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遠藤周作「無鹿」
遠藤周作は1923年から1996年まで生きた。1989~1991年の間に発表された短編を集めたこの短編集は、晩年に近い作になる。
宮崎県に「無鹿(むしか)」という地区がある。
戦国時代の大名、大友宗麟(1530~1587)がキリスト教洗礼後、自身の理想郷を作るために、ラテン語の「音楽」という意味の「ムジカ」から取って名付けた。
と、いう説がある。
大友宗麟を主人公にした大河小説「王の挽歌」を書いた遠藤周作が、取材の一環として訪れた無鹿の事を、表題作は書いている。九州で権勢を誇りながら晩年は島津に敗れ、隠居してようやく自身のやりたい事をやるようになった宗麟だが、理想郷「無鹿」の建設途中で夢敗れ、その地を去ることになる。
宗麟と同じく西郷隆盛も似た経緯でこの土地に至っている。
「それぞれん夢賭けて、そん夢が敗れたのが無鹿」
定年間近のサラリーマンが、最後の出張先となる旅路で、少し足を伸ばして無鹿へと至る。出発前からそうと決めていたわけではない。大友宗麟や西郷隆盛の後を追うつもりももない。癌の気配が濃厚な自身の、病院での検査結果を出張帰りに知ることの先延ばしでもある。無鹿にまつわる話を知るのはその旅路での偶然の出来事に過ぎない。
定年とともに癌で死ぬ。
隠居した晩年に追い立てられる。
大友宗麟についての取材をしながら、作者も己を宗麟に重ねていたかとも思われる。
Eテレ「ムジカ・ピッコリーノ」でおなじみの「ムジカ」。そんなタイトルが遠藤周作の作品にあると知って手に取った。読んでる最中から、「そんなキリスト教絡みの地名なら、その後の大弾圧時代に改名されてるんじゃない?」と思って調べてみた。大友宗麟の入植以前からあった地名らしいとのこと。「ムジカ・宗麟・無鹿」の結びつきはドラマティックなのでそれはそれで良し。
突っ込んだ妄想。
宗麟は自ら名付けた理想郷「無鹿」をその後改名させられない為に、万葉集やら栽培植物の名前やらを関連付けて、そこは昔から「むしか」であった、という説を流布し、資料も作成した。かくして、理想郷としての「音楽」の名を関した地名は生き延びた。
「取材日記」という話も、遠藤周作の取材模様が読めて興味深かった。
誰にとっても夢を追い、夢破れた土地がある。
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