「ストレス」な人と距離をとって、その後。
以前、
ストレスになる人から距離をとったことを書きました。
今日のは、その後の話。
最近、自分の中に湧き上がる怒りがすごくて、それを吐き出すことに必死になっていて。
文字に書くこともあるし、この間はカウンセラーにも1時間ぶっ通しで話をしていて いささか疲れた。
うつ病もひどくなりつつある。
内容はほとんどが
「どうして私はあんなに我慢しなければならなかったのか」
「どうして私はあんなにも相手の機嫌を取らなければならなかったのか」
そして、
「どうしてそんなことを、自分は自分に許してきたのか」
が怒りの主な内容だった。
実は、距離をとっていた人と先日久しぶりにチャットで話をした。
相手は私とコンタクトが取れてホッとしているようだった。
正直少し緊張したけれど、元々仲良しだったし、私も相手が元気にやっていることを知れるのは悪い気持ちはしなかった。
相手は自分がはまっていること、楽しかったこと、自分の近況をスラスラと話していて、
「ああ、いつもどおり だな。自分の話したいことは話すんだな。相変わらずだな。」
と思った。
そう、この人はそういう人だったな、と。
相手のことを少し思い出してきた頃に
「ところでそっちは仕事はどうなの?」と返ってきた。
「え?私のことなんか気になるんだ」と思い、
それなら近況を伝えようと、思い切って話をした。
仕事はしているが、
痩せてきてしまい精神的に参ったので心療内科に通いだしたこと、
薬を飲めば落ち着いていること、
鬱になり今まで楽しかったことが楽しくなくなってしまい、それはそれですごくしんどくなっていることを伝えた。
この時点で、私は自分の中にある気持ちに関しては無感覚だったように思う。
相手は少なからず、今の私の体調不良に自分が影響していると気づいているようだった。
そして私はまた相手を庇いフォローしてしまったのかもしれない。
「私のせいかな」と聞かれ、
「わからない」と答えたが、相手と関わるうちに私の中で楽しみがなくなってしまい嫌いなものばかり増えてしまったのは事実だった。
明らかに相手の影響が大きかったから、全然間違っていないのだ。
「お前のせいだ!お前のせいで私はこんなに苦しんでいる!」
と伝えたほうがよかったのかな、と思ったけれど、別に相手を責めても何もならないとわかっていた。
私が相手から離れたのは、どれだけ私が一緒にいる期間に
「その言動は苦しい、しんどい、やめてほしい」
と訴えても、私が相手から離れるまでその行動や言動をやめてくれなかった、改善してくれなかったから他ならないからだ。
他人は、そんな簡単には変わらない。
ましてや、誰かのためになんて、よほどの利益でもない限り変わらないのだ。
私が相手から離れた理由はそこを見限ったからだった。
「この人は私が嫌がっていることをしていてもそれで良しと思うんだな」
「その言動は、この人自身にとって利益があると思って選んでやっているんだな」
「この人は自分の言動を変える気はないんだな」
だから私は、距離を取る、相手と離れることを決めたのだった。
私が自分の近況を話す間、
チャットの最中に相手は何度か私に「ごめんね」と打った。
「ごめんね」かあ。
その言葉にも、自分の中では何も感じる心の動きはなかった。
私の傷ついた心なんて、やせ細った体なんて、もう相手がどうこうできるレベルではないのだと私は気づいたのだと思う。
この人に何かをしてもらう方法もあるのか?と考えたけど、傷つけられた相手に癒してもらうなんて、そんなバカな話があるか?とも思った。
金もらうわけにもいかないし。
「ごめんね」。
何度もその言葉だけ頭に浮かんでは、
「この人のそんな言葉、今は本当に何の役にも立たないし意味のない言葉だな」と思った。
人はきっと、怒りの限界を超えると悲しみになり、そして無になるのではないだろうか。
自分の近況を話したあと、
「私はあなたを責めたかったわけではない」
と私は打ち込んだ。
それは嘘ではない。
本当に、責めたかったわけじゃないのだ。
というか、責めることは無駄だとわかっている、と言ったほうが正しいのかもしれない。
(法律用語的な意味でなく)責任能力のない人間を責めたところでそれは徒労に終わり、こちらの時間とお金が無駄になるということはいろんなことを通してわかっていたからだと思う。
心の傷も、やせ細った体も、不安定な自分もまだここにいる。
「彼女みたいに、自分にとって嫌なことがあったら誰かのせいにして、周りにわがまま言いたい放題ぶちまけられたらスッキリするのかなー」
「家族や恋人に好き放題言えたら、そうやってふるまえたら、それに周りがつきあってくれてどんどん自分の機嫌を取ってくれたら、どんな気持ちなのかな、今より楽なのかな」
なんて、何度も何度も思った。
でも、それって私が思う「嫌いなタイプの人間」で、そんな自分になりたいわけでもない。
そして、そんな「嫌いなタイプの人間」になりたくないけど、この相手の人は、私のことよりも「そんな人間」のことを何より気遣い優先し大切に扱おうとする人だった、
だからそれも嫌だったなあ、とも思い出した。
なんであんなに我慢したんだろう。
それで私は何が欲しかったのだろう。
どうしたかったのだろうと思うと、やはり答えはいつも、
安心したかった、楽しくありたかった。
でも残ったのは、今の、こんな情けない顔をした自分だ。
話し終えた後に風呂場の脱衣場で着替えた。
あばらと胸骨がクッキリと出ている体を見て、
「やばいなあ」と笑うと同時に、
たまに涙が出る。
こんなになるまで、
辛い思いを我慢していたんだと思う。
やせたなあ…。
悲しくて寂しくて辛い夜は、
自分の体をぎゅっと抱きしめて眠る。
「ごめんね、こんなになるまで、ごめんね」
と私が私にあやまる。
「ごめんね。」
自分の中で、「うん」と返事があった気がした。
私の「ごめんね」は、確かに私に届くから。
きっと、次は自分を大事にするから。
約束するから。
自分のことも大事にして、
相手も同じくらい自分のこと大事にして、
そして仲良く楽しく過ごせるように。
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