弔い
必ず死ぬのであれば、死は『ゴール』なのかな。
人の死は、どうしようもない程、辛く、苦しく、悲しい。昨日まで、そこにいた人が、この世からいなくなる。それは、今更どう足掻いても、どう頑張っても、覆ることはない事実。頭の良い学者や、偉い人たちにも、解決できない事らしい。
覆りっこない事を、みんな分かっているから、悲しい。期待する場所も、すがりつく場所もなく、心に『事実のみ』が流れ込んで来て、その大きな質量を、堰き止める事ができず、痛みに襲われる。
『もう、会うことが出来ない』
だから、悲しい。
東京に出てから|暫≪しばら≫くして、じっちゃんが死んだ。
物心が身に付いて以降、身内が死ぬのは初めてだった。仕事を切り上げ、急いで岩手に戻ったが間に合わなかった。
父子家庭で、親父は長距離トラックの運転手。僕は、じっちゃん、ばっちゃんに育てられた。大切な家族だった。
葬式が終わるまでの間、ぼーっとしていた。じっちゃんが死んだ事がピンと来なかった。棺桶を覗いても、寝室で横になっているじっちゃんと、別に同じ顔だ。火葬後、出てきた骨を『じっちゃんだよ』と言われても、嘘にしか聞こえなかった。
東京に返って来て、数日後、なぜか悲しくなって来た。
何をしても集中出来ず、ただただ、息苦しかった。
操作も効きそうにないので、|潔≪いさぎよ≫く諦めて、ほっといてみたが、いつまで経っても悲しみが取れない。嫌な油汚れのようだった。
どれほどの時間、何もない天井や壁を見たんだろうか。忘れようと、家事に集中してみても、好きなテレビを見ていても、数分に1回、割り切れない感情が湧き出てくる。
もうキツい。そろそろ、頭の中から出ていってくれないだろうか。
悲しい。
知っている。悲しみに伏せていても、何も好転しない。何も進展しない。そんなのは、分かっている。情報では理解している。でも、どうしたって悲しい。ただただ、息が苦しい。
じっちゃんが死んで分かったことは、悲しい時は、悲しむ事しか出来ないという事だった。
数年後、ばっちゃんが死んだ。
じっちゃんの時、嫌と言うほど悲しみに付き合わされた。もう悲しみたくなかった僕は、親から『ばっちゃんが、危篤かもしれない』と聞いてから直ぐに、悲しみの準備に取りかかった。
いざという時、悲しみが溢れ出さないように、事前に『これから悲しいが来る』と予測しておいた。僕は、『悲しい』が多少、上手くなっていた。
ばっちゃんが死んで、僕は、予定通り悲しんだ。
準備して来た気持ちに向き合うだけだから、簡単だ。僕は準備していたので、気持ちに余裕があった。悲しそうにしている家族たちに気を使い、弔いの言葉掛けた。何を言うべきか、事前に考えていたので、礼服の内ポケットから取り出し、みんなに向かって吐き出すだけだ。
そして、予定通り、悲しくなった。
ばっちゃんが死んで分かった事は、悲しむ準備をしたところで、何も変わらず、ひどく悲しいという事だ。
なんなら、悲しみの準備の分、余計に悲しいだけだった。
大切な人の死は、どうしても辛い。
結局、悲しみに|抗≪あらが≫ってみても、どうせ悲しみが終わらないのなら、せめて早く終わるように、心の中を辛さで一杯にしてみた。
かなりキツい。
もう2度と、立ち直れそうにない
『悲しいよね』
僕の気持ちを理解できる筈のない部外者が、理解者面で近いて来た。
うるせぇ邪魔すんな、と思った。
どうせこういう奴は、悲しんでいる自分が好きなだけのカスだ。相手にするのも、めんどくせぇので『もう悲しくない』とか適当言って、強がってみた。
じっちゃん、ばっちゃんを思い出して、余計悲しくなった。
そんな僕に『無理すんな』とか、言ってきた。
まじでうるせぇ、あっちいけ、と思った。
悲しみに集中したかった。
葬式は、みんなが揃って辛そうにしている。
大切な人が居なくなり、みんながみんなに気を使っている。発言に配慮したり、場違いな笑顔を避けている。
まるで『悲しむ事が正解』で、それに合わせるように辛いフリをしているだけで、本当はもう割り切り終えているんじゃないか?
