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「努力」とかは嫌いだけどでも人生ですべき努力があるとしたら「ご機嫌でいること」だと思う

こんにちは!いけかよです。

みなさんは、「努力」ってしていますか?
いけかよはついがんばっちゃう人なので、努力っぽいことはけっこうしてしまうタイプです。やりすぎるきらいがあるので、そんな自分がなかなかコントロールできず、嫌になることもあります。

時代はどんどん変わっていくし、「努力」のありかたも変わっていく気がします。個人的にも根性論的なものは好きじゃないので、きっと、理想は努力を努力とも思わないでやれることを積み重ねていくっていうのが、幸せな生き方なんだろうなと思ったりします。

とはいえ、まったく苦しい努力が必要ないなんて思いません。かといって、その方向性を間違っていたら努力は無駄どころか害になることもあるでしょう。
そんな、いまとなっては「取り扱い注意」な「努力」というもの、人生においてあえてすべき努力があるとしたら?と考えてみました。

気持ちには「重力」がある

答えから言ってしまうと、それは「ご機嫌でいること」だと思うのです。「なんだそんなこと?」とお思いでしょうか。
でも、いけかよは気持ちには重力があると思っていて、ほっといたら落ちていくものだと認識しているんです。つまり、ほっとくとどんどん落ちていって、勝手にご機嫌になることはないということ。

なんてことを思っていたら、名著に同じことを書いておられる方がいました。

アランさんのおっしゃることには全面的にアグリーです。
なにかのスキルを磨くことだとか稼げるようになるだとかいったことにももちろん努力が必要だけど、その場合重要なのはそれよりも「積み重ね」だと感じます。だから、自分には向いてないなって思ったらさっさとやめて違う方法を模索すればいいと思うのです。

でも、努力してでも、歯をくいしばってでもやれたほうがいいなと思うのは、ご機嫌でいること。「歯を食いしばってでもご機嫌でいる」って、ちょっと論理破綻している気もしますが、いけかよのなかではそういうイメージ。

つまり、どんなときでも自分にとって明るいほうの未来を描くこと。
一見ネガティブに見えることが起きても、それは自分にとってベストなことが起きているんだと信じること。
拗ねてもいじけても絶望しても、最後には前を向くこと。
自分を許すこと。

はぁ?!そんな綺麗事はもうええわ!そんなことできるかい!とお思いでしょうか。
ええ、わたしも同じ気持ちです。
だからこそ、「努力」が必要なんです。

ご機嫌でいるための努力を構成する3要素

苦痛や心理的抵抗やめんどくささを伴わず達成できることに努力は必要ないですよね。だから、いつもいつもご機嫌でいるというのは努力だといえるんです。

じゃあ、その「努力」とは具体的には何なのかを、いけかよなりに紐解いてみるとそこには、3つの要素を見出すことができました。

①自分を知る

まずはとにもかくにもこれだと思います。自分は何が好きなのか。どんな人が好きなのか(そもそも人間が好きなのかどうか)。どんな状況だと元気が出て、どんな状況だと元気がなくなるのか。
ほかにもいろんな角度で自分というものを分析することができると思いますが、なかなかに自分を知るというのは難しいものです。性格って変わっていくし。

ちなみに、いけかよは自分を含めた人間分析が大好きで、たとえば星占いだとか動物占いだとかの性格診断が大好きなんです。チームエラマをはじめ、フリーランス仲間や仕事仲間とはよくそれで盛り上がります。
最近だと、数秘とか四柱推命とか月星座による診断もおもしろい!
もちろん、これらの結果に振り回されるのではなく、ポジティブにいるために活用するんです。

そんなツールも使いながら自分というものの輪郭をはっきりさせていくわけですが、ここで難しいのは、世の中的には是とされていることでも、自分には合わないことがあるということ。その逆もしかり。
たとえばいけかよに関して言えば、世の中的にはまだまだ1つの企業に長く勤めることが良しとされていますが、これがまったく肌に合わなかった。結果的に、2018年にフリーランスになるまでの約14年間、転職を30回ほど繰り返すことになったのです。

こんなふうに、「世間」だとか「常識」だとかによる無意識の刷り込みに惑わされると無駄に自己否定をし、自ら生きる力を消耗させてしまいます。「こんな自分はダメなんだ」という呪いを、自らかけてしまうわけなんですね。
だからこそ必要な要素が、その②に続きます。

②絶対に自分を否定しない

これも、なかなかに難しいことかもしれませんね。ごくまれに、息を吸うように自分を100%肯定できる人もいますが(そう見えるだけなのかな?)、多くの方は「ああ。自分はなんてだめなんだろう」と思うことはままあるはずです。

なにかネガティブなことが起きたり、目の前の人が不機嫌だったりしたら「自分のせいなのかな」なんて思っちゃったり、「こんな自分じゃダメだ」とずっと自分にムチを打ち続けたり。

いけかよにとっても、これはとても難しいことです。
でも、あるとき仕事もプライベートもぐっちゃぐちゃになって本当に本当に「このままじゃヤバイ」と思ったとき、自分自身を否定することは、崖っぷちに立っている自分の背中を自ら押すような行為だと気づいたのです。

