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サッパリわからない「無門関を読む」
仏教の禅宗には公案(こうあん)がある.公案とは,師匠が弟子に与える問いや課題のことで,正しい答えを求めるのではなく,悟りを得るためのものである.中国宋代の禅僧・無門慧開(むもんえかい:1183~1260年)が公案を48則集めて,それぞれに評唱(解説)と頌(じゅ:詩文)を付した書物が「無門関」(むもんかん)で,無門関は公案の参考書と言えるだろう.
本書「無門関を読む」は,その無門関を現代語訳し,公案を平易なものから難しいものへと順に著者の独断で並べかえた上で,さらに解説を付けた禅の入門書である.入門書ではあるが,めちゃくちゃ難しい.
無門関を読む
秋月龍珉,講談社,2002
先述の通り,無門関は禅宗臨済宗で用いられる禅のテキストであり,修行者が悟りを目指す過程で参究する(じっくり考察し体得する)ために編まれた.編著者の無門慧開は,知識や論理だけでなく,体験的な悟りを重視したとされる.このため,無門関の公案は不条理で非論理的なものが多いと感じるが,敢えてそうすることで,修行者が既成概念や執着を捨てて禅の真理(悟り)に到達することを促しているとされる.
「無門関を読む」を読んだが,さっぱりわからない.
いや,即今(いま)・此処(ここ)・自己(じこ)が大切であり,というかそれしかなく,過去や未来や自分の外の世界に心を惑わされている場合ではないということや,自我に留まっていてはいけないということは朧気ながら分かる.頭では理解できる.しかし,そういうことを頭で理解したとしても何の役にも立たない.実践あるのみ.
無門関四十八則の第一則「趙州無字(趙州狗子)」だけメモしておこう.
この公案は,唐代末期の禅僧である趙州(じょうしゅう)和尚が,ある僧から「狗子(犬)にも仏性がありますか?」と問われたのに対して,「無」と答えたというもので,これだけだ.これだけだが,禅の代表的な公案のひとつとされ,「狗子仏性」とも呼ばれる.
大事なのは「無」だが,これは「虚無」の無でも「有無」の無でもない.主観と客観がひとつになり,自我が無我となるところの無だというわけだが,さっぱりわからない.
さっぱりわからないのだけれども,本書「無門関を読む」は禅・無門関の入門書として高い評価を得ているようなので読んでみた.その甲斐はあったと思う.
無門関 48則
一 趙州狗子
二 百丈野狐
三 胝竪指
四 胡子無鬚
五 香厳上樹
六 世尊拈拈花
七 趙州洗鉢
八 奚仲造車
九 大通智勝
十 清税孤貧
十一 州勘庵主
十二 州喚主人
十三 徳山托鉢
十四 南泉斬猫
十五 洞山三頓
十六 鐘声七条
十七 国師三喚
十八 洞山三斤
十九 平常是道
二十 大力量入
二十一 雲門屎
二十二 迦葉刹竿
二十三 不思善悪
二十四 離却語言
二十五 三座説法
二十六 二僧巻簾
二十七 不是心仏
二十八 久嚮竜譚
二十九 非風非幡
三十 即心即仏
三十一 趙州勘婆
三十二 外道問仏
三十三 非心非仏
三十四 智不是道
三十五 倩女離魂
三十六 路逢達道
三十七 庭前栢樹
三十八 牛過窓櫺
三十九 雲門話堕
四十 倒浄瓶
四十一 達磨安心
四十二 女子出定
四十三 首山竹篦
四十四 芭蕉杖
四十五 他是阿誰
四十六 竿頭進歩
四十七 兜率三関
四十八 乾峰一路
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