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広島長崎が出ない『オッペンハイマー』日本人には納得できない内容だからこそ見るべき!

先週、アメリカで現在公開中の『オッペンハイマー』を見てきた。
わたしの予想とはまるで違っていたストーリーと、アメリカ人が抱く原爆と、日本人が抱く思いとのギャップについて書いてみたい。

バーベンハイマー効果で、莫大な売上に


アメリカでは、同日に公開となった『バービー』と『オッペンハイマー』をあわせた『バーベンハイマー』という造語も誕生して、同じ日に2本観る観客たちも続出した。

その相乗効果もあってか、『バービー』は全世界で8億ドルの興行収入を記録し、圧倒的にボックスオフィス一位。
そのあとに『オッペンハイマー』が続いて、4億ドル以上の興行収入を記録している。
当初、シリアスな内容で、サマームービーとしてはヒットしないだろうといわれていた作品にしては好成績だ。

アメリカでは、バービーと原爆を組みあわせた『バーベンハイマー』のミームがオンラインで溢れたのだが、日本からの批判があいついだ。

アメリカでは公開にともなってミームがオンラインに溢れた


映画『バービー』の公式アカウントは、ミーム画像に「忘れられない夏になりそうです」と、返信ツイートしたのだが、批判を受けて削除。配給元であるワーナー・ブラザース・ジャパンが正式に謝罪した。

またジャパン社が、アメリカの公式アカウントによる返信は「極めて遺憾」であるとし、本社に「然るべき対応」を求めていると付け加えて、これは良い動きだったと評価できる。

それにしても『バービー』と『オッペンハイマー』をミームにできるアメリカの無神経さはどこから来るのだろう。それには日米の意識差がある。


想像とは違っていた『オッペンハイマー』



じつは、私自身は映画を観るまでに躊躇があった。
日本人として「原爆の父」の映画を観ることは、広島や長崎の悲惨な戦火を見るはずであり、それに耐えられるかわからなかったのだ。

勝手な想像としては、原爆の使用に葛藤がある物語だと思っていたのだ。
原爆を開発するオッペンハイマー博士、だがその破壊力に、はたして使用していいのか人間として悩みぬく。
しかし大統領の指令で、エノラ・ゲイから投下される原爆、阿鼻叫喚、焦土となる広島、焼き爛れた人たち。

そんな物語を想像していて、映画を見たらどれだけショックで、打ちのめされるか。と不安だったのだ。

ところが実際の映画はまったく違った。
え、そこ?
というところにフォーカスが絞られていて、広島長崎がまったく出てこない。

映画のなかでは、ナチスとの戦い、そしてそのあとはソ連との冷戦が主眼となっていて、日本との戦いの割合はかなり小さい。アメリカ側から見たら、こんなものなのか、と肩すかしを食らうほどだ。

結論からいうと、本作を見ても衝撃で立ち上がれなくなる、といったことは一切ない。

なぜならテーマが「原爆」ではなくて、「政治に翻弄される科学者」の物語だからだ。


ノーラン節はあまりない作品



この映画では、オッペンハイマー博士が、原子力爆弾を作っていくまでの過程と、戦後のアカ狩りで、公聴会で問われるオッペンハイマー博士の話が平行して語られる。

わたしにとってクリストファー・ノーラン監督といえば、「メメント」であり、「インセプション」「インターステラ—」「テネット」など、意識と潜在意識、あるいは記憶と記憶の改竄、時間と空間、現実と虚構などが入り混じる、独特の作風が特徴だ。
一回見終わってから、もう一度見て初めてよくわかる作品が多い。

今回の作品でも物語は時間を行ったり来たりするものの、「ノーラン節」は薄い。

ダンケルク」では、実際に攻撃されるイギリス軍の恐怖やパニックが生々しく、兵士たちが命からがら戻ったイギリスで、「戦え!」と鼓舞するチャーチル首相の演説を聴き、絶望を感じるという図がよく伝わってきた。

今回はそういった攻撃される対象としての痛みはまったくなく、研究者たちは砂漠のなかで、世界と隔離されて、爆弾を作っているのだ。

ノーラン監督にしては、まったくアクションがないセリフ劇であり、舞台劇でも観ているかのようだ。

博士の葛藤も、原爆を使用する人道的問題よりも、妻と愛人との間のジレンマに悩んでいるように見える。

キリアン・マーフィが演じるオッペンハイマー博士



アメリカ人側から見た原爆のギャップ



映画のなかでは、原爆を日本の都市に原爆を投下した場合、「死者の数を2~3万人」と推定していて、かなり被害を過小評価していたようだとわかる。

原爆の実験にも、研究者や軍関係者は、ビールを持ったり、日焼け止めにサングラスをしたりして、物見遊山のように見学しているのだ。

原爆の開発は、当時の金額にして2ビリオンダラーの予算をかけた国家の大事業だったのだから、失敗は許されない。

そしていったん原爆を作ってしまったら、それはもう科学者の手を離れて、どう使うかは為政者の判断になる。

ロス・アラモから運びだされる原爆は、あたかも売られていくドナドナの牛のように見えた

そして実際に投下されたことを、博士たちは、ラジオ放送によってようやく知るのだ。
ロス・アラモの研究者や軍関係者が、アメリカの勝利に歓喜して拍手するシーンは、日本人観客としては、愕然とする場面だろう。


