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励まし系講演会に潜む「隠れ感動ポルノ」に騙されるな

著名人や成功者が自身の成功体験を語って悩める人を励ますというスタイルの講演会がある。
失敗や挫折から成功を収めるまでを語って感動と勇気を与えるというコンセプトなのだろう。

特に共感性の高い人などは、どん底から立て直して成功したというリベンジ性に強いカタルシスを覚えて感動するのではないだろうか。

まして聞き手が悩める当事者であれば、元々共感性があまり高くない人でも感情を揺さぶれらるのではないか。

例えば、不登校や学校中退を考えている人向けとされている講演会にこのようなものがあった。
それは、以前不登校と中退・転校を数度繰り返し、今は立派に文筆活動をしているアーティスト(私は作家だと思うが、講演会が用意した肩書はアーティストだった)が、自身の成功体験を例にとって
「無理して頑張らなくて良いんだよ。学校いかなくても大丈夫だよ」
という趣旨のメッセージを送るという内容だった。

これは悩める学生や父母を大変勇気づけたかもしれない。
だがちょっと待って欲しい。

この様な講演は本当に悩める本人と家族のためになるだろうか?

この講演を行った人物は不登校と中退を繰り返して、最終的にピッタリの学校に出会えたらしいが、私立学校を数度転校しており、そのために費やした学費はかなりの額になるだろう。

しかも最終的に行き着いた職業が小説家という、キャリアマネジメントとしておよそあまり参考にならない例である。

この人の成功体験を実際に模倣するにはかなりの資金と個人の才能が必要になるだろう。

このように、成功体験の再現はとても難しいのである。
その様なものを見せて
「私みたいなのもいるから大丈夫」
と悩める人を安易に安心させてしまっても良いのだろうか?
少なくとも私はそれは無責任なのではないかと思う。

真に悩める人の事を思うなら、むしろ失敗体験を聞かせてあげたほうが良い。
例えば、不登校や退学をしたことによって学力が不足し、将来的になりたい職業に就けなかったというような話。
或いは、逆に無理に学校に通い続けたことによって精神を病んでしまい、今でも不安定な人生を過ごしているというような話もあるだろう。
そういった話を聞けば、少なくとも悩める本人はその失敗を回避する術を知ることが出来る。
失敗の回避は成功の再現より簡単なのである。

そういう判断材料を与えられて、やっと悩める学生とその家族はまともな判断が出来るだ。

しかし、実際の講演会はそういう失敗談よりも、最終的に成功体験に繋がる話ばかりが溢れている。

それはこのような講演会が、実は「悩める人を助けるため」という目的で行われていないからだ。

上述の様に、実際に悩める人に役立てるのであれば、失敗談を聞かせるほうが余程役に立つ。
しかしこういう講演会では最終的には成功した人達の「狭き門」の話で溢れている。

これはこういう講演会を好む客層に原因がある。

実はこういった講演会は実際に悩める人達がメインの客層ではない。

少し考えれば分かることだが、本当に悩んでいる人とその家族のほとんどは講演会等には足を向けず、真っ先にカウンセリングに足を運ぶだろう。

それは不特定多数の人にメッセージを向ける講演会よりも、一対一で個々のケースに向き合ってくれるカウンセリングの方が圧倒的に問題の解決に近づくからだ。

そう、講演会というのはあくまで不特定多数の人に聞かせるものであって、本質的に個々の問題解決には向いていない。
すでに型ができたがったものを一斉に他者に聞かせるものなのだ。

では、こういった講演会は一体どういう客層をターゲットとしているのか。

それはどん底から立ち上がるという感動ストーリーを消費するのが好きな人たちである。
「何らかのハンディキャップを背負った人が成功するまでの体験を聞いて感動する」
そういう快感を伴う追体験を求めている人達が一定数いるのだ。

これは障害者の方を何かに挑戦させて、その様子を見て感動するという、あの典型的な感動ポルノコンテンツと同じ構造だ。

しかし、恐らく講演会を開いている側も講演会の客もこのことには気がついていない(もしくは気がついていない風を装っている)。

「これは文化活動である」
というごまかしを自他に施し、実際には感動ポルノという娯楽を消費しているに過ぎないことを認識することから逃げているのだ。

そして自分たちは素晴らしい活動をしている、素晴らしい講演を聞いているという虚飾で相互に自己正当化を行っている。

しかしこれでは、この虚飾のダシにされている悩める人やハンディキャップを現在進行系で抱えている人にとってはいい面の皮である。
彼らは感動を消費するための材料にされてしまっているのだから。

それに、実際に彼らの中から講演を真に受けて成功体験を模倣しようとする人が出てきてしまったらどう責任を取れるというのだろう。
悩める人の全てがこの様な狭き門を無事に通れるとはとてもではないが思えない。

誰も被害を受けないのであれば別にこういう虚飾があっても構わないと思うが、実際に被害を受ける可能性がある人がいるのでは看過できない。
まして、そうなるように誘導する講演を行っているのだから始末が悪い。

皆さん、この様な励まし系講演会に騙されてはいけませんよ。

実際に悩める人もその家族も、そしてこれを娯楽だと気が付かずに感動を消費してしまっている人も、励まし系講演会に参加するなら、これが本質的にどういうものなのかきちんと認識してからにしてほしい。

励まし系講演会が「そういう娯楽」だと割り切った上でお互い楽しむのであれば問題ないと思うが、人助けや文化活動だと思ってやっているのであればかなり悪質なものであると言わざるを得ない。


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