世の中的には「自己肯定感」なんていう言葉がある意味ブームのように便利使いされているように感じるところもあります。正直、じゃっかんの皮肉を込めて冷めた目でその動きを見ている自分がいますが、「自己肯定感」なんて堅い5文字熟語を目の前に差し出されて、その言葉の本当の意味と重みを真に理解できている人は少ない気がします。

その証拠に「自己肯定感」は基本的に「自分はそれが低い」という文脈で多用され、「だから自分はだめなんだ」「だからこうなっちゃうのは仕方ない」という三段論法になっているからです。
でもそれって、あまりにも幸福になるための努力を放棄してないでしょうか。

ていうか、そもそも「自己」を「肯定」するって、そんなに容易いことでもありません。肯定すべきでない自分だっているはずです。たとえば「あいつを絶対に殺したい」とまでの憎しみを抱いた自分自身を肯定してしまったら、そこには血みどろの悲劇しかおきないわけですから。そういう意味で、自分を「正しく」肯定するってとっても難しいはずなのです。

これは極端な例にしても、いけかよが大事だなって思うのは「肯定」っていう100%ポジに振り切った行為はハードルが高いから、せめて「否定」っていう100%ネガにはいかないように、心を配ろうということ。
そして、100%ポジの肯定に振り切ってしまうことによる弊害=傲慢さとか開き直りとか責任の放棄とか、そういうことにつながらないようにニュートラルにいるためには、「肯定しよう!」よりも「否定しない」くらいがちょうどいいなという思いもあるのです。

そのニュートラルさって、たとえばすごく大きな失敗をしてしまって周りに迷惑をかけたとしたら、
「ああああ。あたし、最低や……。まあでも、そう思っちゃうのはしゃあない。そんだけのことしてしもたんやから。こっから巻き返しや。今の自分になにができる?」
みたいな自分への声掛けのイメージです。プラスにもっていくことはできないけど、なんとかマイナスにはならず0で踏みとどまってる、みたいな。

自分の思考回路を見つめてみたら、いかに自分が安易に自分を否定しているかに気づくはずです。
「ああ、またやっちゃった」とか
「もうだめだ」とか
「あれもこれもできなかった」とか。

そんな言葉が浮かんできたとき「ちょっと待て。ほんとにそうか?」といったん立ち止まって「大丈夫!」くらいまで持っていけたら、それは「否定しない」の成功なんじゃないかって思います。

③世界を見る目を養う

最後の要素は、なんだか偉そうな表現になっちゃったのですが、だってこの言葉が浮かんだんやからしゃあないやん、ということで、解説させていただきます。

いけかよの思う「世界を見る目」というのは、ものごとをどのように捉えるかという「解釈」とも言い換えられます。

長く生きていると、人生にいくつかの「転機」といえるものが発生します。その転機って、リアルタイムではけっこうな苦痛を伴うものだったりしますよね。でも、だからこそ「あれがなければ今の自分はない」と言えるような、その後の幸せな今につながっているはずなのです。そう思うと、起きる出来事に対する解釈が変わってきますよね。

そういう経験をたくさんすることが、世界を見る目を養う1つの方法です。

また、同様に、物事には表と裏、陰と陽ともいうべき側面があって、そのどちらもをわたしたちは受け入れていかなくてはいけません。ついそこに「いい」とか「悪い」とかのラベルをわたしたちは貼りたがって、その「いい」ほうだけを受け取りたがるけど、そもそも起きるできごとにいいも悪いもないですから。それを、いかにじたばたしないでニュートラルに受け入れることができるか。自分にとっての適切な解釈ができるか、ということです。

そして、いろんな人のいろんな人生を知ること。それは決して自分が出会う人たちや現実に存在している人たちだけじゃないと思っていて、映画やドラマや小説やマンガやゲームなど、物語のなかの登場人物もしかりです。

「ストーリー」という意味では、フィクションもノンフィクションも、わたしたちにとっては世界を見る目を養う尊い「教材」なんです。

そういういろんな生き方を知っていくことで、「大丈夫」と人生をより信じられるようになる気がします。その気持ちが、自分がご機嫌でいるための努力を後押ししてくれると思うからです。

まいっか!

相変わらず今日も生真面目で回りくどくて理屈っぽいことを4000文字も使って書いちゃったな…と思っています。途中で読むのやめちゃう人もいるかも…とも思います。
でも、最後まで読んでくれる人もいるかもしれない、って思っています。

こんなふうに、最後はとりあえずポジで終わらす、ということも、努力のひとつと言えるかもしれません。重力のある「気持ち」をぐいっと持ち上げるためには、それだけの筋力が必要。重い荷物を持ち上げるときに「ヨイショ!」と言うように、重たい気持ちを持ち上げるときに自分にかけたい言葉は「まいっか!」だといけかよは思っています。

でも、こんなふうにみなさんが各々で「気持ちヨイショワード」を持っておくことはステキな処方箋かもしれません。

まずは、それから考えてみましょっか。

では、また!

Text by いけかよ(よむエラマ編集長/エラマプロジェクトCPO)


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