第6章 双極性障害になった意味~亡くなった親友からのプレゼント~
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オーキドなつみ( アメブロ / X / Instagram )
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私は入院中や、休職中鬱で苦しんでいたころ、「なぜこの病気になったのか……」と常に悲観的に思っていました。
でも今は、双極性障害になって、入院して、良かったと思うことが多々あります。(鬱になるとそう思えなくなるのが悲しいところですが……。)
・「神田橋語録」や「躁鬱大学」に出会い、双極性障害の特徴が分かり、生きやすくなった
・双極性障害と診断されたので、薬を飲むようになり、躁鬱の波が穏やかになった
・主治医や訪問看護の人など、自分をフォローしてくれる人が増えた
・躁になってたくさんラインを送り付けて、離れていった友人もいたけれど、逆に離れずに、ずっとそばにいてくれる友人もいる
・入院中に、親子ほどに年の離れた方と友達になれた
・SNSで同じ境遇の双極性障害の人たちと交流ができるようになった
・入院したことで、旦那の家事・育児スキルがさらに上がり、任せられるようになった(自分で背負い込まなくなった)
・自分の心身をより気遣うようになった
・自分を責めなくなった(病気のせいにすることができた)
・無理をしなくなった
など、振り返ってみると、双極性障害になった(というか、おそらく元々双極性障害だったけれど診断はされず、激躁になって診断された)ことで、得られたことがたくさんありました。
双極性障害になったことには、必ず何か意味があるのではないかと思います。
ここからは、私が激躁になったときのお話です。
当時私は、育休中でしたが、仕事がしたいからと子供を連れて出勤したり、育児以外のことにもいろいろとチャレンジしたいと、動き回ったりしていました。また、出産・引越しなど大きなイベントが重なったこともあり、激躁になったのだと思われます。
そんな中、私が激躁になったとき、亡くなった親友がそばにいる感じがして、混乱しました。
親友のことにまつわる、タイミングのいいことがたくさん起こる。
子供の書いた字が、親友の字に見える、など。
また、私は携帯のメモ帳に、以下のように書いていました。
===
子育ては大変ですか?
子育てに正解はありません。
ただ、笑いかけてあげてください
(親友)より
===
躁が落ち着いてからも、しばらくは親友の存在を否定しきれなかったのですが、今は冷静に、そうかもしれないし、そうでないかもしれないと思います。
でも、親友が、育児に家事に仕事に無理をしてしまう私に、強制ストップをかけてくれたのかもしれないとも思うようになりました。
生前、彼女からよく「無理しないで」と言われていましたし、結婚式の時にもらった手紙の中にも「無理しないでね」と、いつでも私のことを気遣ってくれていました。
双極性障害と診断されたからこそ、自分の心身の健康を第一に、無理をしないように心がけるようになりました。
双極性障害と診断されていなかったら、育児も家事も自分でする、仕事は週5日で任された仕事は全部する、と、きっと無理して走り続けていたと思います……。
また、入院していた時に彼女の3回忌だったことに気づき、それをきっかけに、毎年親友の誕生日に、お墓参りに行くようになりました。親友が、「私に会いに来てね!」と言っていたのかもしません(笑)。
先ほどお伝えした通り、双極性障害になってよかったこともたくさんあります。
双極性障害は、ある意味、親友からのプレゼントかもしれません。
私は人生の中で、良くないと思った出来事が、後で振り返ってみると、良いことに繋がっていた、ということが多々ありました。
双極性障害と診断されたことも同じだなと思います。
鬱の時には考えられないかもしれませんが、フラットな時に1度、双極性障害になってよかったことを考えてみて、書き留めてみてはいかがでしょうか。
きっとそこには、何か意味があるはずです。
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