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新たなルーティーンと新たなチャレンジ

2024年のルーティーンと、その中でチャレンジしたこと。
年齢も40歳になると、新しい習慣を作ることは難しい。何事も自分の中で出来上がっている習慣を崩すことになるし、仕事に追われている毎日に新たな習慣を作るということは、出来上がった時間割に、新しい時間を捻出しなければならなくなるからだ。

当たり前だけど、24時間は皆平等で、どうやって24時間の中に、新しい趣味だったりの時間を作り出すのか。

思えば、小学校の時の夏休みは永遠に続く気がしたのだけど、今は1ヶ月など、秒で過ぎてしまう感覚になってしまった。

睡眠7〜8時間、そして仕事8時間、もうここで約16時間使っていることになる。

残りは8時間しかない。この8時間の中で、食事や家族との団らんを2時間ほど入れて、残りは6時間。

お、あと6時間もあるじゃん、と思うのだけど人間はロボットのように決められた動作を決まった時間に動くわけではない。この6時間の中に、要はだらける時間が出てきてしまう。

最大の敵は自分なのだけど、そんな自分に負けてしまい、誘惑にいざなわれて気付けばYoutubeをクリックしている。特別見るものがあるわけではないのに、とりあえずの10分が気付けば1時間になっていたりする。

結局3〜4時間ほどを自分の勉強に充てる。

私は決して器用な人間ではない。どちらかというと不器用だ。理論的に物事を考えるのは苦手だし、人との付き合いも得意な方ではない。

あれ、タイトルから話がそれてしまった。

2024年に新しく取り組んだ習慣だった。
そう、それは運動と、長編脚本を書くこと。

運動は、週2〜3で大体1時間ほど、筋トレとウォーキングをする。
4キロ落とした。でもまだ見た目の体型はだらしない。でも継続している。

さらに、脚本を書く。これを続けている。毎日1時間とにかくパソコンに向かう。脚本を書くって書いたけど、パソコンで「書く」と簡単にタイプできるほど、簡単なものではない。アイデアの火種を膨らましていき、登場人物が生まれてきて、そして、リサーチに追われる。

書くことは苦手だし、要領よくリサーチもできないし、すぐ集中力を切らすし、台詞を書くのも苦手だし、でも書いている。

気付けば、シーンが1つ出来上がり、それをただひたすら積み重ねていく。パソコンに向かえない日や、何も書けない日もあるけど、積み重なったシーンの1つ1つが、大きな1つになり物語になった。やればできる。

でも当たり前だけど、これが面白いか、面白くないか、この脚本が映画になるのか、これは分からない。もちろん書いている自分は良いものだと思っているのけど、評価するのは他人だ。

こんな分からないものなのに、なんで時間を割いてまでやるのか。

答えはシンプル。全ては、書かないと何も始まらないからだ。


私は映画を職業として食べてない。脚本を書いてもらえる人を雇えるほどのお金があるわけもない。あるのは、自主制作で映画を作って培ってきた経験だけ。

映画を作る過程の中で、お金がかからないパートは自分で脚本を書くこと。とにかく自分を信じて書く作業を続けた1年。

続いて、運動、脚本を書くという習慣の他に、別のチャレンジもした。

1つは長編映画の企画書を作って、応募したこと。現状書いているものとは別で企画書を書いた。先に結論を書くと、結果は落選でした。でも学びはあったし、チャレンジしてよかったと思う。またこの企画書を脚本にしていく作業がある。映画化されるか分からないけど。

続けて、チャレンジしたことは短編映画を作ったこと。またこのことに関しては詳しく書きたいけど、初めて縦映画?へのチャレンジ。当然、自己資金注いで作った。妻には内緒で。

この短編映画の脚本も当然書いた。

脚本家の人と比べると書いた量はほんとに微々たるものだし、書くことはなんらない嫌いだし、苦手だ。

最終的に何が言いたいかというと、結局『映画』が好きということ。長編映画を作りたいという想いがあること。だから行動に移している。小さくだけど。

改めて気づいたことだけど、

自分の想いや才能に蓋をしないこと。


ただ蓋をして割り切ることも大事だとは思う。その時間をもっと家族に充てるとか、もっとそのお金を旅行に使うとか。でも今はやらない後悔よりはやった後にする後悔の方がいい。でもこれでも半分蓋をしているのかな。つい3年前まではアルバイトしてそれを映画に注ぎ込んでいた。それが就職し、結婚し、現実を見るようになった。生きることも大事。

そんなこんなで2024年だったけど、2025年もチャレンジができる年にしていきたい。以前にも書いたけど、さらに新しい習慣を入れようと試みているからだ

不器用は不器用なりに、頑張るしかない。


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