繋げない手を 伸ばして誓うよ心に
なんでkindleで検索してしてしまったのだろう。
今更、彼女について書いてある本を読むとは思わなかった。
なんとなく、読んでない中島梓の本でもないかな?と探したら、夫、今岡清の本が上がってきた。
転移を読んでからもう何年になるのだろう。
いずれ、彼はこのような本を出すだろうと思っていたし、それを待ち望んでいた頃もあったが、栗本薫の後年の小説に興味を失っていた私は、いつしかそれを忘れていた。
栗本名義の本も、もう数冊しかない。
中島梓名義の、文芸評論も一冊を除いて処分した。
しかし、枕元、ソファのそば、トイレ、と至る所に中島梓のエッセイを配置して、例え一行しか読めない日があるにせよ、読まない日はない。
何が私をこうも長く、呪縛し続けるのか。
ヒロイックファンタジーはタニス・リーしか読めないから、グイン・サーガが読めない私は、栗本薫のファンといっていいのか?
終わりのないラブソングも、1番最初の短編しか評価してない。
天狼星も、最初のハードカバー三冊は買ったが、後のダラダラした奴は図書館で読んだ。
当然、その後の伊集院大介シリーズも然り。
興味ない、面白くない、幻滅した、と言いながら、図書館で栗本薫を借りていた私は、何を考えてたんだろう。
角川のルビー文庫は、表紙で萎えて手に取らなかったけど。
世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女には、今岡清と、その妻で「奥さん」である中島梓の、微笑ましい、だが波乱にまみれた生活が、淡々と書かれていた。
子守唄を歌っての就寝儀式、村の話、ダイエット、料理や、ハンセン氏病の事など、中島梓のエッセイで知っていたり、知らなかったり、知りたかったり、知りたくなかったりした事柄を、私もあえて感情を動かさないように、1時間半かけて読み終えた。
中島梓が、対向車がいきなりこちらに突進してくる、または、自分の気が違って、いきなり走行中の車から飛び出してしまうのではないか、と怯えていた話を読んで、それが私と全く同じである事に驚いた。
また、もうなくなったが、北と一線を越えた後、半年くらいは、北が私の髪を洗い、ドライヤーをかけるのが習慣になっていた時があった。
その頃、神戸の友人の所に旅行に行く話があって、友人のうちではこれはしてもらえないのかなー、そうだねー、したらものすごく向こうも困ると思うよ、などと話していた。
だいたいがここでの北の呼び名を、「北」にしたのも、中島梓が、今岡清のことを「きた」と読んでいた事にちなんでだったし、この不思議な夫婦生活は、私たちの歪で不自然な関係に似ているように思えて、なんだか悲しくなる。
私は彼女のように才能豊かな人間でもないのに、不安定な精神と心、そうして、愛だの恋だのを超越してしまった異性に支えられ続ける、そんなところだけの共通点。
私も、北に何度も、私より先には逝かないで、と縋っている。
というか、こんな関係になったのは、北が私より7つ年下の、健康な肉体を持っている人であったから選んだ、とも言える。
一冊で、10代から30代後半、そうして今に至るまでの追想が脳裏を駆け巡り、読んで数時間後には苦しくなり、北に電話してもらい、悲しいの、と話すと、そんな日もあるね、ゆっくりしな、と言われる。
北は私が死んだら、せいせいするのかな。
それとも、多少なりとも、喪失感を憶えてくれるのだろうか。
多分、辛いけれど、転移と同じで、繰り返し読む本になるのだろう。
最後に栗本薫を読んだのは16年前(既読の、うちにある本歯除く)。
今岡清が電子書籍にしてくれている本が多数あるから、どれか読んでみようかな。