誰かになりたいわけじゃ、なくて。
こんばんは。
冷たい雨の月曜日。おつかれさまです。
今朝、洗濯ものを干しながら、小川奈緒さんのVoicyを聴いていました。
テーマは「SNSで自己肯定感が下がりかけたら心の引っ越しを」。
誰かをうらやましいと思ったら、心の引っ越しをすればいい、そんなご自身のエッセイをもとにお話しされていました。
私はnote以外、SNSにはあまり関わっていません。
インスタは、お店の情報を仕入れるためだけに活用してる。
それでも、いつも人と比べては落ち込んで、を相変わらず繰り返している。
そんなこと意味ないし、それさえしなければ充分足りている、と頭ではわかっている。
でも、あちこちに比べる対象があるし、比べちゃうからしょうがないんです。
そのお話の中で、繰り返し小川奈緒さんが言っていた言葉を聴いて、はて、と考えました。
「最近、特定の誰かをうらやましいと思うことはない。」
それで。
私は?
特定の誰か。
…ん?特定の誰か?
思い浮かばない。
そこで今さら、気づいた。
いや、知ってはいたけど、改めてこう考えてみてなるほど、と思いました。
比べてうらやましい、と思う土俵は、それぞればらばらだということ。
仕事をしていると、その同じ土俵に立つ誰かの仕事ぶりをうらやましい、と思う。
学生時代の同級生、という土俵に立つと、そのキャリアや活躍ぶりをうらやましい、と思う。
子どもの親、という土俵に立つと、その家族の状態や環境、方針をうらやましい、と思う。
そしてこのnoteの中だって。
書く、という土俵に立つと、その経験や知識や表現力をうらやましい、と思う。
だからといって、その特定の誰かになりたいくらいうらやましいかと言えば、そんなことはない気がします。
ここは、喉から手が出るほどうらやましいけど、ここは今の自分の方がいいや、って思えることも絶対ある。
そう考えると。
比べて落ち込むこと自体、当然だし自然なこと、でもまるっと全部代わりたいってわけじゃないからそんなに気にすることないんだ、とちょっと思えてきたりします。
……しませんか。
まぁ、ほとんどこれは自分に言い聞かせてますね。笑
今日はそれでよし、とします。
今日は朝から雨で寒くて、ランチの約束をしてたけど、ちょっぴり億劫でした。
でも、連れていってもらったお店は景色がよくて(雪でちょっとくもってたけど、それもまたよし)、薪ストーブがあったかくてほっとくつろげる空間で。
サラダもスープもメインも、とても丁寧でやさしくて。
丁寧、に触れると心が修復される気がします。
あぁ、やっぱり外に出てよかった、と思いました。
あ、コーヒーもすごく美味しかった。
堀口珈琲さんのコーヒー、初めてかも。
またちょっと興味が広がりました。
今日も読んでいただいて、ありがとうございます。
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