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勉強の時間 人類史まとめ21

『帝国』アントニオ・ネグリ/マイケル・ハート5


誰もが自由だということ


プレーヤーたちが自主管理するバイオポリティカルな支配がいたるところで実行されているということは、我々自身がその実行者だということです。つまり、その気になればその実行していることを変えることができるということです。

ただ、この支配体制は、それぞれの実行者が自分の損得で動くことによって維持されていますから、その支配に意義を唱えるだけでは何にもなりません。

意義を唱えても、まわりの人たちは自分が利益を得ようとするのを止めないかもしれませんし、そんな中で自分だけ損得勘定を止めてみても、損をするだけかもしれません。

ありがちなのは、モラルを持ち出して、欲望や損得で動くことを抑制しようという呼びかけです。たとえばSDGsの考え方も、利益最優先で動かずに、もっと視野を広げて、自然環境や世界の貧困層や困っている人たちを保護するような行動を取りましょうといったものです。

すでに触れたように、こういうモラルにかなった考え方や呼びかけはいいことですし、それで地球や自然、人類が少しでも持続できるようになれば儲けものですが、一方で人間は自由であるという大原則がありますし、その原則に沿って利益を追求することは認められています。

突き詰めると、モラルと利益は相反することになるかもしれませんが、現実には国家も企業も人も基本的に利益を追求しながら、できる範囲でモラルにかなうことをしましょうといったことになるでしょう。自由の原則をいいことに、相変わらず貪欲に儲けようとする企業もあるでしょうし、国家も口先では何年までに温室効果ガス何割削減といった目標を掲げ、企業に削減を押しつけながら、実際には実現可能な施策を考えていないように見えます。

電気自動車を100%普及させるにも、それに必要な膨大な電力を再生可能エネルギーでまかなうことなどできませんから、原子力や化石燃料への依存は続くでしょう。水しか出さないクリーンエネルギーがうたい文句の水素も、水を分解して作るには電力が必要ですし、それ以外の方法では化石燃料から化学反応を利用して生産することになります。地球規模での貧困地域や貧困国との格差是正も、今やっている先進国や国際機関の弱々しい支援活動くらいでは実現できそうにありません。


「帝国」の抜け穴


こういうマクロな視点でものを見ていると、地球と人類の未来はあまり明るくないように見えます。

しかし、大きな変化を起こすのは、大きなものの大きな動きだけではありません。ローマ帝国で広がった初期のキリスト教みたいに草の根的な動きも、ときに大きな変化を生み出します。

たとえば、日本の大企業で働いていて、年功序列とかピラミッド型の組織とか、形式的で中身のない会議といったものにうんざりした人が、会社を辞めて起業するというケースがこの20年くらいでかなり増えています。

ひとつには製造業主導の産業が構造的に疲労していて儲からなくなり、大企業に留まっていてもいいことがないと考える人が増えたからです。20世紀末までは、平成大不況の中でもまだ大企業にいた方が安全で、収入が保証されていましたが、21世紀に入って企業のコスト削減、人材の整理がさらに進み、会社に留まろうとしても追い出される人が増えています。

もうひとつには経営が苦しくなった分、企業も終身雇用にこだわらなくなり、転職がしやすくなったということもあります。


流動化する産業構造


アメリカではもう70年代あたりから、優秀な人材ほどスキルを磨いて自分の付加価値を上げ、転職しながらポジションや収入を上げていくのが当たり前になっていますが、日本にもようやく転職しやすい環境が広がりつつあります。

ただしアメリカの場合は、製造業から金融やサービス、ITへのシフトによる経済成長と、人材の流動化が合わせて進んできたのに対して、日本にはそういう産業と人材のポジティブな変化ではなく、構造的な経済の収縮と、沈んでいく船からの脱出みたいなことが起きているわけで、転職したからといってそんなに明るい未来が開けるとはかぎりません。

そんな中、もっと意欲的な人たちが、ベンチャー企業を立ち上げるようになりました。

アメリカの場合は18世紀から起業家に投資する資本の市場が発達してきましたし、1970年代あたりからはテクノロジーを武器に起業して成功したベンチャーの経営者が、次の世代の起業家に出資したり、経営を支援したりする仕組みが生まれ、拡大してきました。これに対して、日本の場合はアメリカほどベンチャー企業を資金的にも経営的にも支援してくれる仕組みが整っていないので、起業家は危険な借金をして、地べたを這い回るような苦労をしなければなりませんでした。

しかし、構造的な不況で金利が低いため、借金もそれほど重荷にならないといった事情もあって、起業しやすい環境が日本にも生まれています。

20世紀末のIT・ネット起業ブームを経て、21世紀になると、日本でも次第に起業のノウハウが蓄積され、ベンチャーへの投資も盛んになって、起業はやりやすくなっています。

もちろん起業するのはITなどテクノロジー関連の企業だけではありません。

飲食店でも物販店でも、小規模なメーカーでも、農業や漁業や林業でも、多くの自営業者や中小企業が新しく生まれています。

IT・テクノロジー業界も、伝統的な業界も含めて、最近起業している人・起業には今までになかった特徴がいくつかあります。

ひとつはITをうまく使っていること。

もうひとつは製造・卸・小売りといった従来の業界の仕組みに縛られず、独自のつながりを通じてビジネスを展開していることです。このつながりを作り出すのは、人と人の交流や協力ですが、そうした交流や協力を飛躍的にやりやすくしているのもITです。

ITを活用することで、日本中・世界中のどこにいる人とでもコミュニケーションができますから、どんなに田舎で農業や漁業を営んでいる個人事業者でも、農協や漁協に縛られることなく顧客を見つけることができます。

ITといっても、今は誰でも簡単に使えるアプリベースのサービスになっていますから、ITが苦手な人でも活用できます。


大企業による支配の終焉


材料の生産者は加工業者と協力することで、もっと付加価値の高い、よく売れる商品を作ることができます。

日本の事業者は数から言うと99%くらいが中小企業か個人も含む小規模事業者ですが、少し前まではその多くが大企業の影響力の下で事業を営んでいました。

下請けとか孫請けとか、仕事とお金をもらう垂直の関係もそうですが、一見自由に商売をしている事業者でも、大企業のメーカーから卸業者を通じて資材や製品を仕入れる場合でも、仕入れの量や価格になんらかの束縛があります。

しかし、規模にものを言わせて大量生産する製造業やこの大量の製品を流通させる流通業が主役の時代は終わり、大量生産・大量流通・大量消費という産業の形態自体が儲からなくなって、こうした支配体制は衰退しつつあります。

一方、個人や小規模な企業は、こうした支配体制から脱出して、自分たちで自由自在にコミュニケーションをとり、連携することで、自分たちのやりたいことをやりたいようにやり、以前より利益を上げることができます。

そんなに利益を上げなくても、組織に縛られず、自由に自分の考えたことを実行して生きられれば、企業で働いていたときやり幸せを感じることができるかもしれません。

ビジネスで利益を上げなくても、NPO(非営利団体)みたいに社会貢献できることをやって生きていくという手もあります。

世の中には障害者や子育てしていてフルタイムで働けない女性に仕事を紹介するとか、過疎化で困っている地方と都会から脱出して暮らしたいと思っている人をつなぐとか、いろんなNPOがあって、種類も数も増えています。

企業のビジネスや国・自治体の公共サービスでまかなえないような社会の困り事、人のニーズはたくさんありますから、そういう課題に出会った人たちが、NPOを立ち上げているようです。

もちろん、少しでも利益を上げられるなら、非営利でなくビジネスとしてやってもいいわけですが。

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