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死ぬことのない光
何度も見たはずなのに、僕は彼のことをたいして知らない。
知ってることといえば、その映画のなかで主人公の少年があこがれてならないインド重鎮俳優だということだけだ。兄のいたずらでトイレの中に閉じこめられた少年は、その俳優に会いにいくため腹をくくり、肥溜めに飛びこんでいた。プライベートジェット機で登場したそのヒーローを多くの人が出迎える中、少年は全身をドロドロに汚しながら、うれしさのあまり叫ぶ。
「アミダーブバッチャン!」
おぉこれは、なんというおもしろ可笑しい響き。鼓膜をとおる瞬間、手の届かないかゆいところをまさに刺激してくれているような気がする。
そこからというもの脳内で「アミダーブバッチャン」が鳴りやまなくなり、僕のなかで大流行した。自分でいうのもなんだが、こうなった場合の僕のしつこさを超えるものはそうそういない。
少年にとっての彼のように、大きくて威厳のあるものならなんでも「アミダーブバッチャン」と言いはなち、また、扉を開けて入ってくる友人を「アミダーブバッチャン!」と呼びつけにした。
ただそれだけのことだったのだが、なぜか忘れることが出来ないでいる。
一方で、その映画には、見るにたえない惨憺たるシーンも描かれている。
マフィアに誘拐されたこどもが、熱したスプーンで目を焼かれる。なぜそんなことをする必要があるのか調べると、健常なこどもより多くの同情が、確実に集まるかららしい。
僕はそのシーンを何度も何度もくりかえし再生した。それが今、いちばん大切なことであるかのようにすぐに巻き戻し、目に焼き付けた。
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電話を受けてから、急いで東京を出た。
そう思うこと自体、より悪い方向に進みそうな気が漠然とある。でも、それよりも思ったことの真逆になる自分の「運の悪さ」を信じることにした。なにごとも信じていないはずの自分のそのことだけを、ほとんど信仰であるかのように信じることにした。
「きとく」
あいかわらず難しいことがひらがなに聞こえる。新幹線の4時間、言葉が反芻するたび、心を冷たくあろうと努めた。ドクダミの香りがするばっちゃんの手を思い出してしまわないよう、年末に作ってくれる茶碗蒸しの味を思い出してしまわないよう、冷たさに徹した。
新幹線をおりたあたりでもう一度電話に出ると、全てが終わった後で、やっと自らの言葉で自らを語れるようになったのに、それを伝えたいのに、その体に触れる前に、ばっちゃんは幻になって消えた。
自覚があるなかで視界がじんわりと変色していき、いくら瞬きしても戻らない。「そんなわけはない、そんなわけはない」何十、何百といい聞かせてもその考えとは反し、それを受け入れさせようと抵抗してくる自分が怖い。
どうしようもなく、つらく、くるしく、かなしい。
今日までそこにいた人がこの世からいなくなるということ。それはどう足掻いても覆ることはない。天才学者や政治家にも解決できないようだ。世界を変えるほどのお金があれば、もしくは、そんなことを考えても不毛で、それらが痛いほど分かっているから、ひどくかなしい。期待することも、すがりつくこと出来なくて、みるみるうちに心に「絶対」が流れこんできて、そのあまりに暴力的な質量をせき止める事ができず、痛みにおそわれる。
「もう、いかなる場合においても会うことが出来ない」だから、かなしい。
数年前、じっちゃんが死んだとき、嫌というほどかなしんだので、僕は同じ轍はふまぬよう「危篤」と聞いてからすぐに、かなしみの準備に取りかかった。いざという時、かなしみが溢れ出さぬよう、事前に「これからかなしいが来る」と予測しておいたのだ。
そして予定通りかなしんだ。準備しておいた気持ちに向き合うだけだからそれはいとも簡単で、その分余白が生まれた。かなしみにくれる家族に気を使い、支え、なぐさめの言葉をかけた。かなしみから救ってあげるためにはなにを言うべきか事前に考えておいたので、礼服の内ポケットから取り出し、吐き出すだけの単純作業だった。
そこまでは順調だったのだが、ひとりになった途端おどろくべきことに、かなしみが倍増した。
分かったことは、かなしむ準備をしたところでなにも変わらず、結局はひどくかなしいということ。かなしみの準備の分、余計にかなしいということ。抵抗してもどうせ終わらないのなら、せめて早く終わるようにと心の中をかなしさで一杯にしてみると、もう2度と立ち直れそうにないほど、かなしかった。
