【これが愛というのなら】腐ってやがる、遅すぎたんだ
あん
望は泣いて、泣きはらした目が元に戻るまで、うちにいた。
お母さんに心配をかけたくなかったのだろう。
「ごめんねえ、なぎさん。朝まで」
「気にしないで。本を読みすぎて徹夜はなれてるから」
私は笑った。
望もやっと笑って、帰って行った。
徹夜にはなれていたが、望の気持ちを考えると、辛く重苦しい気持ちになり、ついつい仕事中にため息がもれる。
「また読書で徹夜ですか?」
あんが揶揄うようにのぞき込んできた。
「目が赤いですよ」
「まあ、そんなもんかな」
誤魔かそうとしたとき、ふと思い出した。
「ねえ、あんってさ、外来に来る前病棟にいたんだっけ」
「はい。最初はOP室担当でしたけど、その後外科にいました」
外科か。
遠いのか近いのか、なんだか縁がある。
「外科病棟にいたとき、△△さんって一緒に働いたことない?」
何気ない質問だったが、あんは重ねて持っていたタオルを、落とした。
「あ!ごめんなさい」
「大丈夫?」
拾うのを手伝いながら、私はあんの顔を伺った。
真っ青で、脂汗を浮かべている。
「あん…?」
「これ、洗いなおさなきゃ」
あんはそう言った。
そして去り際に
「…今日、おうちに伺わせていただいてもいいですか?」
普段ない、あんの暗いまなざしを見て、私は頷くしかなかった。
死ねばいいのに
あんは手土産にイタリアンのデリバリーを持ってきた。
「なぎさんはワインが好きだから」
赤ワインの瓶も振ってみせる。
ゆっくり食べながら、他愛ないお話をする。
どちらも、きっかけを伺っているようだった。
「……外科に、森山先生ていらしたの、知ってます?」
外科の森山。
これもよく聞く名前だ。
不穏な方向で。
「△△さんって、森山先生の彼女っていうか、愛人だったんです」
知っている、と伝えていいか考えあぐねている間に、あんが続けた。
「でも、森山先生に新しい彼女が出来て…医事課の、なぎさんの同期の方なんですが」
理恵の事だろう。
「森山先生は、どちらともうまくやろうとしたそうなんですが、医事課の人が、他の人と別れないなら先生と別れるって脅したそうです」
言いかねない、理恵なら。
「△△さんは、森山先生ありきで出世した人だったから、それもあって先生とは別れたくなくて…別れたくなくて、ある『遊び』を先生に提案したんです」
「遊び?」
「院内で、処女の看護師見つけるから、レイプごっこしてみませんか?って」
聞きたくない。
私は、耳を塞いで、部屋から飛び出したかった。
しかし、足が萎えたように動かない。
舌も、口内で乾いて張り付いて、あんの言葉を止めることは出来ない。
「…そのおもちゃに選ばれたのが、私でした。OP室で、ひとりで片付けをしているとき、森山先生が入ってきて」
あんは、残って乾いたオードブルを見つめた。
「入り口は、△△さんが、塞いでいたんです」
「……あん………」
「それから、院内でそういう事が何度かあって、たまに△△さんも混じって来るようなこともあって」
「あん」
「私は心が壊れてしまって、退職をお願いしました。でも、人が足りなくて…それで一度外来にいったんです」
「あん」
「森山先生は、私が外来に移ったからといって、逃がしてくれるような人ではなかった。なぎさんも知っているでしょ、あの旧病棟の使われてない資料室。あそこでよく…」
「あん!」
無表情に話し続ける、あんの肩を握りしめて揺さぶった。
しかし、あんの心は、違う世界を漂っているようだ。
「ある日、なぜか急に、自分の部屋の窓から飛び降りたんです。2階建ての家から飛び降りたって、死ねないことは分かっていたのに」
あんは笑った。
張り付いた仮面のような笑い。
「大腿骨折と肩の脱臼。でも、これでやっと、仕事を辞めることが出来たんです」
「……」
「森山先生は新しい『おもちゃ』を見つけることの出来なかった△△さんに飽きて別れて、あの人はすぐに出世コースから外されてしまったみたいです」
オレンジジュースを飲みながら、あんはいつものように、愛らしい首をかしげる仕草をして、私を見た。
「どうして、なぎさんがあの人のことを聞いて来るんですか?