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雪解ける価値観【子宮体がん記録⑨+複雑性PTSD】


入院まで1週間を切った。

最後の術前診察と麻酔科の説明日だった。

麻酔科の説明待ちが予想外に長く、待合室も混んでいて、落ち着かなかった。

とにかく人が多く、かつ慌ただしい。
手術センターが真隣だったので、手術終了待ちのご家族や病院スタッフさんが常に出入りしていた。

この病院は親族以外は立ち会いや面会不可なので、ここにいるのはどうしても【家族】の人たち。

パートナー、親子、兄弟姉妹、親族の喜怒哀楽の一部を垣間見ているような気分になった。

来週、2月25日には自分もこの中ひとつの手術室に入るんだな、と。待ち人はいないし、それに対しての思うことはなかったが、いやでも親を思い出してしまう。

心がチリチリ滲みるような鈍い痛みがある。



この前日、午後のまだ陽が高い時間。
私は何を思ったのか、二十年間連絡を取らなかった父の携帯に電話をかけた。

コンビニの帰り道。寒いな、風強いな、明日病院だな、なんて纏まらない思考をたれ流しながら歩いていた。

信号待ちで立ち止まって、時間を確認するために取り出したスマホなのに、気がついたら通話キーを押していた。

無意識に近かった。がん告知されてからずっと頭の中にあったから、脳が「もういい加減に決着つけろ」と司令を出したのかもしれない。

プルルル
プルルル

数秒の呼び出し音後、無機質な【おかけ直し下さい】のアナウンスに切り替わり、あっなくプツッときれた。

掛けておいてなんだが、まず繋がったことにびっくりした。
出なかったことには驚かなかった。

沈黙したスマホをポケットにしまう。

信号が青に変わったので、歩き出した。

冷静考えれば、もはや番号自体が他の人に移ってる可能性のほうが高い。

すでに父の番号ではないかもしれない。

だとすればただの迷惑電話である。

どっちにしても着歴は相手のスマートフォンに残った。


一応24時間のあいだは、着信がないか、履歴が残ってないかをバカみたいに気にしていた。


折り返しはなかった。

予想通りの結果だった。
がっかりもしなかった。



そうなるだろうとちゃんと解っていてかけた。




この二十年間、なにがあっても掛けられなかった。

つながっているかどうか分からないまま、糸の端っこを握りしめていた。でもとっくに切れていたようだ。私は一覧から【父親】のデータを消去した。

別に何も変わらなかった。





そんな余韻を残したままの今日だから、妙な寂寥感に支配されていたのだと思う。

血のつながり=家族ではないし、大事な友達もいる。

それでも私の中の捨てきれない【家族】という憧れは、心にべったりと貼り付いていて、なかなか剝がれてくれないのだ。

いらないと言われ、無いような扱いを受けて育ってなお、それでもいつかは【必要だよ、家族だよ】と言われるのを夢見ていた5歳くらいの私が、まだ心の中に住んでいる。

46歳になっても私は未熟で、ちいさな私を慰めることも叱ることも出来ない。ただ怖くて触れられず、遠くから眺めているだけだった。


つらつら昨日のことを思い返していたら、やっと説明の順番が回ってきた。
麻酔科医との面談が始まる。

しゃきしゃきとした若い女性麻酔科医さんからの話を聞き、そのあとまた別室で、今度は手術室の看護師さんからも話を聞く。

念には念を入れてのことだろうけれど、まさかここで待ち時間含めて3時間かかるとは思ってもみなかった。

最後の主治医からの説明にたどり着いた時にはすでに17時を回っていた。

最終説明では、手術による後遺症や危険性、当日どういった流れでやるかなどの詳細をていねいに話して貰えた。

大きな病院だし婦人科医も何人もいるし、チーム診療だから、執刀医は別の先生かもしれないなと思っていたのだが、執刀も主治医が担当だとここではっきり判明。

初診日に手術の空きを押さえておいた、というのは正真正銘【主治医の予定】キープした、ということだったのだ。

すでに先生をまるっと信頼している私は、それだけで安堵感が爆上がりだった。

前回に話をした個人的な心配事も再確認があり、最後に書類も渡される。

リスクの説明で不安になって怖がっていたのに気が付かれてしまい、何があってもちゃんとケア出来るから安心してね、と慰められ、気恥ずかしい気持ちで診察室を出たら、もう18時近く。
会計は終了してた。

これは退院時にまとめて請求するからと、そのまま急ぎ足で病院を出た。

真っ暗になった帰り道、また父のことを思い出した。

わかりやすく、父親とちいさな女の子がコンビニから手をつないで出てきたのに出会ったからだ。
女の子は唐揚げ串を持っていて、ずっと笑ってた。


スマホから情報を消しても、私の中の記憶は消えない。1日くらいじゃ何も変わらない。

それでも、自分から電話をかけられたこと。
アドレス帳から消せたこと。

何十年も出来なかった分厚い氷に阻まれていた拘りは、がんになってショックを受けて、自分の力ではどうにも出来ない変化によってヒビが入ったからこそ、手が届いた。

もっと自分自身にアクセス出来るようになりたい。

どんどん融けて、流れていけばいい。


そしたら、【親からの愛のようなもの】を諦められないでいる幼い私に「もういいよ、あんたは親なんていなくても生きていけるよ」と言ってあげられるんじゃないか。


それはきっと今の【46歳の私】をも動かす流れに繋がるんじゃないか。


癌にならなきゃ、きっとこんな風には変われなかったかもしれない。

癌になって、色んな人と強制的に関わるようになったからかもしれない。

凝り固まった価値観にもヒビが毎日入ってきた。


つい3ヶ月前までは永遠に続くとさえ思っていた歪な日常は、こんなに簡単に変わるものなのだ。

なんだかおかしくなって笑ってしまった。



声を出して夜道で笑う変なオバさんは、今晩何食べようかとスーパーの明かりに向かって早歩きを開始した。




つづく。


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