見ないふりで痛みから距離をおいても、別の感情でいっぱいにしても、かなしくなくなるわけでもなく、今日現在の僕は1人じゃないのに、それなりに幸せだというのに、己の力で立ち上がることができるまでになったというのに、事あるごとに思い出してしまい、かなしく、痛い。
ばっちゃんは、もういない。
8年も前のことだ。
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曲がり角に差しかかったとき、それが不意に現れたにもかかわらず、うろたえることはなかった。何度も何度も巻きもどし、目に焼きつけたから、離れた位置からでもその存在が何を指し示しているのか、すぐに理解できた。
インドを歩くと、鳴っていないはずの民族楽器の音に包まれているような気になる。
それはじっと立ち、声変わりもしていない高い声で歌をうたっている。彼はこちらの存在に気づかない。それどころか自らなにかに近づくことはしない。手に受け皿を握りしめ、ただそこで植物のように黙って歌っている。
生きていくため、飢え死にさせるくらいなら我が子にご飯を食べさせようと、その子の目を焼いたり、手足を切断する親もいるらしい。
それが正解か不正解かなんてその判断は決して僕にはできない。少なくとも今の僕にとってはその次元を遥かに超えてしまっていて、飲み込むことができない。彼らは自分の一部を失ってまで「生きる」という選択を選んでいる。
生き延びるということのそれに耐えうる力が、人間であることを獲得しようとする力が、彼の幼い体のどこに宿っているのだろうか不思議でならなかった。
ふとこれまでの自分自身をふりかえってみると、考えてきたことが、選択してきたことが、人間であるための大前提からすべて間違いだったように思えてくる。
確かに見えているはずの僕のこの目には見えていないものがあり、見えていないはずの彼の目に映るものが、ある。見たくないのに見えてしまうものも、見えてほしいと願うものも、目にはみえないものも、ある。
いま見えているのものへの信頼を見失い、あれこれ考えてみせてその光景の納得をうながそうとする自分に気付く。胸を痛めることだけはしようとする自分があまりに情けなくて、やるせない気持ちを手のひらで覆いかくした。一度しかない1日を、彼と同じ手の形で握り締める自分の姿が、なにより小さく感じた。
再び歩き出してからもしばらくそのことに囚われ、ふと時計の針を確認すると、まだ朝のようだ。大気汚染や蜃気楼でにじむ空気の色は、希望も絶望も内包するような、そんなぐちゃぐちゃな色に見えた。
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小6の夏休み、ばっちゃんが緊急搬送された。
その日はあまりに楽しみで早起きしてしまい、もう一度バスタオルと水着、水泳キャップ、あとゴーグルも確認し、ひと足先に親父の車に乗りこんでいた。僕の心臓はこんなにも高鳴っているのに、同じ気持ちでない親父をうとましく思い、せかしたのを覚えている。
親父がその連絡を受けたのは、子供会のプールに向かっている最中だった。
親父は「もしもし」の直後から声色がかわり、青じろい顔で電話のむこう側に耳をかたむけていて、内容こそわからないがその不穏さだけは伝わってきた。切るなり後部座席にふりかえり「ばっちゃんが泡をふいて倒れたらしい」そう言った。当然引き返すことになりその足で病院に向かったのだが、本心は今すぐにでもプールに行きたいと考えていた。
「くも膜下出血」らしい。朝から何度も耳にする「泡を吹いた」「緊急搬送」「くも膜下出血」は、どれも僕にはむずかしく、全てひらがなに聞こえていた。手術を待つあいだ、変わらず拗ねていたのだが、一方で、それどころではないという思いもあり、わがままを言えるはずもなく、ただ黙って機嫌を損ねていた。
ばっちゃんは、僕の唯一の味方だ。ワガママを聞きいれてくれるのはいつだってばっちゃんで、気のままぶしつけに傷つけてしまったとしても、それでも愛し続けてくれる、たった1人の味方だった。ばっちゃんにふれられると何よりやさしい気持ちになり、永遠に一緒にいられるような気がしていた。そう思うことが、なににも変えがたい大切な存在の証拠であり、僕のなかの愛情の定義だった。
