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勉強の時間 自分を知る試み11

産業革命前の経済・社会革命


経済が生産と商取引の集合体だとすれば、規模の違いはあったとしても生産も商取引も古代から、あるいは石器時代からあったということがわかっていますから、発展段階の違いはあっても、経済と呼べるものは昔からあったと言えます。

それでは何が近代になって変わったのでしょうか?

いろんなことが言えるのかもしれませんが、まず僕の頭に浮かぶのは、科学・技術の急激な発展で多くの商品が大量に組織的に作られるようになり、それを遠くへ運んで売り捌くことができるようになったということです。

大量生産というと、ヨーロッパの先進国イギリスで18世紀から19世紀にかけて蒸気機関が実用化されて、産業機械が大量にモノを作り、交通機関がそれを運ぶようになった、いわゆる産業革命を思い浮かべますが、大量生産自体は蒸気機関が導入される前、工場に作業員を大量に集めて手作業でモノを作るようになった時点から始まっています。

大量生産された最初の製品は毛織物だったと言われています。羊を大量に飼育して、毛を刈り、大量の毛糸や毛織物を作るようになり、その流通・販売が広域に広がるようになりました。

羊を大量に飼育するために、広大な耕作地が牧場に転換されました。それによって大量の農民が職を失い、都市に流れていき、工場労働者になったと言われています。



所有という概念


今なら農民が耕作地を奪われたらデモが起きるでしょうが、中世から近世にかけての農村は土地の所有権が今から見れば曖昧で、農地は農民のものというわけではなかったようです。

そもそも土地の所有という概念は、土地を売って現金にしたり、買った土地をそれまでの用途とは違う目的で使用したりといったことができるようになっていく過程で確立されてきたもので、古代から中世までは農地は昔からずっと農地で、そこに住んでいる農民が昔からそこを耕してきたので、土地を所有しているという認識もなければ、土地を売るという発想もなかったようです。

古代から中世にかけて土地の支配者は変わりましたが、土地の権利というのは武力で土地の領有権を奪ったり守ったりすることで獲得・維持されるものでした。国王とか貴族とかその家来とかが今で言う「実効支配」している状態が領有です。

現代でも、個人や法人や自治体など、社会のメンバーはその国の法律に保証されることで、土地を所有することができますが、国の領土としての土地はそうではありません。

国境を接する国どうしのあいだには、中間にお互いが自国の領土だと主張していながら、どちらかが実効支配している土地があったりします。それを保証しているのは支配している国家の主張や武力であり、その保証は対立する国には認められていません。

つまり国家レベルの大きな土地、領土では、まだ古代から続く武力による支配が生きているわけです。



支配の変化


中世までは農村の農地も、そうした武力によって領主が維持している領地であり、領主によってそこに暮らし、耕すことを許された土地でした。

農民は彼らに外敵から守ってもらう代わりに農産物の何割かを献上することで、先祖代々耕してきた農地で生きることができたわけです。

しかし、毛織物の大量生産が始まって、農地の牧場への転用が始まると、領主は土地を囲い込んで農民の多くを追い出してしまいました。領主が農作物より羊を選んだのは儲かるからです。つまり、経済が農村地帯のあり方を変えたわけです。

それまでのヨーロッパでは古代・中世を通じて、ゲルマン民族の部族や、ある国の国王やある土地の封建領主が、他民族、他国、他の領主の領土に攻め込んで戦いに勝つことで土地の支配者が変わることはありましたが、近世になると経済そのものが直接政治に関与してくるようになります。あるいは政治が経済振興に関与するようになったと言ってもいいかもしれません。

例えば国王や領主が商品の流通を促進するために運河を張り巡らせたり、中世に発達した商業都市を自分の支配下に組み込んだり、新大陸やアジア・アフリカから当たらしい農作物を持ってきて、地域で育てたりといったことをやるようになります。

その後、産業革命期に入ると、都市部で繊維の生産量が急拡大していき、今度は企業や資本家が大々的に農地を買い占めて牧場に転用するようになりました。

これはその前の領主による土地の囲い込み、農民の追い出しに対して、「第二次囲い込み」と呼ばれたりしていますが、近代に入って経済の主体が政治から自立して、自分で経済を拡大していくようになったわけです。

ただ、イギリスの産業革命と資本主義の発展は、新大陸やアジア・アフリカでの植民地支配によって支えられていましたから、大きな部分では経済は近代に入っても政治や軍事と一体で運営されたと言えるかもしれません。



科学と支配


それでは近代と古代・中世の違いは何でしょうか?

