリー・フランキー)
本屋大賞取った時点で既にベストセラーだった『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』、わたしは受賞時点から、この作品にあげなくても、という気持ちが強かったのだが、読んでみて、同世代の人間には響きにくいのでは、という気持ちが強まった。2006年の本屋大賞、2位の『サウスバウンド』(奥田英朗)めっちゃ面白かったし、伊坂幸太郎は3位の『死神の精度』と11位の『魔王』のポイント足せば、リリー・フランキーより高かったじゃん。伊坂幸太郎は2007年に『終末のフール』が4位、2008年は『ゴールデン・スランバー』で大賞。わたし的には伊坂幸太郎こそが本屋大賞的な作家、という気持ちが強くて、リリー・フランキーに厳しくてごめん。
子どもが「おでんくん」のアニメ見ていて、あ、これもリリー・フランキーですかい、と驚いたのもこの時期でした。
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リリー・フランキー『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(扶桑社、現在は新潮文庫)を、読み上げる。うーん、予想以上に淡々とした話であった。わたしがこの作者について殆ど何も知らず、先入観がないせいか、作者が同世代のせいか、逆に感慨が薄い。作者で作品を評価すべきでないというのはわかっているが、だとしたら、作品単体として、わたしは予想以上にこの物語に動かされなかった、ということになる。mixiに7000件以上もあがっているレビューの直近分をちょっと見てみたが、すんごく評価高いのに、逆に違和感。主人公オカンは実に筋の通った人で、とても格好いい! きょうだいの仲もよく、子どもにも大切に思われ、ほんの数年一緒に暮らしたきりで、後はずっと籍は抜かないまま別居していたオトンとの関係も、決して冷え切っただけのものではない。目に見える生涯をなぞると、幸福そうな感じはしないのだが、いつも生活に追われている感じなのだが、美味しいものをきちんと食べていれば、それが生活の基本になる、という考え方を、死ぬまで貫き通してるのが格好いい。このところ糠漬け文学づいているが(宮本輝『にぎやかな天地』→梨木香歩『沼地のある森を抜けて』→リリー・フランキー『東京タワー』は糠漬け文学の系譜の上につらなっている、とか言ったら笑えるよね)、このオカンが、季節や、中に入れる野菜の種類により、中に入れておく時間を微調整し、時には、今入れると時間的に一番おいしくあがる、という時刻を逆算し、真夜中に目覚ましかけて、一旦起きて野菜入れて糠床をかきまわしたり、という記述を読んで、そういうところで圧倒されていた。
物語全体としては、突然現在の目で語りが入って、そういうところにけれんがあるのがどうにも気になる...そして、事実に基づいているせいか、これといったヤマがなく(あまりに淡々)、しかも、オカンにせよボクにせよ、苦境を乗り越える部分が、そこは小説の主眼じゃないとばかりに軽く流され、努力による現状打破、みたいなことがよくわからない。そういうところがちょっと弱く感じられたのだが...。最後の臨終前のシーンとか、葬式のシーンとか、忘れまいとばかりに詳細に描かれ、そういうところにはリアリティがあったが、残りページ数を睨みつつ、そろそろ泣けてくるか、そろそろ泣けてくるか、と自分をあおっても、なんか、そんなに泣けるところもなく、気づいたら物語は終わっていた...。うーん、これって、わたしが母親に対する息子という立場にないから? 母親として子どもに愛情を注ぐことは、自分なりに当然のことなので、それをこうしてたたみかけるように有難がられても、それほどのことじゃない、と思ってしまうのか? アフォリズムのように、子の親に対する愛、子が感じる親からの愛、について語られているのはそれなりに説得力あったが...。すみません、わたしは手放しで賞賛は出来なかったです。(2006年3月の日記より)