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「愛しさと切なさと心強さと」って子育ての曲だよね?

今週から娘(1歳6ヶ月)の慣らし保育が始まった。

慣らしなので最初は2時間半だけ。
一時保育もしたことあるし、まぁ余裕でしょう。

預ける時に泣く娘。
彼女の気持ちの切り替えの為、娘にいつ迎えに行くか伝えて挨拶をし、サッと立ち去る。

預かる側の経験として、
気持ちを切り替えをサポートしたいならば、いつまでも保育室を覗いたり、手を降ったりするのはやめよう。
それはダイエットしてる友達の目の前にケーキをチラつかせるようなものだ(?)

よしっ、自分時間!


と思うのも束の間。
結局いつもの時間にいつもの掃除をして、ご飯を用意したらお迎えの時間になった。

お迎えに行くと夢中になって遊んでいる娘。
ネームタグのぽっとん落としだ。

そうそう、
家でも娘の遊び用に貯金箱とコインを用意したんだけど、100均で買った貯金箱が一度入れたら壊さないとコインを出せないタイプのやつで、
「コイン出してー!もう一回やりたい」
とせがまれてたんだった。


あれから2週間くらい経つかな…


保育園でできてよかったね。
家でサボってたことを保育園でやってもらえるの、ありがたい。

私の狙い通り、娘は私の姿が見えなくなるとすぐ泣き止んで、保育時間中よく遊んでたらしい。

次の日も

マットのお山の頂で「ゴー!」と声を出して、転げ落ちていました。

連絡帳より

めっちゃ楽しんでるなw

やっぱいいな、保育園。
他の子どもと一緒に生活する体験、
いろんな大人との関わり、
多様な遊び。

こうして離れてみると、あたらめて娘は別の人間で別の人生を歩むんだなぁなんて、当たり前のことを思う。

日頃娘とずっと一緒にいると、つい彼女の人格形成を全部担っているような錯覚に陥る。

実際のところ、性格というのは持って生まれた要素が強いのだけれど、こういう経験がこういう性格をかたちづくって…なんて色々考えちゃうのは私だけじゃないはず。
そういう妄想は楽しくもあり、プレッシャーでもある。

でもいざ保育園に預けて、別々の時間を過ごすと、
ああ、こうやって彼女は彼女の、私は私の、別々の人生を歩んで行くんだなぁって思った。

妊娠期間の10ヶ月ほど同じ体を共有して、
生まれてからずーっと一緒にいると、
なんか境界線が曖昧になってしまう。

成長するにつれて、どんどん私の知らない部分が増えていく。
それが喜ばしくも寂しくも頼もしくもある。

つくづく子どもを産んで育てるっておもしろい経験だなと思う。
(育てるってか、勝手に育ってるって感覚だけど)

「愛しさと切なさと心強さと」って子育ての曲だよね?w



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実はstand.fmやってみたんですが、恥ずかしすぎるんでコソッと置いておきます…

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