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読書記録:蜜蜂と遠雷(幻冬舎) 著 恩田陸

【さぁ、音楽の神様に愛されて始めよう、僕達の音楽を】

 

【あらすじ】

三年ごとに開催される芳ヶ江国際ピアノコンクール。 

「ここを制した者は世界最高峰のS国際ピアノコンクールで優勝する」

そのジンクスがあり近年、覇者である新たな才能の出現は音楽界の事件となっていた。

養蜂家の父とともに各地を転々とし自宅にピアノを持たない少年である、風間塵、15歳。
かつて天才少女として国内外のジュニアコンクールを制覇しCDデビューもしながら13歳のときの母の突然の死去以来、長らくピアノが弾けなかった栄伝亜夜、20歳。
音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマンでコンクール年齢制限ギリギリの高島明石、28歳。
完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目される名門ジュリアード音楽院のマサル・C・レヴィ=アナトール、19歳。
彼ら以外にも数多の天才達が繰り広げる、頂点を目指す為の、自らとの闘い。

第一次から三次予選、そして本選を勝ち抜いて、優勝するのは誰なのか?

あらすじ要約

芳ヶ江国際ピアノコンクールが開催され、努力家のマサル、栄光に縛られる亜夜、天才の塵。多種多様な選手と頂点を競う物語。


音楽を生業とする上で必要なタレント。
芸術などに対する先天的な才能を指すが、努力によって開花するというニュアンスもある。
一方、ギフトとは天から授けられた才能、すなわち天分で、努力を必要としないものである。
一般人が才能を開花させるにはタレントを追求するしかない。
しかし、極稀にギフトだけで事足りてしまう天才も
現れる。
タレントはギフトに勝てないのか?
しかし、正解のない芸術界に於いて、勝ち負けや他人と自分を比較する事自体がナンセンス。

だが、芸術に点数がつけられない事は、誰でも頭では理解していても、心の中では優劣がつけられる所を見たいとも思っている。
芸術とは自らの世界観と創造性を膨らませる、己との戦いであり、対話である。
その自分から見た世界を他者に表現する一つの手段である。
だから、勝ち負けよりも、自分が奏でる音楽をより深く耽溺して、それを世界へと解き放ちたい、その魅力を沢山の人に知ってもらいたいという気持ちが大切である。

順位なんてどうでも良い、自分が奏でる音で楽しみたいし、その音を世界に連れ出して、みんなの耳に届けたい。
その純朴な心こそが、人々の記憶に刻まれる演奏となる。

ピアノを継続するには莫大な資金が要る。
そして、この音楽業界を仕事にして食べていける人はほんの一握りであり、そんな人達でも多額のお金を投資する。
栄光に至る為には、クラシックに造詣の深い先生にお金を払って学ぶ必要がある.
そんなお金を手放しても、上手くなりたいと願い、演奏に没頭する。
音楽は世界の国境の垣根を越えて、感動を享有して分かち合う。

全ての演奏者に背負う物語とドラマがあり、苦悩や葛藤の中で己の音楽を確立する。
音楽界のギフト、起爆剤になりうる異端児である風間塵。
正統派の努力型の天才、マサル。
元天才少女であったが、母が亡くなった事で、ピアノが弾けなくなった栄伝亜夜。
最年長で社会人ピアニストとして生活の為に、音楽を奏でる高島明石。

音楽に対する姿勢もそれぞれが、全く異なる。
一つの課題曲に対する解釈、その背景、自らが感じたイメージも、それぞれが全く違う。
たとえば、課題曲であるカデンツァの「春と修羅」も、ある者はセッションの中で答えを見い出したり。
ある者は、通勤途中の電車内で読書に耽りながら、自分なりの答えを見い出す。

進歩しない己に苛立ちながら。
まざまざと自分の才能のなさを思い知らされる。
だが、音楽は常に進化する。
聞こえた途端、消えていく音の連なり。
その一瞬を永遠にする。
そして、それを何度でも再現出来るだけの研鑽を積んでいく。
刹那的に消えていく音符をかき集め、まるでその音が蜜蜂の羽音のように世界を祝福する。

審査員が求めているのは、突出したスターであってピアノの上手な若者ではない。
産まれ持った天才でも、自らを惜しみなく捧げられる秀才であっても、最後に残るのは諦めずにやり続けていた人。
自らに才覚がない事を受け入れて、それでもひたむきに努力を積み重ねていく。
世間の声なんて気にしたら負け。
自らが信じる音楽を、疑う事なく奏でていく。

そして、そうやってコツコツと日々を積み重ねていける者の姿勢は、周りにも刺激や影響があって、さらに良い音楽と演奏を追求していく事が出来る。 
ピアノの演奏の舞台は独りきりだが、そういったライバルがいる事が、自らと世界を繋ぐ架け橋となる。
また、ステージ演出家のマネージャーである田久保や、ピアノ調律師の浅野が裏で支える事で、一つの壮大な舞台は完成する。

そうやって、切磋琢磨出来る者達に音楽のミューズは微笑む。
自らの全てを捧げる者に、神様は遊んでくれる。
その音の連なりに色彩や光暗が宿る。
音楽とは、文字通り、音を楽しむ行為であり、人間が本来持っている動物的な本能を呼び覚ましてくれる、ある種の一つの感動をみんなで分け合う行為。

音楽はもともと、そこら中に鳴っている。
美しい音は、もともと、日常生活に溶け込んでいる。
曲はただ、その音を譜面にしただけ。
だからこそ、どんなに偉大な作曲家であっても、素人の演奏家であっても、音楽の前では一人の預言者に過ぎない。
そんな価値観を、忘れてしまうかのようなコンクールが持つ独特の緊張感と不安。

自分を信じるだけだと奮い立たせても、ライバルの演奏を耳にして、どうしても湧き上がってしまう羨望と嫉妬。
そんな自分の中での葛藤を、ただひたすらに繰り返す時間。
だが、風間塵というギフトによって、自らの音楽に確信を持てた亜夜は、最初の緊張が嘘だったかのように、のびのびと迷いのない晴れ渡った演奏が出来た。

情熱を傾けたからこそ、その集大成に今までの苦労が走馬灯のように流れて、自然と涙がこぼれる。
周りから認められるまで、この舞台に立てるまで、
最短距離というものはなかった。
自分が遠回りしている事に気付き、自分の頑張りが無駄に思えて、好きなものを投げ出したり、諦めようとする自分が嫌いになった時期もあった。

しかし、時間はかかったとしても、何かを始めて、それを成し遂げる事に遅すぎるという事はない。
年齢も性別も、生い立ちも国籍も関係ない。
最後に残るのは諦めないで続けてきた者。
停滞というぬるま湯から抜け出して、敢えて苦しい道を選んだ者。
だから、タレントもギフトも関係がない。
皆誰しも、一人ひとりが自分だけの才能を、その掌の中に秘めている。
それを世界に向けて解き放ってやるだけ。

コンテンストである以上、誰か一人が頂点に立つ訳だが。
それまでに繰り広げられたドラマと戦いに魅せられた聴衆と審査員は、スタンディングオベーションしてあらん限りの拍手を、戦い終えた彼らに労いながら、送る。
叶うのならば、もう一度アンコールしたい。
しかし、このコンクールの演奏は一度きり。

現実という醜い沼で、抗い続けた彼らの音楽は永遠に花となって、人々の心に咲き続けるだろう。




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