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読書記録:神様の御用人5 (メディアワークス文庫) 著浅葉 なつ

【親しき仲にも礼儀あり、神も人もそれは変わらぬ】


【あらすじ】

晴れて御用人の本採用となった良彦。
しかし、生活がそれで潤う訳ではない。
交通費は自腹、福利厚生なしのブラック労働中。
相変わらず金欠であり、これといったコネクションもない。

だが、今回は九州遠征までさせられて、ある夫婦神の仲裁を命じられる。有名すぎる日本の英雄、や強烈なお供を連れた七福神の一柱と関わっていく。

彼らの無茶な御用のために、良彦は穂乃香の助けを借りながら奔走していく。
時間を共にする事で、二人の仲の進展はどうなるのか。
そして、あの超現実主義神職に神様が恋煩いに陥る、超展開が始まっていく。

あらすじ要約

様々な神の依頼を達成した良彦は、御用人本採用となる。次は夫婦神の板挟みを解決すべく九州に遠征する物語。


生者の信仰が弱まれば、神は力を失ってしまう。
眼には見えないものほど、大切に意識してあげないと、それはどんどんと国を守ってあげようという気持ちがなくなってしまう。
見えないからといって、そこにいない訳ではない。見えないからといって、ぞんざいに扱って良い理由にはならない。
神にとって、信仰心のない人の子とは、舞い散る木の葉であるし、流れゆく雨粒にしか捉えられない。
人々の神への信仰心がなくなっていけば、世界はやがてラグナロクへと進んでいく。

今回は、「邇邇芸命」「倭建命」「大地主神」「蛭子大神」の四柱の神様が登場する。
そして、七福神として馴染みのある蛭児大神(エビス様)も現れる。
宮崎県や鹿児島県を飛び回りながら。
記憶を蘇らせる為に良彦と穂乃花はサポートに徹する。
邇邇芸命と木花之佐久夜毘売の夫婦間の問題を覗き込むば、一朝一夕でいかない困難な問題が横たわっていた。
合わせ鏡との会話に夢中になって、神面の力を取り戻そうとする邇邇芸命と、それを阻止したい妻であ木花之佐久夜毘賣のいさかい。
それを解決する為の鍵となる、木花之佐久夜毘賣が祀られる富士山。
ようはかまってくれない旦那に愛想を尽かして、富士山へ別居したのである。

日本の英雄や七福神の一柱の力を借りて、いさかいをする夫婦達を説き伏せる。
その原因を紐解けば、なんだかんだ喧嘩をしながらも、本当は夫と夫婦の会話がしたい妻のささやかな想いであった。
妻は、鏡と話しに夢中になる夫に振り向いて欲しかった、寂しいという繊細な乙女心からくるものであった。

次の御用は、倭建命の親から愛されなかった悲哀から人面鳥状態になったという悩み。
見た目は半人半妖になっていたが、彼は父親の愛を求めていた。
兄を殺めて、父親に疎ましく思われているからこそ、非力な美しい白鳥へと姿を変えて、父に愛して欲しかった。
子供はどんなに親から虐げられても誉めて欲しいものだし、喜んで欲しいし、愛しても欲しい。
それは、どれだけ時代が変化しようとも変わる事がない。
人面白鳥になった彼の願いを聞き届ける事で、無事に王子様へと姿を戻す。

そのまた、次の御用は七福神の一柱の蛭児大神の力を借りる為に、足が悪くて歩けないはずだったが、どこにでも行ける草鞋を履いた彼の行方も探す事になる。
その草履は漁師であるキスケが彼に奉納してくれた大切なもの。
それのおかげで、足に障害があるせいで親に捨てられた蛭児大神も、駿馬の如く自由に世界を駆け巡っていた。
彼の所在は意外なところで判明していく。

それから次の御用は、良彦の幼馴染の藤浪孝太郎に恋する、幼女姿の大地主神。
自らの縄張りとなる地鎮祭を孝太郎に執り行って欲しいとの事。
彼女が恋をする原因となった地鎮祭の由来。
日の本の土地は、本来は神のものであると考えられており、人の子が神に土地を借りて、田畑を作って、家を建てる際には、神様にお伺いを立てる必要がある。
それこそが、今で言う地鎮祭の意味である。
天孫の鏡と、主神の恋煩いといった、一つ一つの点を繋ぎ合わせて、一つの結論に達していく。

起きてしまった過去は、どうしようも変えられないけれども、この先の未来は変えていける。
つまり、今後悔している事があるならば、まだ変えられる余地はあるという希望の証でもある。
神様の御用を聞き届ける中で、自分にとって都合が悪くて眼を逸らし続けた現実にも、立ち向かっていける勇気があるのだと気付かされた良彦。
それを教えてくれた、普段は眼には見えないが見守ってくれている神様に、最低限の礼儀を持とうと誓う。

希望だとか愛だとか絆だとか、眼には見えない不確かなものが、この世界にはたくさんある。
そんな不確かなものであっても、それこそが人の心を支えていく礎となり得る。
神様であってもそれは同じ。
神様のわがままとも言える御用は、人が神に祈るように、遥か昔に叶えられなかった願い。
誰かの為に願った想いも、素直になれないからこそややこしくもなる。

その御用の意味を、丁寧に解きほぐしていけば、答えは至ってシンプルで単純明快。
誰かと共に幸せになりたいという事。
それは、今も昔も人も神であっても変わらない。
諸行無常、景色は移り変わり、人々は生き死にを繰り返す中でも、神様はこの地に鎮座して、人々の行く末を見守っている。

力を削がれながらも、自分達を見守ってくれている神様に、今を生きる自分達も少しは心を傾けなければならない。
約束を大切にするからこそ、いつまでも慈しんでもらえる。
誤った選択は、神でさえも誰でもする。
本当に大切なのは、その先でするべき行動。
ミスってしまったなら、素直にそれを認めて、ちゃんと謝って、相手からの許しを希う事が大切だから。

それに気付けて、また一段と成長した良彦に、新たなる神様の深遠たる苦悶と嘆きが聞こえてくる。

その予兆を聞き届ける事で、またさらにややこしい試練を、良彦達は乗り越えて行けるのだろうか?







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