見出し画像

ニラを忘れた餃子が教えてくれたこと:心の中に残る小さな重荷

餃子を作るとき、私はいつも手作業に集中し、心を落ち着かせる瞬間を楽しんでいます。slow downです。材料を揃え、具材をこね、包む一連の流れは、まるで儀式のようなもの。禅であり、静寂です。だからこそ、私は餃子作りには特別なこだわりを持って臨んでいました。それなのに、今回結果として感じたのは、小さなミスが心に残す影でした。私の心の平穏はニラの悪魔に乱されたままです。

私の餃子のこだわり

私は餃子にニンニクを使いません。その代わりに、生姜を多めにして風味を効かせ、ニラをたっぷり使うのがこだわりです。餃子の風味を引き立てるためには、生姜のピリッとした風味とニラの香りが欠かせません。今回も、いつも通りたっぷりのニラと生姜を準備し、具材をしっかりとこねました。手に感じる具材の感触は、しっかりとまとまっていて、普段よりも楽に混ざっていくような気がしました。十分にこねたことに満足し、次のステップへ進んでいましたが、その時も心の奥底にある違和感は消えていませんでした。あるべきニラが、その具材の中にはなかったことに気づいていなかったのです。

白菜の高騰とキャベツへの妥協

餃子作りのスタートから、今回の違和感は始まっていたのかもしれません。いつもなら使う白菜が、思わず目を疑うほど高騰していて、仕方なくキャベツを選びました。「キャベツでも美味しいはずだ」と自分に言い聞かせつつも、心のどこかで納得しきれない部分があったのは確かです。これまでの流れとは違う選択が、自分の中で微妙なズレを生んでいたのかもしれません。

23という数字の偶然

餃子の皮は市販の23枚入りものを使いました。この23という数字は素数で、私はその偶然に少し微笑んでしまいました。これも何かの縁かもしれない、と感じながら、一つひとつ丁寧に包んでいきました。しかし、その瞬間も、心のどこかで小さな違和感が残っていました。でも、それが何なのかはまだ見えていませんでした。

焼き始めてからの気づき

餃子を焼き始め、皮がパリッと香ばしく焼けていく匂いに包まれたとき、ふと頭に浮かびました。「あれ? ニラが入っていない!」すでに包んでしまった餃子たちを前に、すでに引き返すことはできません。ニラは餃子の中にはなく、まだ冷蔵庫の中。私は餃子にニラを入れ忘れたのです。

どうしてこんな大事なことを忘れてしまったのか。気持ちは揺れましたが、焼き上がった餃子の見た目は完璧で、美味しそうでした。

美味しさの一時的な救い

食べてみると、餃子は確かに美味しかった。厚いモチモチの皮、キャベツと生姜のさっぱりした具材、そして少量の大根おろしとポン酢のさっぱり感。さらにすりだねを加えることで、辛味と深みが増し、餃子そのものは間違いなく美味しいものでした。すりだねは、山梨県富士吉田市発祥の辛味調味料で、唐辛子をベースにごまや山椒が加えられています。ただの辛味ではなく、香ばしさとコクが増し、餃子の味わいが格段に引き立ちます。

その瞬間、ミスを一度は忘れることができたように思いました。しかし、その感覚は長くは続きませんでした。

翌日の重い感情

翌日、目が覚めたとき、頭に浮かんだのは餃子の美味しさではなく、ニラを忘れた事実でした。「どうして気づけなかったんだろう?」という思いが、心の中で重くのしかかります。具材をこねているときも、包んでいるときも、いくつもチャンスはあったのに、そのすべてを見逃してしまった。美味しかったはずの餃子よりも、忘れたことへの後悔が心に残っていました。

心の中に残る違和感

そのミスがすべてを台無しにしたわけではありません。それでも、苦い後味を残しています。うまく対処できない小さな重荷。違和感に気づいていながらも、結局そのまま過ぎ去ってしまったことが、今でも心の中に残り続けています。次に餃子を作るとき、その影がまた顔を出すかもしれないと思うと、少し怖くなります。同じようなミスが餃子以外でも発生するかもしれないと思うと、怖くてたまりません。ニラの悪魔はいつでもどこでも現れます。「立ち去れニラの悪魔」と祈るばかりです。


最後に、今回作った餃子の写真を載せておきます。見た目は完璧で、香ばしく焼き上がりました。食べた瞬間も美味しかったことに間違いはありません。

2024年9月初めのニラを忘れた餃子