動物から考える社会運動⑧動物問題と交差性
わたしたちはなぜハラスメント運動/野宿者支援をしながら動物の運動をするのか?——動物問題連続座談会の一回目第8弾。野宿者支援・労働運動など複数の問題に携わってこられた活動家の生田武志さん・栗田隆子さんをゲストにお呼びし、交差的な運動についての議論を深めていきます。
交差性(Intersectionality)ってなに?
——ハラスメントと動物の問題、一見全然関係がなさそうで、重なる部分もあるということをいままで見てきました。栗田さんとはレナさんが以前、社会問題の交差性について話をしてインタビュー記事にしていますが、そもそも交差性とはなにか、特に動物問題においての交差性について、最後に考えていきます。
深沢 交差性って言葉、便利だからわたしも結構使ってるんですけど、改めて「交差性って何?」というところから、ざっとスライドにしましたので見ていきましょう。今日は井上太一さんの『動物倫理の最前線』の分類や解説をもとに進めていきます。
交差性(Intersectionality)というのは、もともと19cに、黒人女性という、女性問題と人種問題の両方に悩まされる人の境遇に光が当てられて、その議論がはじまったようです。20世紀には、有色人種の女性たちによるフェミニズム運動がだんだん広まっていって、その流れの中で、89年に、キンバリー・クレンショーという活動家が、連結する抑圧システムのことを交差性(Intersectionality)と名付けたというのが始まりになっています。
ただ、交差性の議論自体は、他のところでもその前から行われていて、とくに70年代からのエコフェミニズムの貢献は大きかったみたいです。女性たちの方が、水汲みにいったり、山菜を取ったりという仕事がおおかったので、環境破壊による被害は女性に集中してしまうんですよね。同じ環境破壊といっても、その受ける被害の大小に偏りがあるわけです。80年代にはアメリカで、環境破壊の影響が、有色人種の貧困層に集中しがちであることに注目が集まり、環境正義という概念が生まれたりもしました。
動物問題に関する交差性は、主に3種類に分類できます。
まず1つ目は、動物に関わる交差性。2つ目は、動物搾取に伴う人的被害の交差性。3つ目は、動物運動に従事する人に関わる交差性があるんですけど、この3つも、明確にくっきりわけられるものでもないのかな、という気がします。どういうものがあるのか、ざっくり見ていきましょう。
フェミニズムと動物運動
深沢 まず、特に家畜の場合、生殖能力を利用するので、もろ性の問題と関わってきます。豚も、牛も、鶏も、人間も、その女性たちが、生殖能力を搾取されるので、フェミニズムともつながってくるし、動物産業は動物たちを無条件に異性愛の型にあてはめてしまうので、クイア理論とも交差性があります。
これはこの前の8月に、イギリスのヴィーガンの団体が出した広告なんですけど、牛の搾乳の様子を、人間の女性に置き換えて、牛の乳を奪うことの暴力性をアピールしています。
生まれたときの性別によって、「いらない命」と判断されて処分されるものには、さっきの動画でみた雄ひよこがいますけれども、卵をうめなくなった採卵鶏も処分されます。
ただ、上の広告のような、女性の裸体を用いた運動のありかたは問題にもなっていて、PETAという世界で一番大きい動物擁護団体では、特にその傾向が強く、非難の対象にもなっています。PETAは、女性のポルノ的利用だけでなく、人物写真の9割に白人を使っていて、人種のバイアスも強い傾向が指摘されてもいます(※最近では改善の傾向も見られます)。
ちなみに、このPETAのモデルをしているパメラ・アンダーソンは、もともとプレイボーイのモデルで、女優でもあるんですけど、セックステープを盗まれて流出されたという事件の被害者でもあります。でも、パメラがもともとヌードモデルでもあったことで、被害をまともに取り合ってもらえなくて、二次被害もひどくて、どこにいってもからかわれるようになって、事件以降、やりがいのある仕事が全然入らなくなってしまった。そういう中で、どうせもうみんな自分の体を見つづけるのなら、自分の体を社会的に意義のあることに活用したいと思い立って、PETAの活動に従事するようになった、という経緯を、映画のなかで話しています。
この映画はすごく元気のでる映画でもあるんですけど、ただ、パメラは、#MeToo運動のときには、被害者女性に対して二次加害発言してしまったひとでもあります。
あと、性暴力関係でいうと、たとえば、動物園で芸をする動物たちは、「喜んでやってる」とか、家畜は「住むところも食べるものももらってるんだから幸せだろ」「嫌だったら逃げるはずだろう」と言われることがありますけど、そういう論理は、性暴力の被害者に対する典型的な二次加害、「被害者も同意の上だった」「嫌だったら逃げるはずだ」というのと同じロジックのように思えます。ちなみに、性暴力で使われる「グルーミング」という言葉は、そもそも動物に使われる言葉でもありました。
性暴力の問題でもう一つ言うと、動物運動に関わる人たちの中での性暴力の問題があります。2017年からは、#ARMetooというハッシュタグが作られて、動物運動の中での性暴力が告発されるようになりました。
動物問題と障害者差別、ナショナリズム、外見差別etc.