僕はこれまで近代を「科学と経済の時代」と呼んできましたが、古代にも近代に比べれば未発達ですが当時は科学と認識されていた学問もあったし、テクノロジーにあたるものもあったし、経済にあたるものもありました。

近代の科学と経済は、古代・中世と何が違うんでしょうか?

ひとつ思い浮かぶのは、古代にはエジプトでもギリシャ・ローマでも神々がいたし、ローマ帝国が滅亡してゲルマン民族が支配するようになった古代末期から中世のヨーロッパには、キリスト教の神がいて、人間を支配していたのに対し、近代は科学の発達と普及で、それまでのようにすべてを支配するタイプの神がいなくなったということです。

もちろん現代まで宗教は存続していますが、グローバル化し、複雑化した国際社会や経済、人間の権利まで上から支配するような神は存在しません。キリスト教やイスラム教、ユダヤ教など厳格な神がいる宗教でも、それぞれの神は信徒たちの中で共有されているだけです。

今の人類は宗教や民族や国などの違いを超えて、コミュニケーションを維持し、商取引をし、他の国や民族の文化に興味を持ち、お互いの土地を訪ねたり交流したりしています。

そこで共有されているのは、科学的・理性的・合理的な認識や判断のルールです。

この科学的・理性的・合理的な認識や判断で世の中が動くようになったのは、大ざっぱに西洋のルネサンス以降だと、一般には考える人が多いかもしれません。

しかし、前にも少し触れたように、ルネサンスはまだ科学がカトリック教会によって弾圧されていた時代です。ガリレオ・ガリレイは地動説を唱えたことで教会の裁判所から異端の判決を受けました。異端とされたからといって処刑されたわけではありませんが、たとえば地動説のようにカトリック教会の教えに反する学説を唱えることは禁じられました。

当時はカトリック教会が正義であるだけでなく、その教えこそが科学的に正しいと考えられていました。



経済の時代


その後、ヨーロッパは戦乱の時代を経て、多くの封建領主が分立していた中世から、フランスやイギリス、スペイン、ドイツ・オーストリアなどに強力な王や皇帝が支配する大国が生まれ、商業都市を支配下に置きながら、王国が経済を主導する時代、いわゆる近世に入っていきます。

カトリック教会は依然として大きな権力を持っていましたが、経済や科学の力が強くなり、以前ほどの権威はなくなっていきました。カトリック教会の支配を否定するプロテスタントが生まれ、商人や経済を重視する権力者たちに支持が広がっていきました。

哲学でも、神の存在を否定するところまではいかなくても、科学的・理性的・合理的な認識や判断を提唱する考え方が生まれました。

有名なのはフランスのデカルトですが、デカルトを批判したオランダのスピノザやドイツのライプニッツ、イギリスのジョン・ロックなんかも、そういう近代につながる考え方の提唱者でした。

宗教ではなく現実の世の中に関わる事実や理論や法則を探究して役立てようという考え方、いわゆる啓蒙主義はデカルトに始まると一般的に考えられていますが、ルネサンスの後、17世紀あたりの思想家たちは、多かれ少なかれ、そういう考え方を追求し、提唱した人たちです。

僕は哲学そのものにあまり興味が湧かないんですが、この時代のヨーロッパ人が近代の豊かさを実現することができた理由には興味があります。ヨーロッパ人の科学的・理性的・合理的な考え方と、そこから生まれた仕組みは今でも世界を支配しているからです。

ヨーロッパ人は科学的・理性的・合理的な考え方を追求したおかげで、科学や経済を発展させることができ、アメリカ・アフリカ・アジアに活動範囲を広げ、けしからん侵略や征服、支配もしたけれど、同時に科学や経済や社会のシステムを世界に広げることができたわけです。


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