静けさの中の対話 :ダイアログ・イン・サイレンス
「音のない世界」の体験の場、「ダイアログ・イン・サイレンス」へ行ってきました。
音のない世界は、想像以上に厳しいものでした。
何しろ誰が話しているのかが、音で分からない。周りをちゃんと観察し、話したそうな人に気づくところから意識を使い、さらにその人が伝えたい内容を、その表情や身振りから推測する。
伝わることもあれば、伝わらないこともある。伝わった時の喜びはひとしおだけど。
普段のわたしを振り返ると、「音」や「声」をキャッチしてから、そちらを向く。下手したら、聞くだけで相手をちゃんと見もせずに会話を済ませてしまうことだってある。
それが失礼かは別として、そんな緩やかなやりとりは、耳が聞こえる人同士の間では往々にしてあると思う。
だが、耳が聞こえないということは、ゆるやかな対話が難しい。アンテナを張りまくらねばならない。補聴器の手助けもあるけれど、製品によっては音源の方向性を見極めるのが難しかったり、ノイズと音との弁別もしにくい。
少し目を閉じた瞬間に世界から孤立してしまう感覚も、ハッとするものがあった。光を感じはしても、無音の世界は想像以上に無機質だった。怖いほど。
障害を持っていたら物語の中でヒロインになる権利もないんですか?私みたいな女の子が恋愛小説の主役になってたらおかしいんですか?私に難聴者が出てくる本を勧めるのが酷いなんて、すごい難癖。差別をわざわざ探してるみたい。そんなに差別が好きなの?
小説「図書館戦争」に登場する、毬絵ちゃんという聴覚障害者の台詞である。聴覚障害について、初めてちゃんと考えたのがこのシーンだった。その時の息を飲む感じを、改めて思い出した。
だからどうしようとはなるけれど、せめて誰と話しているのであれ、目を見て、ノンバーバルを感じ取り、できる限りを受け取るように意識をしよう。小さなことも積み重なればきっと何かの意味を持つと信じよう。あ、そうそう、
表情筋も鍛えよう。
これ大事。
コミュニケーションて、相手をまるっと受け入れる覚悟だ。
言葉は言霊!あなたのサポートのおかげで、明日もコトバを紡いでいけます!明日も良い日に。どうぞよしなに。