菅野久美子「家族遺棄社会 孤立、無縁、放置の果てに。」
特掃隊長「特殊清掃 死体と向き合った男の20年の記録」からの流れ。この後「死体格差」という本にも繋がる。この流れ全てKindle Unlimited。月額の元は取れまくっている。
このルポルタージュは、水面下で密かに活躍する終活サポート団体、そして、近年急増中の遺品整理、特殊清掃業者、さらに家族すら面倒を見ることを放棄したゴミ屋敷の住人や葬送関係者などを通じて、現役世代が迎えつつある孤立の現実をつぶさに描いたものだ。
最近読んだ本の中で数多くの孤立死の現場が書かれているため、そこらにある様々な住居で今も続々と人が死んでいるように見えてくる。実際にそうなのかもしれない。それらの死骸は自分がもしかしたらなるかもしれなかった死骸で、ひょっとしたら今後将来のどこかで自分がなるかもしれない死骸なのかもしれない。
「セルフネグレクト」という単語が出てくる。
前の職場で、生きながら死んでいるような同僚がいた。宝くじが当たることだけが現状から抜け出す唯一の希望だと言い、必要もないのに限界まで残業を続け、私はまさにこの通りの言葉で「緩やかな自殺に付き合わされている」と思っていた。まだ生きているのかは知らない。
ある優しすぎる老婆の話も、近所の公園に犬の散歩に来る方から聞いた。始めは二匹の猫だったのが、去勢せずにいたら百匹近くまで増えてしまった、八十五歳のお婆さんの話。年に二度の繁殖、新しく生まれた猫も半年後には繁殖可能になる、といったリズムであっという間に膨れ上がり、その対処に周囲が巻き込まれてしまったとか。
孤独死で深刻なのは、見守り対象でもある老年世代より、現役で働いている四十~五十代だという。無職で一人暮らしの場合、突然死しても誰にも見つけられず、アパートのフロアに悪臭が充満するまで気付かれないことも多い。誰かと暮らしていれば、一命を取り止めることが出来たような状況でも、一人ではあっさりと死に直結するのだ。
孤独死に至る手前でSOSを出した方の話も出ている。真夏に近所のコンビニで買う冷凍のペットボトルでどうにか生を繋いでいたという。
年間約三万人が孤独死しているという。「自殺に等しい死」を加えれば、この国の年間自殺者の実数は跳ね上がることだろう。人は誰もが死ぬ。孤立した人が増えている。誰もが孤独に死ぬ可能性を秘めている。
浴槽で亡くなった遺体が腐ると酷いことになる。警察が死体を運んだ後、湯船の栓を抜いてしまうと、建物全体の配管が汚染されて大惨事になってしまうという。特殊清掃用の洗剤などを用いないと落ちない汚れもあるのだとか。
この辺りに孤独死問題が集約されている。
先祖からの墓を守だとか、立派な葬儀だとか、考える余裕もなくなってきている家族も増えている。家族に冷たくなったせいだけではなく、現役世代も生きるのに必死で、冠婚葬祭にかけられるお金がないのだ。
孤独、孤立、果ての死。そうなった様々な原因はあれど、落ち込んでしまえば浮かび上がることが難しい社会が、孤独死の大半を作り上げていると言っていい。そうなる前にヘルプの声を上げる、そうなった人を救う仕組みや取り組みが必要だと、本書は訴えている。
孤独死が発生した部屋のお祓いを請け負う宮司への取材もされている。仕事が増えているのだという。事故物件になってしまった部屋を「とりあえずお祓いはしています」の体を作って、すぐに次の人に渡せるようにするため、依頼する大家が多いのだとか。
「墓じまい」という、お墓を手放す人々の話も出ている。墓石を作る側であった石材店が、リサイクル素材にする為に墓石を切断する描写は圧巻だ。お寺の本堂建て替え工事の為に檀家に寄付を募ると、その金額に驚いて檀家を抜け、墓じまいが増えるという話も生々しかった。
「死」「孤独死」「孤立」「死の現場」「死への対応の変化」など様々なことを考えさせられる一冊。
入院費用にあてさせていただきます。