読書記録:地図と拳(集英社)著 小川哲
【国家とは更新される地図であり、それを奪い合う為の拳】
日露戦争前夜から第二次世界大戦までの半世紀、満州で繰り拡げる男達の知略と殺戮の物語。
どれだけ時代が進み、科学が発展したとしても、現代社会では、地図はなくてはならないものである。
私達は、地図を見て目的地へと行動を移す。
私達の手のひらにも精密な地図を宿したスマホがある。
衛生観測が進んだ現代では、地図上に未開の地はない。
このように土地が開拓されていったのも、過去の人々が探究心を持って、新しい土地へと挑んだからである。
しかし、その探究心とは悪く言えば、人々の尽きる事のない欲望である。
他国の土地を自国のものにしたい、その為に争いを繰り返す。
今現在でも、世界では独裁的な主導者によって、罪のない市民が巻き込まれる悲劇が繰り返されている。
かつては、日本人もその拳を他国に振るっていた。
その力を持ち続けるのか、それを放棄するのか、それこそが今、私達に問われている。
地図や建築といった人々の長い時間と労力を割いて作り出したものは、その時代の歴史を保存する。
たとえば、鉄道が都市を作るように、その鉄道を作り出すのが地図である。
白紙の地図に、自らの理想郷を書き込む。
壮大な夢物語のようだが、戦乱時代の地では、過去の凄惨な事実さえも、負の遺産として刻み込まれる。
国は、その土地に住んできた人々の歩みによって更新されていく。
ただ、そうして創造していく中では、土地の奪いあいや、資源の略奪といった野蛮な暴力行為がつきまとうものだ。
作り出す者と奪い合う者、地図と拳、まったく正反対な要素を持つそれらから、日本の未来や世界の行く末を予測する事が出来る。
戦争には様々な学問が絡み合う。
地理学、政治学、歴史学、軍事学、物理学、人類学など複合的な学問を用いて、単なる武力だけではなく知略を用いて、計画的に争いは行われる。
ナイフや地図といった物は前時代では、反逆を企てる脅威とされていた。
戦争という拳を振るう時代で、地図と建築に向き合って、世界を創造しようとする人々達。
国家が幾重にもオーバーラップする満州を舞台にて、様々な想いを抱えた人々の生き死にが、日々塗り替えられていく土地の歴史に埋もれながらも、確かに根付いていく。
戦う者は勇敢で逃げる者は国賊とされるのが、この時代の戦争であった。
李家鎮という架空の都市を舞台として日清戦争後から日本敗戦後の、おおよそ50年に渡る中国人、日本人、軍閥等の攻防と街の消滅までを描いていく。
今、こうして現在この世界に残された建築物は、つわもの達が築きあげた夢の跡であった。
荒野に拓かれた貧しい農村である李家鎮。
激動の時代に炭鉱の街として発展して、満州国の重点都市となる。
中国東北部を訪れた軍部の密偵である高木とその通訳の細川が、燃える土である石炭の排出される土地の情報を得る事で始まる。
その激動の時代で混じり合う、それぞれの信念を持つ人々。
ロシア鉄道網を拡げる為に派遣された神父のクラスニコフ、千里眼を宿す李大鋼。
身内に裏切られて、不毛な土地へと飛ばされた有力者である孫悟空。
満州国という地図を描き続ける須野や、皇国に身を捧げる安井。
共産主義活動から戦争構造学研究所に流れ着いた石本と一緒に、一兵卒として散った中川。
八路軍孫丞琳である邵康と共産党員の黄宝林。
そして、非凡の才能を持つ細川と、その弟子である明男。
自らのアイディンティティとなる国を守る為に、ぶつかり合う国籍の違う人々達。
地図を作成して、都市計画を立てる日本人。
戦争の行く末を見切ってしまった政治家。
あくまでも戦う覚悟の軍人と、それを利用する現地人。
日本人を快く思わない現地人も居るし、南進を狙うロシア人も存在する。
そういった信念を燃やすそれぞれの人々の、大切な仲間達が、抱え持つ理想と過酷な状況の中で、殉じていく。
なぜ世界から拳がなくならないのだろうか?
細川はこの尽きる事のない闘争の中で、自らに問いかける。
その答えは恐らく地図にあって、多種多様な人々が共存して生きるには、この世界はあまりにも狭すぎるからなのだろう。
奪う為に必要な資源を求めて戦う事も、戦う事を避ける為に争う事もある。
清を支配する露は、火薬で銃を作り、清は火薬で花火を作る圧倒的な技術と価値観の差。
正と誤、真と偽、善と悪。
人々の心の動きに合わせて、設計図を作り、慎重に支柱を立てていく。
戦争に於いて斃れるのが敗北ではない。
屍山血河を積み重ね、敵国を退却させる。
敗けると分かっていても、少しでも犠牲を少なくする為に、自らの命を賭ける。
時間という歴史を刻み込んだ建築物を壊されないように、悲壮感の中でも自らの国を守り抜く。
軍人と設計者は、それぞれにこの世界で守るべき信念があった。
それでも、地図という名の自分達の夢と未来を掴む為に、振るわれる拳という名の暴力。
どれだけ綺麗事を言っても、創造と破壊には罪深さとやりきれなさが表裏一体のように存在するのだろう。
ただ、細川と明男のように、価値観を他人に委ねるのではなく、自分の頭で考えて行動出来る人間はどの時代に於いても、必要とされる。
時代に翻弄されながらも、人々から必要とされ、自らの能力を発揮して、世界をいい方向に導く事も出来る。
私達が知らないだけで、地平線の向こうにも世界があって、同じように人々は営みを繰り返している。
過去を知る為に地面を掘れば、そこには張り巡された歴史という根があり、それを空へと解き放てば、未来を予測する可能性となる。
そして、ラストに逃げ延びた船舶に乗った細川と明男は、祖父の代の忘れ形見である小刀を、躊躇いもなく海に投げ捨てる。
それは、西南戦争から始まった日本国の「拳」の象徴であったが。
これからの自分達には必要がない。
そんなものに頼らなくても、夢のある未来は創り出せる。
この先は「地図」という想像力で、皆と協調して新しい土地を生み出していくのだから。