高齢になるということ
7月に入り、急に落ち着かなくなってきた。
というのも、義母の足が急に動きにくくなり、細かい配慮が必要になってきたからだ。
なんたって満95歳。寝たきりになっていても不思議ではない年齢なのに、今まで頭も体もしっかりしていた。ただ足だけは昔から具合が悪くて、私がこの家に嫁いだころ、義母は60代後半だったけど、その頃にすでに膝に水が溜まるとか、膝関節症でO脚が酷くなって痛いとか、脚のトラブルをいろいろ抱えていた。私も義母を車に乗せて整形外科や整体治療院へ何度も送迎してきたのだけど、どこへ行っても「老化なので仕方がないです」としか言われず、その場しのぎの対処療法的なことしかしてもらえなかった。
でも、これに関しては私も「仕方がないか」と思っている。というのも、義母は義父と結婚して以降、ずっと家に閉じこもっていて家業や主婦業に専念してきた人なので、普段から「外を歩く」ということをしてこなかった。つまり運動不足ということだ。それが積もり積もって「脚のトラブル」に至ってしまったのだと思う。義母は足が悪くて対外的なことは一切できないというため、代わりに私が全部引き受けてきた。町内会の女性部等の役、近隣や親戚の葬式&法要、義父の病院への付き添い、その他いろいろ。義父が元気だった頃は、義父と私という舅嫁コンビで義父母と縁がある人の葬式によく行っていた。「私みたいな者が行ってもいいのかしら?」と心細くなるほど、私にとっては初対面のご家庭の葬儀で、亡くなった故人のことも、うちとどういう関係なのか?とか、義父母とどういうご縁があったのか?とかもよく飲みこめていない状況の中で、私は義父と並んで葬式に参列し、義父と一緒にお斎の食事をいただき、お骨拾いまで義父と並んでしてきたのだった。きっと故人の魂も、緊張した面持ちで長箸を持って必死な手つきでお骨をつまんでいる私を見て「誰?この人?」と思ったことだろう。知らない人の深部にまで入り込んでいくこの状況って、ホント気まずくてツライものだけど、嫁だから仕方がない…と思って耐えた。ホント義父とはいろんな人のお葬式に行かせてもらい、今思えば、いろいろ経験を積ませてもらえてよかったと思う。その点は感謝している。
とまぁこんな調子で、肝心の義母は足が悪いため、本来義母にしてほしい役目は全て私のところに回って来た。もともと義母はコミュニケーションが苦手で人と会うのが怖いという人だったから、脚が悪いことを理由に外出しなくても済むから、義母にとっては「脚の悪さ」もある意味都合が良かったのかもしれない。
そんな義母が、80代半ばで脛を疲労骨折した。おかげさまで折れた骨はその後治ったのだけど、この骨折をきっかけに骨粗鬆症が分かったため、以降、骨を強くする薬を飲んでいる。
そして、その頃から、義母は足の痛みを訴えなくなった。聞いても「痛くない」と言う。「かなり高齢になると、体がその状態で固定してくるから、痛くなくなるんだよ」と整体の先生が以前仰っていたけど、確かにそんな感じだった。
ただ、脚の動作はよくなくて、急いで動くと足がもつれて転倒するため、ゆっくり歩かなくてはいけない。また、体重を自力で支えるほどの筋力はないので、家の中でも手押し車を使って移動し、なるべく足に負担をかけないよう気を付けなくてはいけない。階段の上り下りは不可能。二階へ上がることはできないので、一階での生活に移行する。もちろん外へ自力で外出することも不可能。しかし、家の中なら自立して生活できたので、その点はありがたかった。頭の方はしっかりしていて、私や夫よりしっかりしているくらいだったので、認知症の心配がないのもありがたかった。トイレの失敗もないし、むしろしっかりしすぎて、こっちが困るくらい…。
脚の他には、最近は手指の筋力も落ちてきて、指が上手く動かなくなった。でも、ここは義母は自分でいろいろ工夫し、着替えや簡単な家事(洗濯機を使う・簡単な料理)はやってのけた。極力、自分でできること&自分でやりたいことは、自分でしてもらうようにし、ただ危険が無いように私と夫でそっと見守りながら、義母の自立心を奪わないギリギリラインをキープしつつ、義母の自由を尊重してきた。
こんな感じで、絶妙なバランスを保ちながら、なんとか自由で自立した老後ライフを自宅で送ってもらっていたのだけど、今月に入ってから、急に義母の身体の老化が本格的に始まってしまった。脚や手に力が入らなくなってきたという。
今までは、家に来てくださる訪問リハビリの先生のご指導の下、義母は筋力トレーニングをコツコツ続けてきた。そのおかげで、ここまで現状維持でやってこれたんだけど、今の新たな状況を目の前にして、高齢者は赤ん坊の逆パターンみたいな感じなんだなぁ…と初めて知った。
赤ん坊の場合だと、ふにゃふにゃしていた新生児が日を追うごとに身体がしっかりしてきて、寝返りを打つようになり、ハイハイし、捕まり立ちをして、やがて歩けるようになる。これと同じ感覚で、老人の場合はみるみる衰えていくのである。歩ける距離が減っていき、行動や活動の範囲が狭まっていき、昨日できていたことが今日はカクンと出来なくなり、だんだん力が入らなくなり、動かなくなり…等々。以前は一年サイクルで老化が進む感じだったのが、今年に入ってから一カ月サイクルになり、今は日ごとに状況が変化している。スピード感が増している。それはまるで手指の隙間から砂がサラサラと零れ落ちるように、止めどなく一気に進んでいくのである。
それを今、義母の姿を通して見せつけられている。
これは私もいつか行く道なんだなぁ…と思う。しかし、これからどうなっていくのか…全く見当がつかない。アラウンド100の未知の世界。おそらく義母自身が戸惑いと不安を感じているだろう。私たちも覚悟しなくてはいけない。いろんな思いがあふれてきて、うまく言葉で表現し尽せない。
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