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『暁の寺』を廻る思索諸々

プリンセスのモデル?

ふとWikipediaを渉猟していたらこんな記事の項目を見つけた。

そこにユアンケーオシーローロット王女(泰: ยวงแก้ว สิโรรส)がモームラーチャウォンウォンテープ(泰: หม่อมราชวงศ์วงศ์เทพ)という王族の女性と恋仲になるものの、後に風説を流布されて辱めを受けた後に19歳で薨去…というエピソードが載っている。日本語圏でもTwitterで「日本語で読むタイメディア」ことザビエル古太郎氏が凍結前か後のどちらかでもいいからいつかどこかでつぶやいていそうな話だが、日本語で検索しても出てこない。

ただ今では三島由紀夫『豊饒の海』第3部『暁の寺』のプリンセスのモデルがどうしてもこの王女だと思えてならない(実際は違う人物のようだが)。三島がこの王女のことを知っていたかはわからないが。
なお本作のプリンセスの名前は「チン・チャン」だの「チン・チョン」だのではないのでご注意を。

ベトナム戦争におけるタイと三島由紀夫-もしくは、幻想の衰退-

奇しくも三島が『暁の寺』を書き上げた1960年代後半、舞台となるタイの近隣地域は現代以上の混乱を抱えていた。言うまでもなくベトナム戦争である。
この戦争ではベトナムから旧仏領インドシナの残り2ヶ国のラオスとカンボジアを跨いだタイも、西側諸国、特に米国にとっての「反共の防波堤」となるよう求められ、ウボンラーチャターニー、ウドーンターニー、コーンケーンなど東北部(イサーン)の各地に米軍基地が設けられた(これらの地名が入ったベトナム戦争をテーマにしたジャケットだかを見かけたことがある方もいらっしゃるだろう)。基地開設に伴う軍事産業の進出は開発の必要をもたらし、当時ジャングルに覆われていたイサーンは大開発の波に飲まれていく。
南東部のウタパオにも米軍基地が作られたが、同時期には保養地として近郊に保養地パタヤーが設けられた。どの観光ガイドブックにも載っているので一見かつての『笑う犬』のコントに出てきた観光地のように「健全」に見えるが、ミシェル・ウエルベックをして「ソドム」と言わしめたあのパタヤーである。このパタヤーの保養地としての整備はやがてタイをセックス・ツーリズムのメッカにしていき、その波はイサーンにも及ぶことになる。

三島由紀夫はタイに滞在していたとき、あるいは『暁の寺』を書いていたとき、近隣の動乱がもたらす国の変化をバンコクでも目撃していたはずだが、それに対してどう思っていたのだろうか。プリンセスに代表される幻想的な世界としてタイを構築することで、自らが唾棄した当時の日本における物質主義の蔓延からの逃避を図ったのかもしれない。これはタイ、しかも先述のイサーンの一部にまで影響を及ぼしていたかつてのクメールを舞台にした『癩王のテラス』(タイトルママ)でも、王や「支那の大官」らの表象にも見られると思われる。
しかしタイの当時の現実やこのあと歩んでいく道をもし三島が正視していたら卒倒していたに違いない。前部『奔馬』のラストのセリフ「南の国の薔薇の光の中で」は「南の国の狒々の群の中で」になっていたろうし、先ほどのプリンセスもウエルベック的娼婦に成り下がっていたかもしれないだろう。

ベトナム戦争以降のタイについては-以降の時代における渡航や在住をする日本人や日本国内における現地関連の情報量の増加も原因にあるだろうが-日本人が三島のような幻想を巡らせることはもうできなくなってしまったようだ。恐らくタイ人の多くもあまりに日本人に触れすぎた結果、日本や日本人に失望までしなくとも過剰な期待をやめたであろうことはいたく想像がつく。トムヤンティ『メナムの残照』(คู่กรรม)のヒーロー「コボリ」のような幻想を彼らが日本や日本人に抱くことはもうできないだろう。
タイは(バンコクだけでなくチェンマイのような地方都市でも)2020年代現在では在留日本人の多さから「日本の延長線上」「日本社会の縮図」などとでも言える状況になってしまったという特殊性があるが、三島繋がりで同じインドも、日印両国の人や情報の往来の活発化により今や日本人が持っていた「神仙が多くおわす神秘の国」という現実逃避先としてのイメージは破壊されつつあるようである。

さらに同じくナードの現実逃避先と後ろ指をさされることがあるらしきロシアやイスラム世界においても、こうした動きは出てくるのだろうか-どちらもナード、特に文化系にとっては居場所が無いに等しいようなマッチョと男のホモソーシャリティの支配する地域のようであり、特にロシアで私はそれを痛感した。中南米も一時左派にもてはやされていたらしいのが徐々にそうでもなくなってきているというのは漠然と聞いてはいる。オセアニア諸地域も多分「サモア島の住民には思春期がない」的な話があるのが廃れつつあるのだろうが、あとは知らん。
ただ幻想絡みでいうと、いわゆる「欧米」については、現在でもその国際社会におけるヘゲモニー故に、日本でも「出羽守」のような人を例外的に生み出しているようではあるが…。

ちなみに暁の寺(วัดอรุณ)は7年前にバンコクへ私が行ったときは大工事中だった。今ではその結果夜叉(ยักษ์)の像含め、全部セメントでガチガチに固められてキラキラしたガラスや石の面積が小さくなっているそうだ。残念。

(背景写真: パタヤー某所の風景)

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