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耳鳴り潰し226(ニューシネマパラダイス、絲山秋子「神と黒蟹県」、無言の子)

 先日「ニュー・シネマ・パラノイア」を書いたので、映画「ニュー・シネマ・パラダイス」を観始めている。ちなみに「映画を少しずつ観る」ことは、映画鑑賞中以外でもその映画のことを考え続けることになるので、より一層映画を楽しめるからお勧めである。

 この映画とは奇妙な縁があり、大昔、何となくつけていた真夜中のテレビで、それと知らずに観ていた。だから断片的な場面場面の記憶があり、後に「ニュー・シネマ・パラダイス」の話題を読み、「これってあの時観た映画では」と気付くことになる。その後きちんと観直す、ということをせずにここまで来ていた。

 最近はアニメ及びアニメ映画ばかり観ていたので、人間の役者の演技がそれぞれ本当の出来事のように入り込んできてしまう。観ているのは完全版の方。通常版との違いをChatGPTに確認したら、ばっちりネタバレを食らったが気にしない。

 近頃カナちゃん以外のクラスメイトのことも話すようになった息子。学校では全然人と話さない子がいるのだが、「家では話してるんだって」とのこと。私も中学の時のクラスメイトで、先生にあてられても一言も発さない子がいたことなどを話した。彼女とは後に30歳を過ぎてから当時の職場で再会することになる、といったことは話さなかった。あまりにも中学の時の印象そのままだったので、他人の空似だと始めは思った。しかし下駄箱に記された名前プレートで、特徴的であり忘れていなかった名前を見て本人だと知ったこと、なども話さない。同級生なのだと彼女に告げた際、向こうは全く覚えていなかったことも話さない。妻と付き合い始めた一週間後に、その子から手紙を受け取ったことも話さない。もしも妻と付き合う時期が少しずれていたら、今の娘や息子がいなかったかもしれない、ということも話さない。

#なんのはなしですか

 絲山秋子「神と黒蟹県」読了。先日書いた「ニュー・シネマ・パラノイア」にも蟹が出てきた。しかし黒蟹県という架空の県が舞台ではあるが、別に蟹は出てこない。蟹は出ないが神は出る。人間に化けてあちこちぶらぶらしている。人助けをした後警察に表彰されるのが嫌でたまらなくて、世界を滅ぼそうかなんて考えたりもする。

 二年前に絲山秋子作品を集中的に読んでいた。そういう読み方をすると、個々の作品のイメージが定着せず、どれがどれだか分からなくなってしまいがちだ。だからそういう読み方は日頃避けていた。しかし当時は敢えてごちゃ混ぜになることを選んでいた。今久しぶりに絲山秋子作品に触れると、当時入り込んだごちゃ混ぜの世界観に今また足を踏み入れている感覚で、懐かしい場所に帰ってきたようで心地よい。

 この日も息子とキャッチボール。球が大きく逸れることがなくなっている。

 たまってるもの消化中。「生成画像付き短歌集(81~90)」追加。運動会とかもう一ヵ月以上前の話。

 今日の一枚「大雨に濡れるレッサーパンダのぬいぐるみ」


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泥辺五郎
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