読書記録:ワトソン・ザ・リッパー ~さる名探偵助手の誰にも話せない過去~ (LINE文庫エッジ) 著 SOW
【神にも悪魔にも魅入られた贖罪を背負って、この闇を裁こう】
大英帝国の首都、ロンドンにてカトリックの若き神父が、切り裂きジャックに狙われる少女を警護する中で、歴史と信念がぶつかり合う物語。
名探偵、シャーロック·ホームズの偉業は、市政に知れ渡る中で、その影で蠢く切り裂きジャックの伝説は、寡聞にして聞かない。
この物語はそこに焦点があたる。
身分の違い、宗教の違い、出自の違い。
この世界ではそういった差別の十字架を背負って生きる者達が描かれる。
霧と蒸気、悪魔と探偵が闊歩する街にて。
あの名探偵助手が助手になる前の知られざる過去と切り裂きジャック事件を融合させた、一癖も二癖もある物語となっている。
世界帝国の首都というにはあまりにも光届かない薄暗さに包まれた街、ロンドン。
そこはまさに覗いてはいけない深淵の縁。
霧の中は、もう異界そのものと化していたのかもしれない。
そんなただ中で、切り裂きジャックと呼ばれる、あまりにも不可解な殺人鬼の正体を、任務であるマーガレットという少女を護衛する上で追求していくオーランド。
ただその解き明かされていく事件の真相は、どこを切り取っても救いのない無常の断片ばかり。
その身、その生まれ、その生命その物が、罪であると断じられた異能者オーランド。
生まれてきてはいけない者だったと定義された存在である彼が祈るのは、この世に生まれてきてはいけないものなどいないのだ、という優しい真理。
だが、世界はそんな彼を嘲笑うように生まれながらに許されざる者たちの存在を、彼に突きつけていく。
それでもなお、彼は自身の祈りを貫けるのか?
闇の中で蠢く殺人鬼、切り裂きジャック。
それを追うのは、悪魔と呼ばれ忌み嫌われる神父と本物の悪魔。
神にも悪魔にも魅入られた一人の青年が、生まれた時から背負うとある十字架を駆使してヴァチカンから下された護衛任務につく。
それは近年ロンドンを恐怖の渦に陥れているジャック・ザ・リッパーに狙われたある少女を保護することだった。
カトリックとプロテスタントの対立や、身分違いの恋、それによって引き起こされる事件の悲しい結末。
異能を持って生まれた者としての苦悩。
生まれて来てはいけない存在などいない、という祈りにも似た結論を貫き通そうとする神父の意志を嘲笑うかのように、「そんな救いがあるなら、何故自分のような殺人鬼が産まれてきたのか」という悲劇をもたらす切り裂きジャックの問いかけが酷く虚しく見えた。
楽を食って生きる悪魔は、そんなオーランドに目をつける。
それは彼の苦しみを楽しむ為なのか、それとも彼が希望を諦めない姿の輝かしさを羨む故なのか。
少なくとも、この悪魔の趣味趣向は決して悪趣味なものではなく、人の善性を試していると感じ取った。
フェイという女悪魔が悪趣味なのは間違いないが、その享楽は決して人を陥れ傷つける物ではないと思いたい。
いずれにしても、オーランドの試練に安易な死による逃避は存在しないのだろう。
苦しみは断続的に続く。
その果てに救いがあるのかは未だにわからない。
異能と悪魔の力が交錯しあい、ロンドンに未曾有の衝撃を与える様は、歴史的史実も相まって、凄みのある、先が読めないハラハラとした緊張感がつきまとう。
霧と蒸気、悪魔と探偵が闊歩する、今までにないロンドンを舞台にしたとんでもない事件に瞬きする事もさえも惜しむように引き込まれた。
スラムの雰囲気や貧乏教会。
そこにいる人々と日常。
それを脅かす非日常。
幸せな妊婦を護る為、警護にあたる神父。
何故、彼女が狙われているのか、彼女を狙うのは何者なのか?
不敵に微笑む悪魔と、生きる場を無くした悪魔の末裔の思惑を知っていく。
史実を裏切る、ドンデン返しの連続の中で、丁寧に編み込まれた伏線と謎を読み解く中で、壮大な終幕を迎えていく。
蒸気が生み出す霧より漂うは、知りたくもなかった凄惨な絶望の真実。
かの名探偵助手の過去は何故、話せないのか。
彼は本当に切り裂きジャックなのか?
謎が謎を呼んで、状況が目まぐるしく流転し、最後に全てが繋がった時に人の業という、一番救えない真実が晒される。