ハーメルンの笛吹き男(阿部謹也)
こんにちは。
思いもよらない寒さに遭遇した東京から土曜日に帰ってきました。
吉隠ゆきさんのnoteがきっかけで、阿部謹也さんの本をいくつか読んでいるところです・今回は「ハーメルンの笛吹き男」について紹介させていただきます。
「ハーメルンの笛吹き男」はグリム兄弟に収集された民間伝承であり、私も子どもの頃に読んでいます。この本は阿謹也さんがドイツで中世の古文書研究中にこの伝説に出会い、魅せられた所から始まります。
本書では笛吹き男伝説に関する史料を遡って探索すると共に、背景となった当時のドイツ(13世紀は統一前で各地に諸侯が並立している状態)における都市の状況も丁寧になぞっていきます。そして、ハーメルン市から130人の市民が消えたことは1284年6月に起きた事実であり、その上で、なぜ消えたのか、どこに消えたのか、という核心部分について様々な説を検証していきます。
事実を核としながらも、その後に当時の社会情勢から様々なエピソードが追加されて話は変節していきます。主流バージョンでは笛吹き男が鼠捕りをするのですが(私の記憶もこれでした)、これも後世の追加です。背景にはヨーロッパ中世の諸都市や農村では穀物に対する鼠の被害に悩まされており、鼠捕り男の話が当時もハーメルンと関係なく様々あったものが、ハーメルンでの笛吹き男伝説と結びついたと考えられます。本の中では、過去に提起された様々な説についての検証が丁寧にされていきます。
詳細は是非とも一読いただければと思います。私は伝説の探索部分以上に、背景としてのヨーロッパ中世における都市および生活している庶民の経済状況、そして笛吹き男という職業について興味を感じました。本書ではハーメルン市を取り巻く当時の状況や人々の生活について詳しく解説されています。
中世の諸都市における下層民の暮らしはとても厳しいものがありました。常に飢えに怯えながら、生まれた時から身分制社会の底辺であり、上がる事は出来ず衣服から規定されていました。日雇い労働者、婦人、乞食、賤民など、歴史上には何も記録されることが無い人々で、特に寡婦や未婚の母親やその子どもは、ボロをまとい社会の底辺で生きていました。都市というと”市民”を想像しますが、彼らは”市民”ではなかったのです。
笛吹き男というのは当時では”遍歴楽師”という放浪者の1つで、彼らも共同体から締め出された人々です。農民や職人と異なり、土地に根差さない放浪者は領主等の管理者側から扱いにくく、最も底辺に規定されています。彼らは各地を放浪しては村祭りなどで日銭を稼いでいたと思われます。伝説では笛吹き男を悪魔のように描写しているバージョンもあります。残された絵でも奇抜な服装をしており、放浪するジプシーやサーカス団、呪術師のようなイメージがあります。(得体のしれない能力がありそうで、少し怖いが興味がある、という感じでしょうか)
封建制度・身分制社会でおいては差別する側が、心の奥底では差別された側を恐れていたと考えられます。差別している人々により、強烈な報復を受けることの恐怖が、ハーメルン市での130名の消失と笛吹き男を繋げているのでしょう。相手を蔑むことは、心の奥底に潜む恐怖の裏返しなのです。
話は変わりますが、日本の中世研究者である網野善彦さんの本では以下のような事が書かれています。”人に非ず”と蔑まれた”非人”は、死者などの穢れを祓う世間的には最底辺の業務に従事しているのですが、その代替不可能さ故に天皇直属の官庁に組み込まれています。頂点である宮廷側としては、穢れたモノに対応する手段として”非人”の一部を組み込み、それが非人を蔑みの対象でありながらも畏怖の対象としても存在する事になります。ただ、その後日本では例えば”遊女”が聖なる位置から蔑みの対象へと変化していくように畏怖の目で見られていた集団が、全て蔑視の対象に変化していきます。
(この辺りは、網野善彦著「日本の歴史をよみなおす」の第3章:畏怖と賤視、部分を参照させていただきました
さて、最後にもう一度話を本に戻します。
この本は伝説検証の中身もとても面白いのですが、私が惹かれた中世の都市の実情や、それ以外にも冒頭の「はじめに」での著者が伝説の史料に出会った部分、最後の先行するのドイツの研究者たちへのリスペクトも心に残る部分でした。
阿部謹也さんの本は他に、中世の再発見(網野善彦さんとの対談)や「世間」とは何か、を読みましたが他にも読んでみたいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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