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耳鳴り潰し217(可動フィギュアの座る姿勢、筒井康隆氏の息子、会話文最後の句点)

 昨日に引き続きロゼゴクウブラックで遊ぶが、顔は頻繁に交換するものの、手のパーツはあまりいじらないようになった。付け替えの際に壊れそうなのが怖くなったのかもしれない。座る姿勢、リラックスしているようで表情が豊かである。ベリアル、ジードと比べて自然な体勢が作れる。もはや怪獣教室の番長のような存在となり、先生役のエンペラ星人をボコボコにしている。

 やはり具合が悪く昼食後しばらく横になる。
 夕方から、先週図書館で借りた本にようやく手をつける。筒井康隆の掌編小説集「カーテンコール」の中、亡くなられた息子さんを題材にした話で泣きそうになる。自分の小説の挿し絵を依頼していた段階で、息子さんの身体はもう手遅れになるほどガンに蝕まれていたのだという。

 紙の本を読む際には読む角度に気を付けないと首への負担がかかる。書見台などではなく結局両手で支えて調整するのが一番。他に何かをしながらはできないので、自然とデジタルデトックスにもなる。最近各出版社からのKindle Unlimitedへの提供が減っている気がする。私好みの本が少なくなってきている。一時的に解約して図書館での読書にシフトするべきかもしれない。そうすると著者への罪悪感が湧いてきてしまう。そうなれば積極的な感想で恩返しするべきか。

 紙の本を気にする子どもら。そういえば息子の音読の宿題に付き合っている時に気が付いたのだが、今の国語の教科書では、会話文の最後に句点を付けるようになっている。「こんにちは。」というように。調べたところ、低学年ではこちらに統一され、学年が上がると柔軟になってくるのだとか。この傾向は2000年代からというので、ずっと前からそうだったようだ。舞城王太郎などは会話文の最後にも句点派。

 私としては会話文の最後には句点がない方が自然なのだが、どちらが良い悪いという話でもない。

 メンバーシップ様向けの記事に、過去作「Enter Sandman(Live in Moscow 1991)」投稿。娘が小学一年生の時の参観日の様子を描いたもの。もうあれから五年も経つ。音楽の授業でスラッシュメタル四天王の話をし、ソ連崩壊直前の伝説のメタリカのライブ映像をみんなで観る話。

「青春デンデケデケデケ」という、ベンチャーズのコピーをする少年たちの映画があった。全員ドラマーバージョンの「青春ドンドコドコドコ」という話を考えている。全員ベーシストなら「青春ボンボボベべボボ」になるし、全員メレンゲなら「青春メンレゲレゲレゲ」になるわけだ。ならない。

 今日の一枚「メレンゲ部」


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泥辺五郎
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