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根津美術館 【よめないけど、いいね!展】秀逸キャッチフレーズ

企画展「よめないけど、いいね! ─根津美術館の書の名品─」が、2022年7月16日(土)から8月21日(日)まで開催されていた。

今回の展示でとにかく良かったのは何と言っても「要するにどういった書か?」というのが一目で分かるシンプルなキャッチフレーズ。記憶に留めておきたくて全部メモした。

後日フレーズを見ただけで「あの書だな」と思い出せる。そして、記憶に残るスーパー分かりやすい面白解説。これホント画期的だった。「秀逸フレーズ」と「面白解説」が図録に載っているかなと期待したけどやはり記載なし、、

力尽きて解説は一部だけしか残せなかったので、公開してもらえると嬉しい。分からなくても楽しめる展示は最高だった。

第2弾開催の期待と、美術館の書の展示を見る度に手紙系の書はやっぱり一言一句まで書かれている内容を知りたいなと思うので、次は現代語訳まで記載して欲しい!

*入口から出口までの順に全部記載
*「  」内、キャッチフレーズ
*Twitter画像は、クリックすると書の全貌を確認可


◼️キャッチフレーズ一覧


観世音菩薩受記経(聖武天皇勅願経)

[重要文化財]
奈良時代 天平6年(734)
「1行17文字って知ってました?」



宝星陀羅尼経 巻第四

[重要美術品]
奈良時代 8世紀
「韻文の部分は一行何文字?」


大般若経 巻第二百六十七(神亀経)

[重要文化財]
奈良時代 神亀5年(728)
「正しく写すための厳重チェック」
奈良時代の写経は正確を期すために人を替えて2度3度と校正された。誤字脱字があれば罰金が科せられたという。この経巻の巻末には、書写者と初校・再校の担当者名が明記される


集異門足論 巻第八

[重要美術品] 
奈良時代 8世紀
「職種で定めされた写経所の報酬」


賢愚経断簡(大聖武)

奈良時代 8世紀 
「釈迦の骨を漉(す)き込んだ?という荼毘紙」



根本百一羯磨 巻第六

[国宝]
奈良時代 宝亀6年(775)
「国宝にだって書きまちがいはある」



法華経並開結

平安時代 11 ~12世紀
「よめなくても極楽へは行けるかも」



無量義経 

[国宝]
平安時代 11世紀
「400年以上の時を経て邂逅(※かいこう)した2巻」
 ※めぐり合うこと



鴦崛髻経

[重要美術品]
奈良時代 8世紀
「目をこらすと、筆の筆跡が見えてくる」



金光明経 巻第四断簡(目無経)

[重要美術品]
鎌倉時代 12世紀
「写経に転用された、制作途中の絵巻」



広弘明集 巻第十四・第十五本・第十五末(中尊寺経/清衡願経)

平安時代 12世紀 
「金の筆と銀の筆、交互に使う二刀流」
一行ごと交互に金字と銀字で書き分けた、金銀交書経の代表的な遺品。金字の行だけ一行おきに書き、間の行を銀字で埋める方法もあるが、脱行の可能性が高い。一行ごと筆を持ち替えたのだろう。



大般若経 巻第六百ほか(春日若宮大般若経)

鎌倉時代 13世紀
「600巻、わたしひとりで書きました」



小島切(斎宮女御集断簡)

平安時代 11世紀
「ダイヤモンドダストのような雲母砂子」


難波切(万葉集 巻第十四断簡)

平安時代 11世紀
「万葉仮名は、平安貴族もにがてだった」
8世紀成立の万葉集は、漢字の音や訓を借りた万葉仮名で書かれたため、10世紀にはすでに読みづらくなっていた。現存する11世紀以降の豪華本、万葉集は和歌を万葉仮名と平仮名で並記している。


 


伊予切(和漢朗詠集 巻上断簡)

[重要美術品]
平安時代 11世紀
「漢詩に訓点を付けたのは誰?」


太田切(和漢朗詠集 巻下断簡)

