読書感想:何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫) 著中村 文則
【自殺と犯罪は世界に負ける事、見返してやれ、社会を】
刑務官として働く僕は18歳で犯罪を犯した死刑囚、山井と向き合う中で死刑制度の在り方に向き合う物語。
ラベリング理論という物がある。
一度でも犯罪を犯せば、前科というレッテルを貼られる事で再犯する傾向があるそうだ。
心が弱いのも哀しいし、踏ん張って欲しいが如何せん、社会は脱落した者に厳しい。
死刑制度も確実性と公正さが必要で。
曖昧な基準で人を裁くのはやりきれない。
自分の犯した罪が罪悪感となり、眠れない憂鬱な夜。
嫉妬、憎悪、悔恨の念、それらが水のように身体に流れ込んでくる。
命とは何なのか?
死刑制度についての在り方とは?
混沌とした精神、重く暗いテーマであり、複雑な生い立ちや思いを抱える登場人物は理解できない部分もあった。
それでも、思春期のアイデンティティの混乱、死刑制度への考え方などに、一石を投じる問題提起は、日々の生活を営む上で、どうしても注目せざるをえない暗いニュースの見え方を変えてくれる。
日本の死刑制度について、人間が誰しも抱いたことのある嫉妬、孤独、性欲、暴力、自殺。
人である以上、持たざるをえない感情と欲望。
それらを抑制するのは、自分だけの力では無理なのだろう。
周りに大切な物があり、罪を犯した自分を心の底から恥じる事。
また、その罪の代償として支払う自分のこれからの時間、周りからの信頼といった可能性を全て無碍にしてしまう事に対して、恐れを持つ事。
罪を犯す事に恐怖する事。
被害者の気持ちを慮るといった行為も時が経てば、薄れて忘れていく。
罪に対して嫌悪感を持ち、心の底から恐れを持つ事でしか、人間は己の欲望をコントロール出来ないのかもしれない。
環境的不平等が人間形成に大きな影響を与える事も分かっている。
親や環境に恵まれず、人生を悲観して捻くれて育つ事もあるだろう。
そういった環境で、性格が形成されるのも分かる。
しかし、そういった後天的な原因ではなく、産まれた時から、その人自身が持つ命の癖の様な物がある。
もっと、言えば産まれた時から、死ぬまでに立ち向かわなければならないその人の宿命。
その課題の責任を他人になすりつけてはならない。
環境のせいにしてもならない。
自分自身が本当に一人になって立ち向かわければならない。
不遇な環境。
それは、他人と比較した時にはっきりと明暗が分かれる。
どんな環境だとしても、どんな状況だとしても、人に残された最後の自由とは、その中で自分の態度を選ぶ事が出来る事だ。
産まれ持った環境はどうしよもない。
親を選ぶ事は出来ない。
その中で自分が逞しく強く生きるしかない。
今までどんな人生を生きてこようが、これからどうやって生きていくかには全く影響がない。
自分がめげずに真っ直ぐ生きようと足掻いていれば、必ず周りの信頼足り得る同志達が助けてくれる。
自分を否定するのでなく、ありのままの自分を受け入れる事。
そこから、真の意味であなたの第二の人生が始まる。
憂鬱な人生を生きていく事が辛い人。
世界の美しさを見つけていかないと、いつか負けてしまう人。
だからこそ、他の人が見つけられない光を見出すことが出来る。
闇を知るからこそ、他人の痛みにも気付く事が出来て優しくなれる。
藻掻きながらも、それでも人生を諦めない者にだけ、最後にちゃんと救済が用意されている。
それすら、用意されていないなら、人生は本当に絶望しかない。
施設長が持っていて、山井に与えた物語。
それは、きっとこの二人だけではなく、時代を超え、場所を超えて、複数の人が持つ事が出来る大切な物。
己がこの世界に生を授かった意味。
自分の命の使い方を定める物。
それをきっと、魂と呼ぶのだろう。
人は苦しむ為に産まれてくるのではない。
誰しも幸せになる為に産まれてくるのだ。
暗澹たる世界の中で、人とは違う自意識や自己矛盾に苦しみながらも、その中で生と死と命を考える中で、自分の人生を肯定出来る。
山井は、自らの孤独と不安に負けてしまって、自ら死刑になる選択をしてしまった。
そんな彼の生き方を見て、これからの一日一日をどう生きていくのか、それは僕達にかかっている。
孤児院で育った刑務官の「僕」は、20歳の死刑囚「山井」を担当している。
自分とどこか似た山井を感じ、ずっと壊れそうなギリギリのところで生きてきた「僕」は閉じ込めた闇を少しずつ吐き出しながら、彼に向き合っていく。
「僕」の先輩刑務官の言葉「どこまで犯罪を犯せば死刑なのか、それを人間が決めてしまっていいのか」
人の生殺与奪を握る、極めて責任が重く、社会に是非を問われる仕事。
恐らく、その不安は一生消える事はないのだろう。
ずっと、それらを背負って眠れない夜を過ごしていくのだろう。
罪と罰、命とは、人間とは、なぜ生きるのか?
それらをひたすらに考える事を放棄しない事だけが、亡くなっていった者達の唯一の償いと救済となる。
起こった事はけして対岸の火事ではない。明日は我が身だと思う事。
無関心、無気力、安易な思考停止な態度が、犯罪を助長させる。
そういった事に対して敏感に反応出来る感性を養う事。
そういった感性を養う為に芸術に触れる事も大切だ。
己の了見を拡げる事で、何もかも憂鬱な夜を越えていける。
起こしてしまった悲劇は変わらない。
被害者がいる事に変わりはない。
ただ、死でしか償えない罪もあるかもしれないが、死ぬ事ではなく、生き抜いて罪を償って欲しい。
死んでしまえば、犯した罪と向き合えなくなる。
死ねば犯した罪を清算出来ると思ったら大間違いである。
その犯した罪を一生背負って、それでも人生をやり直そうと足掻く事。
そこに生きる意味が隠されている。
犯罪者も一般人も明確な違いはない。
どれだけ凶悪で理解出来ない犯罪を犯した犯罪者だとしても、同じ人である以上、人である故の弱さや不安は分かり合える筈だ。
考え方は人それぞれだが、被害者や遺族は大切な人の命が理不尽に奪われれば、被疑者に死んで欲しいと思うのも当然だ。
しかし、そういったネガティブで人の恨みが蓄積した想いを背負いながらも、その業を死ぬまで抱え続けて生きていく事。
それが、犯罪者にとっての何よりも罰となる。
人である以上、間違いは誰しもある。
大切なのは間違えた事をこれからの人生で諦める事なく、どう活かすのか。
犯罪者も同じ人として、罪を償って再出発して欲しいのだ。
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