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「好き嫌いしないで食べなさい」っていわれる意味に、今さら気づいた #noteフェス
給食ってよくできた仕組みだったなぁと今さら思う。
ときどき「このメニューは食べられない…」ってテンションの下がる日もあるけれど、考えずとも出されたものを食べ続けていればちゃんと体にいいものが摂れるってすごいよなぁ。
いざ自分の好きなものを自由に食べられるようになると、スーパーに行く度カゴに入れる商品は同じだし、苦手なものにあえてチャレンジしよう!なんて気、まったく起きない。
食べたいものを、ただひたすら食べる毎日。それは小さい頃の憧れだったはずなのに、やってみるとどこか寂しい気もしてしまう。
この話は、食べ物には限らない。
観るテレビ、聴く音楽、読む本も、わたしはわたしの好物ばかりを摂取する。
好きなものばかりに囲まれて、とても幸せなことには違いないけれど、視野は狭くなっていたかもしれない。
10月15日~17日に行われたnoteフェスでは、選り好みせずにすべてのセッションを受講した。
そうした理由は、フェスレポーターになったから。せっかく積極的に参加できる立場になれたのだから、準備されたプログラムにはできるだけわたしも参加しようと決めていた。
おかげでわたしはnoteフェスで、選り好みしないことで新しい世界を広げられることを教えてもらった。
普段のわたしだったら、
・『スキを伝える音声の可能性』
・『自分が「ほしい未来」のつくり方』
・『スポーツ実況という創作』
に参加することはなかったはず。
音声配信は、興味がないわけではないしやりたいけれど、やれる気がしない。
お金や投資の話はむずかしくて苦手。
スポーツはオリンピックすら一つもまともに見ていないし、解説なんて亀梨君が出ているかどうかでしか聞かないし…
けれど、逆にこれらのセッションがおもしろかった!
音声配信は知らない世界すぎて、すべてを「へー、そうなんだ!」って聞くことができた。文章よりも気楽で気軽な発信であること、より素の自分を好きになってもらえるのが魅力と知った。りょかちさんみたいに、気の置けない人とおしゃべりして、それをリスナーさんにも面白がってもらえたら最高じゃん。早速、雑談を無限にできる友達に「音声配信やってみようよ」というお誘いとともに、アーカイブ動画のリンクを送った。
スポーツ実況、失礼ながらこんなに深くて考えられている世界だなんて思わなかった。試合の間、何を、どうやって聞いてもらうか。どんな風に伝えたら記憶に残してもらえるのか。わたしの今の発信方法は文章とデザインくらいだけど、実況はリズム!と聞いて、気づいたら前のめりで聴いてしまった。喋りのプロだけあってテンポも内容もよくて、トーク自体が楽しかった。
プランド・ハップンスタンスの考え方がとてもすき。計画された偶発性。
これまでは「人に誘ってもらったらできるだけ行ってみる」でそれを補ってきたつもりだった。学びに関しては、かなり自分の関心にかたよってしまったのかもしれない。
今回のnoteフェスは、1つ1つのセッションがよく練られていることはもちろんだけれど、3日間のフェスティバル全体を通してnoteの方がクリエイターの為になると思うものをつくってくれたんだよな、と、今更ながら気がついたりして。それを、わたしの独断と偏見で再編集しちゃうなんて、考えてみたらもったいないよなぁ……
今、目に入るだけでもたくさんの情報が手にとれるところになっていて、すべてを選ぶことはできないけれど。
給食とかnoteフェスみたいに、よく考えてくれて「全部食べるとあなたにいいよ」っていうものは、あえて選ばずに摂取してみようかなって思っている。
「出されたものを残さず食べる」は、大人になっても必要かも。
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