読書記録:あなたの涙は蜜の味 イヤミス傑作選 (PHP文芸文庫) 著 辻村深月 宮部みゆき 乃南アサ 篠田節子 宇佐美まこと 王谷晶 降田天
【他人を蹴落としてでも幸せになりたい人間の身勝手さ】
人である以上の醜悪さを様々な角度で考察し、衝撃の結末が、心をどんよりとざわめつかせる短編集。
得てして、人は自分より幸福な人間を見てしまうと、心の片隅で憎らしくて、妬ましくてその人の不幸を願う卑しさを抱えているものだ。
情報が良くも悪くも拡散されやすい現代では、皆が相互監視の元で、他人の悪口罵詈を安全圏から伝える事で、日々に積み重なった溜飲を下げていく。
他人の何気ない言葉は思いの外、自分に残ってしまう。
自分に余裕がないと悪い風に受け取ってしまいがち。
そうやって、他人の言葉に傷ついている自分がいるのならば、逆に他人を自分の言葉が傷つけている事に想像が及ばない。
他人にされた事は好意よりも、悪意の方が心に刻まれる。
そして、そんな葛藤を繰り返しているのは自分だけだと、外部を遮断してふさぎ込む。
挫折や不安を味わった事がない人間を見ると、その楽天的な考え方に、苛々もさせられる。
そうやって気付けば、終わりがない蟻地獄のような狭い世界に閉じ込められる。
他人を不幸にしてでも、自分が幸せになりたい。
そう思ってしまったが最後、人の苦しみや涙を酒の肴にするような、世俗に塗れた最低の人間に成り下がる。
しかし、現実社会はそんなものなのかもしれない。
自らを高める努力よりも、他人を蹴落として堕落していくさまを眺める事に愉悦を感じる人が多いのだろう。
そんな暗闇は意外と多くの人が抱えているのだと、インターネットの世界に入り込むとひしひしと感じる。
この短編集で描かれるのは、様々な経緯を踏んだ作家達が、各々の価値観で人間の醜さをどこまでも赤裸々に描いていく。
「パッとしない子」
今は国民的アイドルの佑に関わった事があるのが自慢だった小学校教師の松尾美穂は佑に事実を指摘され、無自覚に佑達家族を傷つけていた事に絶望を味わされる。
「福の神」
幸福は実現すれば不幸にも繋がっている真実。
しかし、それを割り切れない人もいる。
何故、彼女の周りだけ上手くいくのか、そうやって他人を僻む事でしか、自分の心を宥められない。
「コミュニティ」
赤の他人でもそこに住むのなら、みんなが家族という団地で、簡単に他人名義のクレジットカードを共有する住人など。
まるで一つの共同体であるかのような、そこで営まれる怖気を震うような、奇妙な慣習に巻き込まれる。
「北口の女」
何者でもない事を知らされた四十路の女である磐梯山ミヤコは、演歌歌手になる夢を捨てきれない。
この夢を叶える為ならば、地獄へ心中したって構わない。
「ひとりでいいのに」
双子の姉妹の中で渦巻く愛憎、家族だからこそ、互いの悪いところを身に沁みて感じてしまう辛さがある。
互いが似ているからこそ、一人でいいと願ってしまう。
初詣に一緒に行って、それぞれが死にますようにと祈るほどの忌避感があった。
オーダーメイドの靴制作を依頼する中で、実の両親さえも騙す、入れ替わりトリックが行われる。
最後には婚約者の小説家の男によって、凄惨な死を迎える。
「口封じ」
死んだ魚のような目で、最初に嫌だと思った付添婦である太田孝枝の気持ちが如実に共感出来る。
「裏切らないで」
どんな風に自分を磨いて着飾ったところで、元々のポテンシャルが違うあの子には勝つ事は出来ない。 都会の華やいだ暮らしに憧れがあるが、自らの思い通りにならない女性の葛藤。
孤独から生まれてしまう空虚さが際立っていた。
幸福とは人それぞれの価値観でまったく異なるが、
噛み合わない幸せなど不幸に過ぎないし、その環境に溶け込めれば幸せなのかもしれないし、自らの今の持っているもので満足出来れば嬉しいだろうし、希薄な人間関係の中で自らの拠り所を見つければ、喜ばしい事なのだろう。
しかし、自らの幸せを他人の不幸の上で成り立たせようとすれば、もうそれは幸福ではない。
終わりが一向に来ない、飢え渇きに苛まれる地獄である。
人に関心がなくても、誰かと関わらなければ生きてはいけない。
どんなに嫌な人間であっても、自分と同じように思考して、自らの暗闇を割り切って生きている。
得体の知れなかった他人も自分と同じ一人の人間。
それに思いを浮かべてしまうと、他人と関わるのが無性に怖くなる。
誰だって、自分が落ち度のある化け物であると自覚するのは嫌なのだ。
他人に対して過度に思い込んでしまうのは、被害妄想であり、自意識過剰な現れでもあるが。
そうやって、人間の仄暗い嫌な心情を想像してしまうのは、自傷行為であり、そうやって暗闇に佇む事で安らぎを感じる、人の歪さがよく分かった。
自分が傷つけられた時は、声を大にして叫ぶ癖に、他人を傷つける事には自覚がないし、図々しく勘違いして、自らを思い上がって行動する。
他人の不幸を願う事は甘美な贅沢でもあるが、現代人は、自らの価値を目に見える形で証明されないと、不安で仕方がないのだろう。