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橘玲(2021)『無理ゲー社会』小学館新書を読んで。
先日、橘玲(2021)『無理ゲー社会』小学館を読了。
こちらは、今年の必読書だと思う。注目されている本は、あまり読まない主義だが、それなりに評価されている意味がわかった。そんな内容だ。
本書が伝えようとしているメッセージは、非常にシンプルである。
私なりにまとめると「格差はどのように世の中が変化しようと頑固に存在し続ける」という事実である。
良いか悪いかを越えて、この一見厳しい現実をあらゆるデータや出来事を基に鮮やかにまとめている。
これを分かりやすく以下で説明する。
資本主義下の日本(世界もほぼ資本主義)では、お金をどれほど稼いでいるかが、最もわかりやすい能力を測るシグナルである。
これが、議論のあるベーシックインカム的な手法で、金銭的に平等に近づいたとしても、今度は「人からの好意や名誉」のような、見えないし数値化できないものに「比較のパラメーター」が移行するのである。本書では、このことを「お金は分配できるが、評判を分配することはできない。(264頁より引用)」という、極めて本質的な言葉にまとめた。
また、経済的格差が無くなった後に形成される社会を「評判格差社会」と名付けている。ちなみに、現代は「メリトクラシー(能力主義)」であり「知能格差社会」であるとされている。
このように、何かのパラメーターを均せば、まるでもぐら叩きのように、他の何かが、比較対象となるのが、「自然の摂理」であり「この世の常」なのだという認識を一層強くせざるを得なかった。
ちなみに、パラメーターは先天的なものか後天的なものかという議論も当然扱われており、こちらも学術的に論じてあるので、必見だ。
さて、子供の頃から意識するか否かに関わらず、ほとんど誰もが感じてきた、自らの位置。
社会不適合という烙印は、社会という物差しの中で意味を持つに他ならないが、社会はあまりに大きい。
そのような中で、誰もが自尊心を保ち、幸せに毎日を送ることは出きるのだろうか。それこそが希望であり、私が本書を読むに当たっての問いのたて方だった。
その問いに対して、本書はまたもや現実を突きつけるだけだった。
「きらびやかな世界のなかで、「社会的・経済的に成功し、評判と性愛を獲得する」という困難なゲーム(無理ゲー)を、たった一人で攻略しなければならない。これが「自分らしく生きる」リベラルな社会のルールだ。わたしたちは、なんとかしてこの「残酷な世界」を生き延びていくほかはない。(284頁より引用)」
これが問いの答えである。
私は、常々「どこかの、何かで誰もが輝けたら」と理想を想い描いて生きてきた。その思想が幸いなのか、本書によって覆ることはなかった。
皆さんも「良い悪い」や「好き嫌い」を越えて、いま生きている「世の中」、「社会」が「事実としてどういう価値観や仕組みの上に動いているのか」を「直視する」ことに、私は意味があると思うし、価値があると思う。
今年中に話題の本書を手に取ることをオススメしたい。
読了した後には、安易に「自己責任」という言葉を口に出来なくなるかもしれない。