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高齢になるということ③

前作を書いたのは夏真っ盛りの8月で、あれから早いもので、もう3か月目に入ろうとしている。

あの頃は、ケアマネさんも事業所も、介護レンタル用品も福祉サービスも義母のケータイも…すべてが「新規契約」の嵐の日々で、毎日がドタバタ劇場だった。

諸手続き&諸準備に追われた私と夫は、あまりの忙しさに生も根も尽き果てて、そこに夏の酷暑も加わり、ヘトヘト疲れ切ってしまった。

ここまでが、前回のおはなし。

その後「週の中で5泊は施設に泊まり、2泊は自宅に帰る」というペースが、義母にも私たちにも少しずつ定着してきた。このパターンにだんだん慣れてくると、義母がいない日は、リラックスしてのんびり過ごすようになった。多少怠けても、あちこち手抜きをしても、夫と私の二人だけだから、いろいろ融通が利いて気楽だ。

こうして長年溜まった同居ストレスを、(義母がいない時間を活用して)楽しみを見つけてそれをやりながら発散している。おかげさまで、少しずつ体調もメンタルも調子が上向いている。

さて、こうして心に余裕が持てるようになったら、穏やかな気持ちで義母を迎えられるようになった。
時々帰ってくる義母から、施設での様子をあれこれ聞いてみる。
義母曰く、同じ施設の利用者さんは認知症の人がほとんどらしく、お友達になれそうな人を見つけても、話の辻褄が合わなかったり、突然怒り出したり…等々。親しい人を作るのはなかなか困難とのこと。また、施設のごはんは美味しいけど量が多くて食べきれない。肉や揚げ物のおかずが出ないので、家に帰ってきたら肉やフライが食べたい…とのことだった。

そうか、肉料理や揚げ物が食べたいのか…。

ということで、義母が帰ってくる日の夕ごはんは、義母の好きそうなボリューミーなメニューにすることにした。なんだか「久しぶりに実家に帰ってくる息子のために、飛騨牛肉(五等級)を奮発して買い込み、すき焼きを作るおかん」みたいな図である。

ところが…である。以前の義母なら、すくってあげた肉を「うまいうまい」とぺろりと食べて、更に「おかわり」を欲していたのに、最近の義母はみるみる食が細くなり、少しの量でも「お腹いっぱい」と満足するようになった。そのため今は、以前食べていた量の1/2を、さらに夕食と翌日の朝食の2回に分けて食べている。

そういえば昔、高齢女性のエッセイを読んでいて『歳を取ると少しの量でもお腹がいっぱいになるから、若い頃は手が届かなかった高級肉を少量だけ買って食べている、それだけでも充分満足できる』という話があったことを思い出した。
あと、100歳の現役医師だった日野原重明先生も「朝と昼は少量しか食べない。夕食にバランスよく食べて栄養を摂るようにしているけど、やはり若いころほど食べられない。全体的に食事量はかなり減っているが、高齢の身体にはこれで充分」と著書で記されていたことも思い出した。
高齢者の食が細くなるのは自然現象らしい。

我が家についても然り。
最初は、義母の帰宅に合わせて張り込んでいっぱい準備していた食事も、義母の食べられる量に合わせて「いろんなおかずを少量ずつ」に路線変更してみた。
あと、「食の嗜好」も変わっていくみたいで、以前はあんなに大好きだったカレーライスが今は胃が受け付けないとのこと。そのため、義母の帰宅時の食事内容にも結構気を遣うようになった。せっかくだから「おいしい」と喜んでくれるものを、多すぎず少なすぎず、義母にとっての「適量」で食べさせてあげたい。


それにしても、あんなに食べることが好きだった義母が、みるみる食べられなくなるのを見て、人の肉体も経年劣化で変容していくことを実感する。「食べたいものがあるなら、若くて元気なうちに食べておけ」だなぁ…と。食べたい&今食べることができるのなら、若くて元気なうちにしっかり食べておくことが大事だ。あとで「食べてみたい」と思っても、高齢になったらもう食べる機会がなかったり、あっても身体が受け付けてくれない…ってことが多々あるからだ。食においても「後悔先に立たず」である。

そう考えると、義母だけでなく、実は夫も私も少しずつ食が細くなってきた。昔ほどガッツリ食べられない。食べ過ぎると胃がもたれるし、「質より量」で食べると後で体調が悪くなる。健康のため、食事もおやつも腹八分目を心がけている。
そのおかげで、この夏の「令和の米騒動」でも、梅雨の頃に買っておいたお米で充分事足りて、途中でお米を切らすことなく、無事に新米の季節まで食いつなぐことができた。(この点は高齢世帯でよかったなぁ…と思った笑)
要は、「歳を取る」とは「量より質」のフェーズに移行する…ってことなのだろう。

話を変えよう。
そういえば先日、うちの仏壇にお寺さんがお経をあげに来て下さった。ちなみに我が家が世話になっているお寺さんの住職は、私の高校時代の同級生である。結婚後、初めてのお盆参りで彼がうちに来てくれた時は、お互いに「えっ!!」と驚いたのだった。今では家族ぐるみの呑み友達である。
その彼が、お経の後に「エミコさんのこと、巷ではお姑さんを丁寧に扱ってすごく大事にしているいいお嫁さんだと評判だよ」と教えてくれた。

えっ?なんですって?

私は耳を疑った。

この私がですか…?!

「いやいやホント!どこへ行ってもそういう噂が聞こえてくるよ。」と彼は坊主インテリジェンスで収集した情報をもとに、私にそう教えてくれたのだった。

正直、心底驚いてしまった。

わたしは結婚してから今日まで、自分のことを「この家の家風に合わないダメな嫁」だとずっと思い続けてきた。義父も義母も私には「ダメ出し」オンパレードだったし、義母からも「あんたのことがずっと大嫌いやった!」と真正面から言われたことがあるし、実際、義母は虫の居所が悪くなると、感情の赴くままに私や夫の陰口を周囲にナチュラルに言いふらしていた人だから、夫方の親戚筋もご近所さんもみんな、義母の話を信じて私のことを陰で悪く思っているのだろう…とずっと思っていた。だから、彼のこの言葉は青天の霹靂だった。

いやいや、この私のどこをどう見たら「姑思いの心優しい嫁」になるのか?さっぱりわからないのだけど、でも世間の人は、私のことを「いまどき珍しい孝行嫁」と見てくれているらしい。意外過ぎてすごく驚いたが、それはそれでありがたことだと思った。今まで天涯孤独だと思っていたのに、急に味方が湧いて増えたみたいで、正直なところは不思議な気持ちだ。しかし、これまでの努力が報われたようで、心の奥がほわっと温かくなった。

坊さんの友人は、我が家でのお勤めを無事に終えて、慌ただしく次の訪問宅へと向かった。玄関先で友人を見送った後、仏壇をしまいながら、「世間の人って、意外な視点で他人ひとのことを見ているんだなぁ…」と思った。


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