平安時代 11世紀
「右側の雲母模様が見えたら視力抜群」


名家家集切(是則集断簡)

平安時代 11世紀
「ちぎれ雲に見立てられた料紙装飾の技法」


尾形切(業平集断簡)

平安時代 12世紀
「雲母摺りの模様はまるで綾織物みたい」



石山切(貫之集下断簡)

平安時代 12世紀
「読めないけどスピード感が気持ちいい」



山名切(新撰朗詠集 巻下断簡)

平安時代 12世紀
「それほどの名筆ではないけれど」



春日懐紙

鎌倉時代 13世紀
「再利用されたからこそ残った筆蹟」



居涇墨蹟 尺牘

中国・元時代 13 ~ 14世紀
「中国から届いたお悔やみ状」



一山一寧墨蹟 進道語

鎌倉時代 正和5年(1316)
「元王朝のスパイと疑われて」
一山は朝貢を督促するための元の正使として来日。元軍の再来を恐れた鎌倉幕府によって伊豆修善寺に幽閉されたが、許されて鎌倉の建長寺に迎えられ、正統の臨済禅の興隆と朱子学の普及に尽くした



無学祖元墨蹟 附衣偈断簡

鎌倉時代 弘安3年(1280)
「まさか切り取られているとは!」 
江戸時代の記録とその照合によれば、冒頭の五行と小字部分の一行目が切りつめられている。茶の湯の床に飾るために、切断再構成されたのである。はなから読むことを放棄しているかのようだ。



龍巌徳真墨蹟 偈頌

中国・元時代 至順2年(1331)
「海外留学の証明書としての墨蹟」



宗峰妙超墨蹟 法語

鎌倉時代 元亨2年(1322)
「師の墨蹟は、師そのもの」



一休宗純墨蹟 偈頌

室町時代 康正3年(1457)
「一休さんとは気安くよべない」



五徳義書巻 後陽成天皇筆

桃山時代 16 ~17世紀
「大名が師弟に与えた教訓書」 



百人一首帖 智仁親王筆

江戸時代 17世紀
「記憶をたどればよめるかも」



書状 近衛信尹筆 

桃山時代 16 ~17世紀
「狂歌の内容は伝わった?」





書状 本阿弥光悦筆

桃山時代 慶長10年(1605)
「書いた順を無視してはよめません」
桃山〜江戸初期の能書光悦は、私的な手紙ではこんなにも奔放な筆遣いを見せる。文章が長い時は、最初の余白に、さらには本文の各行の間に書き込む。右から順に文章を読んでも文はつながらない。



和歌色紙 本阿弥光悦筆

桃山時代 17世紀
「古筆の料紙を蘇生させた光悦」



和漢朗詠抄 本阿弥光悦筆

江戸時代 寛永3年(1626)
「徳川家康も心配した光悦の体調」 
光悦は50代半ばで脳卒中を患った。後遺症(中風)で手が震え、それが書にも表れる。家康が心配して中風に効く薬をたびたび光悦に授けたと伝えられる。この作品は比較的震えが少ない



新古今和歌集抄 松花堂昭乗筆

江戸時代 寛永14年(1637)
「松花堂弁当の語源はこの人」



新古今和歌集抄 尾形宗謙筆

江戸時代 寛文12年(1672)
「光琳・乾山の父も文化人だった」



天地二大字(大天地)良寛筆

江戸時代 19世紀
「渾身のひと筆でつないだ天と地」



飲中八仙歌 池大雅筆

江戸時代 18世紀
「本当に酔って書いたのかも」



一行書 良寛筆

江戸時代 19世紀
「点と弧のこころよいリズム」



詩稿 良寛筆

江戸時代 19世紀
「書けそうで書けない良寛の楷書」


以上、展示されていたもの全て

◼️特集展示 藤原定家「明月記とその書」

この読めないけどいいね展がきっかけで、
書の魅力あふれる東京国立博物館の展示に行ってきた


◼️読めないけどけど、いいね!




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