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自分が想う辛さと幸せと

先日、Twitterで「ヤングケアラー」のことが話題に上がっていた。
どういういきさつかというと、どうやらこんな話から話題が出てきたのが原因だった。

妻を亡くして娘ひとりで育ててきたお父さん、娘は父親の為に毎日料理をつくり、父親の身の回りの世話をしてきた。
やがて娘は大人になり結婚するのだが、娘は病気で亡くなる前のお母さんと、「お父さんのこと頼んだよ。」と約束したので、まるでお父さんを自分の夫のように結婚するまで家事などをやってきたそうだ。
結婚式で娘から父への手紙の中で、生前の母親との約束を父に伝えたことで、娘よ、いままでありがとう!、という感動話だった。

しかし、今まで娘に自分のことを犠牲にしながら家事をし、お父さんの為に尽くしてきたこと、他人から見れば学業や自分のやりたいことを我慢して家の事をさせてる、という風に捕らえられたのか、それってヤングケアラーじゃん!と責められていた。

「ヤングケアラー」とは、
本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っているこどものこと。 責任や負担の重さにより、学業や友人関係などに影響が出てしまうことがあります。

厚生労働省より

わたしは、本人が望んでやってきたことだし、子どものうちに家事をひととおりこなすことができたと、娘本人の結婚式での手紙の中で言っているのだから、別に他人が可哀想と思わなくてもいいという意見だ。余計なお世話というか…

ところでちょうど同じタイミングで、noteで青豆ノノさんの「光り輝くそこにあなたがいるから」という作品を読んだ。

作品の中で登場するミズキと言う女性も、歳の離れた弟の世話を子どもの頃からずっとやってきたのだった。
しかし、そのお世話には辛さを感じず、弟のことを産んだ母親以上に強く想っていることが感じられた。

「僕」との出会いも弟が繋げてくれたものだと思う。お互いに毎朝海辺に通い会う日々は、特に連絡先を教え合わなくても自然に引き寄せられていたんだろうな。
早いうちに連絡先を交換し合えばいいのにと思ったけれど、「僕」が連絡先を教えない、それに自分の名前を長い間言わなかったのは、自分の未来を予想してのミズキへの優しさだったのかもしれない。

他人から見ればお話の最後まで幸せではないように見えるミズキ。でも彼女は幸せを感じながら、大好きな人たちが残してくれた場所で幸せを感じながら暮らしていく。それは読者にもモヤモヤを残さない感じで読み終えられる

13話からなる小説です。こちらからも読めます。

そうそう、このお話の中で出てくる重要なシーン、喫茶店での出来事は、まるでこのMVに出てくる喫茶店の情景にぴったりだと思ったので紹介します。

#創作大賞感想

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