赤狩りで追われるオッペンハイマー



オッペンハイマー博士は戦後、水爆に反対したことで、公聴会にかけられ、共産党と係わりがあることを糾弾されて、公職から追放される。

戦争に勝つために、原爆の開発に駆り出され、ジャマになったら、今度は追放される。
科学者が政治に翻弄され、そしてその開発した技術は、もはや手に負えないところに発展していくというのは、AI開発についての隠喩でもあるだろう。

そんな映画のなかで広島や長崎の悲惨さを描かなかったのは、まったく片手落ちだと感じる。

原爆被害を伝える報道を見るシーンはあるのだが、フィルムそのものは一切見えず、ショックを受けているというオッペンハイマー博士しかわからない。

ここで当時の歴史的フィルムを挟んで欲しいところだった。

そしてまた政治をからめるのならば、当時アメリカでの報道では、放射能の被害を過小に伝えていたことも加えて欲しかったところだ。

恐ろしいパンドラの箱を開けてしまったことにオッペンハイマー博士は悩むのだが、実際のところ、この映画ではまったく恐ろしさは伝わらない。


マット・デイモンが、原爆開発の「マンハッタン計画」を指揮する
レスリー・グローブス准将を演じる


原爆をよく知らないアメリカ人


とはいえ、もし広島長崎の映像や描写を入れたら、これはもうそのシーンの衝撃が強すぎて、アメリカ批判の映画になってしまっただろうとも想像できる。

アメリカに住んでわかったことなのだが、じつはアメリカ人は原爆をよく知らないのだ。
いや、むしろ日本以外の世界の人たちはほとんど原爆について知らないのではないだろうか。

日本にいると、「原爆の恐ろしさを誰もが知っている」感覚になるが、日本で毎年8月になると報道されるような映像は、アメリカでは流れない。

アメリカでは毎年「ノルマンディー上陸作戦記念式典」は大々的に報道されるが、太平洋戦となると出てこない。

アメリカでは、今回の『バーベンハイマー』の画像はさっそくTシャツになって売られているし、キノコ雲のTシャツも前々から売られている。それに対して不謹慎であると考える風潮もない。

アメリカでは、原爆を落としたのは正当だったと考える人が今でも60% を超える。
すでにドイツは敗れ、日本の敗戦は色濃かったのに、それでも戦争を早く終わらせたという考えが多いのだ。

映画のなかでも原爆投下をすることで、「これでわが国のboysが戻って来られる」というセリフがある。

だが、それでいて原爆の被害がどういうものであるのか、知っているアメリカ人たちは多くないだろう。
アメリカの歴史チャンネルやスミソニアン博物館の展示で「エノラ・ゲイ」が取りあげられることはあっても、日本の被爆者たちが出てくることはない。

アメリカ人が漠然と抱いている原爆のイメージとは、「ターミネイター2」に出てくるロスの破壊シーンのようなものではないだろうか。

閃光があがり、建物や人間や瞬時にして破壊する爆弾。
爆風ですべてがなぎ倒されて消えてしまう。

それは恐ろしいものだが、一瞬で終わるものだと誤解されている可能性が高い。
そのあと火傷を負った被爆者たちがどうだったのか、溶けて皮膚がたれさがっていたという悲惨な状態や、水を求めて亡くなった人たちの苦しみや、放射能を浴びた人たちがその後どうなったのか、さらに次世代にも与えた影響というのは、知られていないはずだ。

なぜならアメリカでは被害が報道されていないから。

日本で育った人間なら、毎年終戦記念日近くに観る映像や、教科書で習ったり、あるいは本やマンガで読んだり、原爆資料館や平和記念館に行って、なんらかの知識があるだろう。

わたしもかつて原爆資料館を見たあとに、打ちのめされて、立ち直れなくなった。
被災後の映像を見れば、原爆は絶対に使用してはいけない武器だとわかる。

原爆は、人類史上、最悪のジェノサイドであり、戦争犯罪だ。

けれども、それは日本以外の国では、さほど知られているわけではなく、「当然知っているはずだ」という前提で考えないほうがいい。


日本から「原爆」の認知度を高めたい



わたし自身は、『オッペンハイマー』が「片手落ちだから、見る価値もない映画」とは思わない。

映画としては、脚本が緻密に作られていて、俳優たちの演技力があたかも舞台劇を見ているようで、ことにロバート・ダウニーJrがすばらしく、アカデミー賞助演賞にノミネートされるのではないか。

ロバート・ダウニーJrが演じるアメリカ原子力委員会委員長のルイス・ストロース


この映画は日本でも公開されて、日本の人たちにも観て欲しいし、そこでアメリカ人の持つギャップに、意外な思いも抱いて欲しい。

だからこそ「もっと原爆について世界に知ってもらわないと」という気持ちになる。
当たり前だけれど、「知らせないと、認知されない」のだ。

この映画がヒットしたことで、なにより望むのは、映画を見た人たちすべてに原爆資料館を訪れて欲しいということだ。

広島サミットの後に、平和記念館への外国人来訪者が増えたというが、やはり「知られること」は来訪者を増やすのだ。

この映画のヒットによって、アメリカでも原爆について関心を持った人は少なからずいるはずで、オンラインで「現実の原爆はどういうものなのか」とリサーチする人たちも増えるだろう。

映画がヒットしていることから、アカデミー賞にもノミネートされるはずで、話題性は高い。
日本にとっては、原爆について世界に知らしめる機会にしたいし、発信できることはないかと考えている。

日本公開が決まったら、ぜひご覧になってみて欲しい。

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