夏はキュウリばかり
料理していると暑くなるので、夏はほとんど料理しない。
キュウリの和え物ばかり作っている気がする。
とりあえず、夏はキュウリとミョウガほかの薬味を食べておけばバテないのではないか、と、勝手なイメージで思っている。
加熱するキュウリ料理もあるが (よく知らないけど中華にあったような……)、キュウリは加熱しなくても食べられるところが偉い。
塩だけ付けてポリポリ食べてもおいしい。
ナスも漬物があるくらいだから生で食べられるのだろうが、あの齧ったら 「ムシッムシッ」 みたいな音がしそうなものを好き好んで食べる気にはならない。
皮部分の歯触りもキュッキュしてちょっとゾワーッとしそうだ。
トマトも生でいけるが、ミニトマトのピクルス以外の作り置きは向いていないような気がする。
そもそもミニトマトのピクルスじゃ白ご飯とあんまり合わないような気がするし。
したがって必然的にキュウリになってしまう。
私はゴマ系の味が大変好きなのだが (だからルッコラも好きなのだろう)、キュウリと焙煎ごま油の相性って凄くいいなぁと思う。
いっつもキュウリ・ミョウガ・シソ・ショウガを適当に醤油とごま油と砂糖で和えて置いておいたものをバクバク食べていたのだけれど、少し飽きたのでネットでほかのキュウリ レシピを検索。
マヨネーズとツナ!
ちくわとわかめ!
わぁ、それいい!\(^^)/
とばかりに一体何年ぶりだろうかと思いながらセブンでちくわを買った。
ちくわってコンビニで買えるんだ! 便利!
わかめは今家にないので作っていないが、確かに給食のときはわかめとキュウリの酢の物を友達とめちゃくちゃおかわりしていた。
わかめとキュウリの酢の物は、基本的にカレーライスの日にセットで出てくる。
当時の担任はなかなか融通の利く人で、「手を付ける前に、食べ切れないなら (大鍋に) 戻しなさい」 ということを常々言っていた。
だから好き嫌いのある子供も、任意に食べる量を減らすことができたのだ。
逆にそのメニューが好きな子は余っていたらおかわりができる。
パンも食べ切れないなら、誰かと半分に分けて 1 つは袋を開けないで戻しなさい、と。
なかなか合理的だ。余った分は必要な人が持って帰ったらいい。
というわけで、みんなカレーライスをおかわりしたいのでわかめとキュウリの酢の物はガラ空きだった。
そこを友達と 「めっちゃおいしい!」 と食べ放題だった。
私は 「ずろずろのわかめ」 が結構好きである。味噌汁とかに入っているわかめも、プリプリしているよりずろずろのとろけかけている方が好きだ。
上記の酢の物もずろずろタイプだった。
あれって意図的にするにはどうしたらいいのだろう。
キュウリの話はもう終るが、ルッコラの水耕栽培が順調だ。
最後に真ん中に現れたものはシソの種である。
IDOO (↑ の水耕栽培キット) でシソだけ発芽しなかったので、やり方が悪かったのかと思ってキットではない方法を試してみた。
しかし調べたらどうもシソは発芽に 1 週間 ~ 10 日かかるそうである。
ルッコラが翌日には発芽するため、焦ってしまった。
ちなみにシソは発芽に光がいるらしい。
(ルッコラは暗い方がいい様子。しかし LED ライトが 16 時間当たっていても発芽していた)
IDOO が眩しいため、先日 100 均で買ってきたすべての道具を使ってブラック ボックス化している。
だから成長の様子は覗くまで見えない。
ゼリーを作るときに冷蔵庫で冷やし固める際、何度も冷蔵庫を開けてゼリーをフルフル振ってみて、「まだ固まってない…… (。。)」 みたいな感覚で何度も覗いてしまう。
しかし結構驚くくらい伸びているのだ。
雨後のタケノコ、水耕栽培のルッコラである。
※ なんと! ↑ 「雨後の筍」 を 「成長が早い」 ことに遣うのは誤りとのこと!
朝起きるととりあえずルッコラを覗いてみる。
カレー リーフに虫が付いていないか見に行く。
レモングラスがちゃんと再生しようとしているか確認する。
これだけで結構楽しいのだ。
そして 100 個買った小籠包を 20 個消費した。
本当に蒸籠だと皮が破れないで蒸せるのである。感動 & 驚き。
そして小籠包はおいしくて幸せだ。
蒸籠ってめんどくさいのかなと思っていたのだけれど、「ちょっと時間のかかる電子レンジ」 という感じ。
私がほかにやったことと言えば蒸している間に針生姜刻んだだけ。
お腹ペコペコで待てない!
という状況じゃないのなら、全然楽チンだし、10 分程度待つだけで小籠包食べられるとか素敵すぎ!!
実は小学校の卒業アルバムの寄せ書きに、「めざせあかがわじろう!」 以外にも書かれたことがあった。
「いつ見ても幸せそう」 だ。
しかも 2 人から同様のことを書かれた。
正直、私は 5 つ歳の離れた実姉に毎日のようにイビられていたので
「マジで ( ⊙⊙)!?」
と思ったが、まぁ
「いつ見ても不幸そう (^^)v」
とか書かれていたら逆にめちゃくちゃヘコんでいたと思うし、「小籠包が破れないって幸せ!」 とか今でも言ってるからそうなんだろう。
だって小籠包は破れるのが常だったのだから。
そしてこのアプリを入れて、見れるときは毎日夕日を見ている。
幸・不幸は 「持っているもの」 や 「持っていないもの」 で決まらない。
今、ここに存在するものがどれだけ 「レア」 なのかを認識することで決まるのだと思う。
同じ夕日は 2 つとない。
あまり映えない日も、それはそれなりの美しさと希少性がある。
重ねて言うが、小籠包が破れないことは当たり前ではないのだ。
だからそれだけでハッピーなのは間違っていない。
私は小籠包を作ったことがあり、その大変さとその汁が全部流れ出し、努力が水泡に帰したことのガッカリ感を知っている。
だから誰かが私の代わりにおいしい小籠包を作ってくれて、冷凍してそれが宅急便で運ばれてきて、誰かが蒸籠を作って、誰かがガスを通したり提供してくれたりすることによってこの幸せは成り立っているのだ。
本当に大変だよー (-_-;)
例えばマグロの寿司作ろうと思っても、1 からやったら本当に大変だよー。
船作ったり田んぼに水引いたりすることから始めないといけないんだよー。
'Wicked Tuna' 観てると、素人に本マグロ捕まえられると思わないよー。
↑ 大物のマグロがかかったのに、ブイに絡んでしまってそれを解いているうちに逃げられてしまった場面。
(大物は 1 匹で 100 万円を超えることもある & そのシーズンで捕獲していい上限が決まっているため、逃すと凄くショック!! 糸は切れるし針は持って行かれるしで赤字 & 収入がなくなるので冬越せない!!)
本当にひとりでは今の生活は何も成り立たないんだなあと思う。
長くなってきなのでこの辺でお暇しよう。
お読みくださりありがとうございました m(_ _)m