ぬん

個人的な日記です。

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最近の記事

人の幸せに、嬉しくなれない

自分の体調が悪い、気分が悪い、機嫌が悪い。 何でもいいけど、ほんと、「人の幸せに嬉しくなれない」時って そういう時だと思う。 申し訳ないな、同じテンションで喜んであげられなくて。 ごめんね、こんな私で。 嬉しいよ、私も。あなたの幸せは。 ただ、何だろう ちょっとこっちの事情でさ。ほんと、それだけだから。

    • 「何をどうしたらいいのかわからないほどに」、鬱。

      9月から10月に変わるあたり、毎年のように体調がおかしくなる。 これを自律神経失調症だとか季節病だとかいろいろ名前をつけてみたことがあるけれど 体調だけでなく基本的に鬱になることから始まっているようで、 何とも原因も対策も取りにくい。 とにかく、5・6月とこの時期は苦手なんだ。 あと2月。 なんて、適当なことをいつも思う。 一年のうちに私の体調がいいときってどれくらいあるんだろうな。 ところで、その5月、 以前にも書いた「縁切りをした相手」についてだけども あれからも

      • 朝起きたら絶望してるとき、精神的にかなりまいってるよなーと思う

        • 君を思い出して、君を失った当時聞いていた音楽を聞いた時、無性に悲しくなったのは 決して君を恋しいわけじゃない。 あの時泣きたくても泣けなかった自分を思い出して、それがただひたすら可哀想なだけで、君が欲しいわけではない。 僕が今抱きしめたいのは、あの頃の僕だ。

        • 人の幸せに、嬉しくなれない

        • 「何をどうしたらいいのかわからないほどに」、鬱。

        • 朝起きたら絶望してるとき、精神的にかなりまいってるよなーと思う

        • 君を思い出して、君を失った当時聞いていた音楽を聞いた時、無性に悲しくなったのは 決して君を恋しいわけじゃない。 あの時泣きたくても泣けなかった自分を思い出して、それがただひたすら可哀想なだけで、君が欲しいわけではない。 僕が今抱きしめたいのは、あの頃の僕だ。

          モラハラ抜け

          ここ2ヶ月を振り返ると、モラハラから抜け、また新たなモラハラに会い、そして無理やり抜け切った2ヶ月だった。 5月頭から大学での講義で受けていた教授がモラハラ教授だった。 私の通う大学院で、そういった教授に出会ったのは初めてだった。 彼はこの業界では最近革新的な論文を出版し続けている人で私と同年代の人だ。 社会人学生の私からすれば、同年代なので仲良くなることもできたのかもしれないが、 彼の講義を最初に聞いた時から何か違和感があった。 「昔学生には体罰を加えていたこともあっ

          モラハラ抜け

          誰かを失って、また自分に気づく。

          あの人にさようならをしてから一月経った。 二週間ほど、フラッシュバックに悩まされていたけれど、今はふと思い出して、 もう そろそろ かの「新しい恋人」と 新しく生活を始めたのかな…と思うくらいだ。 あの人と暮らすって、どんな感じなんだろうなと思った。 誰かと一緒に暮らしたことがある自分には、 好きな人と暮らせるっていうそのイベント自体が それはとてもワクワクしたもので、嬉しくて 楽しいものにしか思えないのだけど、 あの人と一緒に暮らすのか。どれくらい、何を、我慢すれ

          誰かを失って、また自分に気づく。

          体はときに、心より脳みそより素直に反応する

          最近、嫌な人のことを 断捨離しようと思って、自分から連絡することをやめた。 幸いにも相手からも連絡はなく、 無事にここ数日過ごしている。 私はどうやら、ひとつのことを思いだしたらしい。 「自分と同じ温度で、互いを大切にできない人といると体が疲れる」 もちろん、相手には自分のことを好きでいてほしい。大切に思って欲しい。 でも、それでも、 相手の言動が自分に上手く伝わってこないとき、どうやら私は頑張って理解しようとしてしまうらしい。 どうしてそんなことをするの? どう

          体はときに、心より脳みそより素直に反応する

          人間関係の断捨離時期だと感じる時【追記】

          この記事はひとつ前の「人間関係の断捨離時期だと感じる時」の追記です ============== 追記: 以前の記事に登場した、 私が人間関係の断捨離時期に来ていると知らせてくれた二人に関して共通するところを振り返ってみようと思う。 その人が周りにいる生活が当たり前だったところ。 私自身も楽しんでいたところ、頼りにしていたところ、 当たり前のように毎日がそうだった。 しかし、二人に対して私が思ったことは 「この人たちにとって私って何なのだろう?」という不信感だった。