ばっちゃんは、一命は取りとめたものの、脳に障害をうけ「植物状態」となった。飛びかう言葉に「植物状態」というものが足され、その言葉の意味ももちろん知らなかった。でも、言わんとしていることが、動物ではなく植物なのだということは分かってしまい、それがなにを示しているのかも理解できてしまい、その比喩が、その音が、今後のばっちゃんの状態をありありと想像させた。
ICUから運ばれてきたばっちゃんらしき「それ」は、心拍と呼吸音だけになり、障害者特有のゆがんだ顔をしていた。なにも話してくれないようだ。病院のベッドに横たわった「それ」は、意識はあり、生きているという説明を受けた。
僕は病室の入り口の近く、いつでもこの場所から離れられるよう、距離を置くことにした。
「意思疎通が出来るようにはなることは、もうない」そう聞いた。みんなが息を飲みこむように聞いているとき、僕だけは胸をなでおろした。なら、もう、来なくていいと安堵した。
それなのに、そうだというのに、無理やりに引きづられ病院に通いつづけた。僕はいつも、病室の入り口にいた。
あれから何ヶ月も経つのに、みんなはベットにいる「それ」を見て泣いている。僕より何倍も大人で、医師の言葉が理解できないわけがないのに、目を開けないそれに、何を望んでいるというのだろう。何を期待しているのだろう。
1人ずつ代わりばんこに「それ」に寄り添い、手をつかみ、額におし当て、涙を流している。その一連の動作はなにか大切な儀式のようでいて、流れに逆らうことは出来ないという重圧を纏い、僕の番になった。
親父は僕の腕を掴み、強制的に「それ」に触らせそうする。
僕は抵抗した。触りたくない。
嫌だって。変わらないって。何も起きないって。声はもう届かないんでしょ?先生が言ってたじゃん。何を言っても聴こえないって。意思疎通なんか出来ないんだって。かける言葉なんかないって。握ったって意味ないって。
そう思った。
「いいから触れ!」親父に怒鳴られた。
なんでだよ。違うんだって。聞いてくれよ。それは、ばっちゃんじゃないって。良い加減にしてくれ。お前ら、それをばっちゃんと言うな。泣きながら話すな。それは、ばっちゃんじゃない。やめろ。返せ。僕の味方を、ばっちゃんを返せ。
その手が自由になれるよう暴れたが、親父の大きな手には敵うわけもなく、僕は手を握った。
返ってくる手の暖かさが「生きている」と言われてるようだった。納得出来ない気持ちと裏腹に、返ってくる温度が、それを「ばっちゃん」だと言っているようだった。かなしくて、いたかった。
その夜、ばっちゃんの意識が戻った。
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一般的に目にみえる確かなことがいいこととされているが、しかし必ずしもそればかりではないのだろうと考える。
これまで生きてきて、そのほとんどがなにも見えない時間だったように思う。頑張ってきた。いっときでも頑張らなかったら不安だから、それで必死にやってきた。だからこそ確かなことを積み上げてきたはずだというのに、いざ暗闇に立つと、掴んだそれらはなんの役に立たなかった。前だけを見つめ、真っ直ぐと生きるには、あまりに不確かな事ばかりだった。
そんなときは決まって、誰かの不在の悲しみが、その亡霊が、照らしてくれていたように思う。
それを必然のように語るのはあまりにやるせないが、でも同時に、そう自分を説得すると、そうなるのが決まってたかのような納得感に包まれる。この悲しみは僕だけのものと思えた途端、不思議に無敵にでもなった気でいられたのだ。
悲しまないようにとすることと、それでも悲しんでしまうことが磁力のように吸い付き合いそれが、そこに「ばっちゃん」がいると思わせてくれる。取りこむ空気の中に混じり合い、そのことが自らを動かすエネルギーになる。
それが何よりも心強い。
ときに心を蝕む見えないなにかは、よくわからない見えないなにかのまま、確かにそこに存在している。明確なものであればと願い、回答を探し求めるが、それでもまだ見えないなにかは見えない何かのまま、そこにある。
僕は、それがうれしかった。
*
僕は彼のことをよくしらない。
空港の中に堂々とした姿で映る彼。おもしろ可笑しい響きだけで忘れられなくなったそれは「死ぬことのない光」。
それがアミダーブの意味らしい。
外に出て空を見上げると、いつの間にか日が暮れていた。
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