全員が、嘘をついているように見えて、気持ち悪くなった。早く1人になりたかった。1人で悲しみたかった。
どうしてこんなに悲しいんだろう。
もう会えないから悲しいのかな?
でも、恋人と別れた後『もう会わない』可能性がある。なのに、ここまで悲しくない。『またね』と言ったっきり、会ってない地元の同級生も何人もいるのに、全然悲しくない。
なら、なんで『死ぬ』に限って、こんなに悲しいんだろう?
そんな事を考えていたら、すごい事を|閃≪ひらめ≫いた。
もしかしたら『人は死なない』のかもしれない。俺が勝手に、死んだような気がしているだけなのかもしれない。
まぁ、本当にこの世に居ないのかもしれないが、それを証明出来る人はいない。悪魔の証明ってやつだ。と言うことは、死んでないという事だ。思い込みの大勝利。コチラの勝利なのである。
これを真剣に信じてみたら、段々と悲しくなくなって来た。
悲しんでばかりいる事が、馬鹿らしく感じて来た。
そうだよな。そもそも、こんなに悲しんでいるけれど、1番悲しいのは俺なのか?
『これから死ぬ人』じゃないのか?
何を悲しんでばかりいるんだ、俺は。
そう、思えて来た。
俺よりも本人の方が、辛いに決まっている。
死にゆく人の無念が、どれ程のものか。
残された僕には、これから出来る事は山ほどある。全て本人次第だ。時間が余りない人たちには、頑張ることすら出来ないことだってある。その無念が、どれ程のものか。測れるものなのか。
それなのに、周りは悲しんでばかり。そして何も動かない。何もしない。時間は限られているのに。それだけじゃない。追い込まれても、自分のことを守る事に必死で、素直にすらなれない。照れとか恥ずかしいとかで、人に気持ちすら伝えられない。
結局、僕たちは、命を軽んじてるんだ。
いつまでも、何を悲しんでいるんだ?悲しんで良い人アピールしているだけだろ?
死にゆく大切な人の為に、何が出来る?
死にゆく人は、残して行く人を、悲しませたいはずがない。自分が死ぬ番が来たら、絶対悲しんでほしくない。なら、悲しまないであげたい。それは無理かもしれないが、悲し過ぎないようにはしたい。
だから、残された人ができることは、その人の思いを汲み、悔いなく生きる事しかないような気がする。
もう、ただ悲しんでるだけなのは、終わりにしないといけない。後悔なく生きるしかない。
まだ、悲しみの中で身動きが取れない君。
俺たちはどうせ、その深い悲しみを理解してあげられない。失った物の、代わりを準備してあげる事など出来るはずもない。君を慰めたとしても、結局、一時凌ぎでしかないからやらない。小手先のことで寄り添ってみたって、悲しみを乗り越える時間を、むしろ遅れさせる。そんなのは慰めじゃないと思うからやらない。慰めている自分に酔いしれているだけな奴になりたくないから、やらない。
それでもまだ、悲しみの中にいたいのなら、お前は同じ事繰り返す。
これからも人は死ぬ、愛する人は死ぬ。
その人の死から、お前は何も学んでいない。
お前には、人を救うことなんか出来ない。
もし、立ち直りたくなったなら、今は1人で悲しめばいい。
で、悲しむだけ悲しんだら、その人の思いを汲み取って、後悔しないようにしよう。素直に生きよう。
確実に言えるのは、今のその悲しみは、愛に基づいているということだ。