          人間関係の断捨離時期だと感じる時【追記】

          人間関係の断捨離時期だと感じるとき

          そういう時期ってあるんだなと思う。 今年に入って、仲良くしていた二人の人物との関係に疑問を持ち出した。 どちらも 昨年はほぼ毎日といっていいほど会話をし、家族のように振る舞っていたときもあった。 それは昨年より少し前からの関係で、私たちは楽しい時も辛い時も、一緒に何かを分かち合ってきたように思う。 誰にも言えないようなことも話したり 悩みを相談し合ったり、アドバイスしたり。 去年、自分にとって人生の変わる大きなことがたくさんあって それに際してその二人とはたくさんの会

          人間関係の断捨離時期だと感じるとき

          強くなればなるほど、孤独になる。

          君の夢を見たよ 新しくできた大切な人と、私の家に来て挨拶してた 君の彼女は、うちの親戚の誰かによく似た具合に抜けている性格のコで 悪く言えば私の嫌いなタイプのバカだった 夢の中で君の彼女はわざと私の部屋のジグソーパズルの絵を分解した それを詰めて「なんでそんなことをするの?」と聞いたら彼女は答えなかった。 君は彼女に、粛々と、彼女のしたことがどれほど自分を絶望させるかを説いていた、 そんな君を見て「いつのまにそんなに冷静に話しができるようになったんだい」と思った。 君は

          強くなればなるほど、孤独になる。

          執着の原因は「叶えてほしかった思い」だとするならば…

          わたしはあの人に、どうしてほしかったのだろう? 私は 当時、自分の住んでいる世界に全く光が見えなくて、どこに進んでいいかわからなくて、 あの人に自分を見つけてもらえて嬉しかった。 あの人に抱きしめてもらえて嬉しかった。 好きになってもらえて嬉しかった。 だから、 望んだことは 「私を救い出してほしい」 「ここから抜け出すサポートをしてほしい」 「このまま一生、離れないでいてほしい」 だったのだろうなと思う。 でもそこにはちゃんと、 私を一番大切にして欲し

          執着の原因は「叶えてほしかった思い」だとするならば…

          自分を傷つけてきた人に、自分を救ってもらえることはない

          二度目のさようならをした相手の件から1週間経っても、 当時のフラッシュバックが蘇ったり、 いろんなことがしんどい1週間でした。 仕事のほうでも忙しくしていたのもあり、精神的にしんどいな、と思うことはあれど、改めて思うのがタイトルの通り。 自分を一度傷つけた人は、何度でも自分を傷つけてきます。 一度裏切った人間が何度でも裏切るように、人はそう変わらない。 私が一度目のさようならに失敗したのは、相手に謝罪を求めたから。 どうにかして、私の苦しみを救ってほしいと相手に求めたの

          自分を傷つけてきた人に、自分を救ってもらえることはない

          人はそう簡単には変わらない

          友人にここ最近あったことを話すと 「普通そんな人間とは時間をかけて距離をおいて、もうフェードアウトが王道だ」と言われた。 単騎で一人乗り込んで敵将の首を取るような私は 呂布のようだと言われた。 私は私自身で蹴りをつけたかった。 人はそう簡単には変わらない。 相手の「質問した内容」「聞いた答え」全て信用できなかった。 自分の都合の良いように聞いた結果が、戻ってきた返事だと思ったから。 ガキの使いもできないのか? それでいて自分を有能だというのか? 人の言うこともまともに

          人はそう簡単には変わらない

          思い返す時間記録

          2019年9月 出会う 2020年1月 自分の人生を大きく変えることを決意 2020年4月 しかし、相手への違和感に耐えられなくなる 体調不良 2020年5月 一度目のさようなら 2020年10月ごろ 連絡を再開 2022年春と夏 再会 2023年5月 二度目のさようなら(絶縁) 自分を一度傷つけた相手は、何度でも自分を傷つけてくるよ。 人は、一度裏切れば、何度でも裏切る。 自分の期待を、何度でも裏切ってくる。

          思い返す時間記録

          二度目のさようなら

          本来なら、3年前にしっかりと切るべきだった縁を切ることにした。 あのとき切ることができなかったのは、自分の弱さと甘さと自覚している。 おたがいに、あの時切ってしまっておけばよかった関係だったと思っている。 君はおそらく、「この時間の中で互いに有益なこともあったじゃないか」と思うだろう。でも、ひとつ忘れないでほしい。 私たちは、あるものごとにおいて、 傷つけた加害者と、被害者でしかないのだから、 被害者の私のほうから贖罪の機会を与えるなんてことはするべきではなかったのだ

          二度目のさようなら

          必要な「さようなら」。

          自分にとってネガティヴなことでも相手にとってそうでもなく、そんな中でのやりとりが何となく「当たり前」になってしまい、気づいたら自分だけがいつも我慢してた・・・ 相手のことを信用していたら、好きだったら「それは嫌だ」と言えたはずなのに?と思わないでもないけれど相手のことを「怖い」と思ってしまったらそれは「伝えることができない自分の不快感」になる。 「結局私も相手を信じていなかったのかな」、 そんなことを何度も考えて、どういう風に伝えたらいいのか、言葉をどう選ぼうかと考える

          必要な「さようなら」。