5月を歩く
歩きながら、考え事をしている。
観光地。石畳の道。最近の車はどれも、エンジン音が無い。背後から忍び寄り、突然視界に現れる。心臓が「バクン」と1度鳴る。だが、この道はすぐ分かる。今まさに、後ろから、車が来ている。敷き詰められた石が揺れ「コトコト」と音を立てて近づいて来ている。道の左右を歩く、外国人観光客。彼らは、避けない。彼らの母国では「車が来た、避けなきゃ」という発想は無いのだろう。あまりにも落ち着いている。僕はそれを見ながら、即座に避ける。クラクションが怖いから、すぐに避ける。でもこれは、僕らが過剰なだけかもしれない。もし、彼らと同じ境遇で育ったとしたら、僕も避けないのかもな、と考え、無駄に彼らに共感している。軽トラを運転するおじさん。取り返しが付かない程、眉間に皺を寄せている。怒りが滲み出ている。轢き殺そうとしている。今度は、おじさんに共感している。避けない彼らに「車来てるよ」と伝えようかと一瞬迷ったが、英語でなんと言えば良いのだと悩んでいる間に、声を掛ける意欲が失せた。
歩きながら、考え事をしている。
右側に川が流れている。少々上り坂。古びた街灯。相当、錆びたガードレール。元々は白なのだろう。ぽさは残っているが、今となっては赤茶色である。川の上を、糸蜻蛉が往復している。細い体。緑の体。久しぶりに見た。懐かしい。トンボを捕まえる時、背後からそっと近づき、羽を摘む。それか、お腹を摘む。皆んな平気そうにやってのけるが、僕には出来なかった。捕獲されないように、葉っぱにしがみつき、必死に抵抗するトンボ。それを「お構いなし」といった具合に、羽や腹を掴み、引き剥がす。これは、人間で言うところ、髪の毛を思いっきり引っ張っている状態のように感じる。痛そう。任侠映画で嫌がる極妻が、窓辺の枠にしがみつき、必死に抵抗しているところを、強引に髪を引っ張り「大概にせぇよ」とキレる男が思い浮かぶ。泣きじゃくる極妻。床に投げ飛ばされる。怒りを滲ませ、打たれた頬を抑えながら睨みつける。可哀想。トンボを掴みとる友人の顔。強姦しているような、ニヒルな笑顔に見えてくる。トンボを見ると、極妻性を感じる。
歩きながら、考え事をしている。
山の中腹。ほとんどの木が刈り取られ、切り株だらけになっている。あまりの光景に「うそだろ」と思う。しばらくして、この一帯の管理人らしき女性を発見。どうしても気になり「何事ですか」と聞いてしまう。「先日の台風で、全ての気が捻り切られた。生きた心地がしなかった」と言う。怖すぎる。木がネジり切られる。台風で。 天気予報で見る台風は渦の形をしている。でも、僕に直撃する頃の台風は、右からの強風。あまりの大きさに「回転した風」と思えていなかった。それがこの一体で大きな木達をネジり切った。そりゃあ、生きた心地がしなかったんだろう。
歩きながら、考え事をしている
住宅街。自宅から離れれば離れるほど、住宅の数に驚く。いつも思うが、僕が想定している人口と、家の数が合わない。人間は繁殖しすぎている。僕が声を掛けれる範囲、僕を少しだけ認識している範囲、僕の趣味と同じ趣味の人の範囲。おそらく、そのくらいまでしか認識出来ていない。日本でこんなに驚く。海外に行くと毎回腰を抜かす。人間、い過ぎ。
歩きながら、考え事をしている
雨上がり。赤いシャツ、ベージュのパンツの爺さんが、川を眺めている。彼はベンチは使わず、地べたに座っている。そういう流派なのだろう。でもその座り方、ケツが汚れて、少し冷たいだろう。あと洗うの大変だろう。気になる。爺さんは、どうして今日、川を眺めているんだろう。理由が知りたい。僕にもある、そう言うセンチメンタルな日が。頭の中が他人の感情でいっぱいになり、ただ流れ続ける川を見ているだけの幸せを知っている。ただ、あの爺さんからは、センチメンタルを感じない。爺さんが、爺さんの意思で、川を眺めに来ている。爺さんは「昨日もここに来た」という佇まいをしている。家でやらなければいけないことは、もう無いのか。それとも逃げて来たのか。それとも社会の流れから外れたのか。今、何を思うのか。喜怒哀楽なのか。それとも、まだ僕の知らない感情なのか。なぜ、その赤のシャツ選び、ケツを汚してまで、川を見ているのか。気になる。
歩きながら、考え事をしている。
歩いても、歩いても、無くなんない。不安とか、くだらない説得は。糸蜻蛉を眺めている時は無かったのに。もうこんな時間か。あぁ、帰るのめんどくさい。
明日も歩くか。