耳鳴り潰し75
しばらく息子が夜中に咳をすることが多かったので、以前のように早朝に私一人起きている際に、イヤホンで音楽を聴くことをしなくなった。家事や子どもとの片付けの際に音楽は聴くが、視聴時間は随分減った。イヤホンを使わないことで耳への負担が減り、耳鳴りが軽くなるかといったら、まったくそんなことはなかった。根本的に、脳脊髄液の減少で下方に引っ張られた神経の傷つきは回復しないようだ。常態過ぎてほとんど書いていないが、轟音と呼べる耳鳴りは常に鳴り続けている。
三日連続AI生成絵本記事を投稿する。
「眠る人たち」
よく考えたらもうこの方向で電子書籍化進めたらいいんじゃね? となり、最初に作った「作家とは、いかなる状況でも書き続ける生き物です」
を「作家たち」と改題して、kindle出版へ向けての作業に入っている。
そして既に第四弾も完成している。なんだこの熱量は。
本業(?)も忘れないように。シロクマ文芸部「ラムネの音」には「声がら」の続編で参加予定。
おめでたい報告。デビュー前から交流のあった坂先生の商業デビュー作「ある魔女が死ぬまで」のアニメ化が決定した。
「ある魔女が死ぬまで」を読んだ時の私の感想を引用してみる。
今また祝福のメッセージの飛び交うタイムラインを眺めながら、私は「ある魔女が死ぬまで」のある一節を、大切に抱き続けていたことを思い出す。
主人公のメグが、「喜びの涙集め」に慣れてきた頃のことだ。人に対することなのに、感情に関することなのに、慣れやコツで簡単に解決できるはずがない、と自分の思い上がりを責める場面だ。慣れやコツでうまくできてると思ってることの中にも、本当は慣れやコツだけで済ませていいものなんて、ほとんどないはずだ。仕事でも、子育てでも、創作でも。
日々何かしら書き続けている私でも、慣れやコツではどうにもならず「今、何にも出てこねえや」という時もある。そういう時は無理にひねり出すより、他のことをした方がいい。
ちなみに坂先生は、中間管理職として上と下の板挟みに苦しみながら、「終電ダッシュ」という、職場から終電まで走る行為を連日繰り返しつつ、バンドのドラマーとして活躍しつつ、カクヨムへの連載を継続しつつ、商業出版小説の校正をしつつ、という、いつ倒れてもおかしくないような生活をしていた方である。
「ドラ村さん」のモデルでもある。
ドラ村さんの登場する記事
仕事は辞することが決定し、作家兼ドラマーとなるようです。お体を大切にしてください。もう一度、坂先生、おめでとうございます。
入院費用にあてさせていただきます。