深沢 それから、栗田さんとのインタビューでも話にでてきましたが、スナウラ・テイラーの『荷を引く獣たち』という本は、障害研究と動物研究という観点で書かれた画期的な本です。
著者のスナウラ・テイラーは、自分も障害者かつヴィーガンで、人間の都合で動物が「品種改良」されることだったり、障害があるものは「廃棄物」として処分されてしまうことだったり、そもそも「依存や障害=不幸だ」という見方というのは健常者中心主義でしかないんじゃないか、ということを論じています。動物の運動と障害者の運動は、ピーター・シンガーの理論で限界を感じるところがありましたが、この本によってかなりその可能性が開かれたんじゃないかなと思います。
あと、外来種排斥もありますね。これはだいたい外見差別・容姿差別ともつながってます。“美しい”動物は外来種であっても受け入れられたりするんですが、たとえばこのアメリカザリガニなどは完全に悪者にされてしまっていて、「環境保全のため」「国の生態系を守るため」といった人間の理屈で、外来種が悪者であるかのような印象づけが行われています。そもそも環境破壊は人間が一番やっていることなので、それを動物のせいにするのは責任転嫁でしかないんですけど、こういった公園に貼られたチラシに子供向けに「指名手配」とか平気で書かれてしまっているのは、子供に差別意識を植え付けてしまうという問題があるんじゃないかと思います。
ザリガニもそうですけど、この前の東京のオリンピックだったり、土地開発によって居場所を壊される動物はたくさんいるということが、佐藤栄記監督の『マッカチン シャドー・ザ・パンデミック』に描かれています。この辺は野宿者排除、ホームレス排除の問題ともつながってるんじゃないかと思います。
こういうふうに存在することすら否定される動物たちもいる一方で、犬猫のように、人間の家族として大切に扱われる動物もいて、動物の中でも「特権的な存在」とそうではない存在というヒエラルキーが、人間都合でつくられてしまっているんですよね。やっぱり犬猫は「かわいい」存在だから、保護の対象とされる。でも家畜の虐待はなかなか起訴されないんですよね。法律によっても守られない。
それから、魚類は見た目が人間とかけ離れているので、痛みや感情や知性があることすら理解されない。魚のウェルフェアは議論にすらならないような状況です。また、野生動物たちは、駆除が正義であるかのように、扱われたりします。
工場畜産の被害者は動物だけじゃない——労働問題・健康問題
深沢 あと、動物搾取に伴う人的被害という点で言うと、屠殺場の労働環境と動物虐待の問題があります。この表はメラニー・ジョイの本から引用したものですが、労働者たちは怪我のリスクが高い。また、できるだけはやく多くの家畜を殺すことが目的にされているので、作業員たちも精神的にトラウマ症状が出たりするんですよね。その作業員たちのストレスが、動物に向けられて、虐待が起こることも少なくありません。
肉食の問題をいうと、第三者の人が、「農家さんがかわいそうだろ!」とか言ってくることもときどきあるんですけど、『73cows』というドキュメンタリー映画では、牛の農家の方が、自分たちが育てた牛を屠殺場に送りつづけるという罪悪感に苦しんでいる様子が描かれています。結局、この方は、畜産の現状を変えなくてはならないと思って、73頭の牛を全部サンクチュアリに送り、自分の牧場をヴィーガンの農場に変えました。そういう取り組みをしている人もいます。
他にも、工場畜産は農村部に集中しているので、 現地の人たちは悪臭や汚染の被害にあうことになりますし、あと、『フードインク』という映画でも描かれていますが、低所得の人・多忙な人・障害を持つ人など、購入できるものの選択肢がかぎられている人は、ファーストフードの動物性食品を利用する機会が多いので、生活習慣病などの健康被害が集中することになります。
そういう、加工食品への依存による健康問題・健康不公正への対抗として、「ブラック・ヴィーガニズム(Black veganism)」という運動もあるそうです。ルーツはいろいろあるようなんですけど、ある調査によると、ヴィーガンの割合は、アメリカ人全体では約3%であるのに対し、アフリカ系アメリカ人の最大8%がヴィーガンだということがわかっていて、実はアフリカ系の方のヴィーガン率が高いんですよね。これは、ヴィーガニズムというと「白人の中流階級・上流階級による排他的な思想」という固定観念を打ち壊す運動にもなっているんじゃないかと思います。
ざっとみてきましたけど、動物の問題は、単純に、種差別や人間中心主義ということだけではなく、資本主義、父権制、異性愛規範、健常者中心主義、排外主義、容姿差別、あるいは肉食主義など、いろんな問題が関わってます。
こういう視点も含めて、どういったことが考えられるか、またみなさんの意見を聞ければと思います。
「ヴィーガン=過激」というイメージの先行
栗田 最後のブラック・ヴィーガニズムについて聞くと、印象が変わりますね。
フェミニズムもそうだけど、たぶんヴィーガニズムの現実がどうというより、イメージでどう捉えられるかが大きいんだろうなと思うんですよね。そのイメージというのは有名な人が作っていくことも多いだろうと思う。
たとえば、ブリジット・バルドーなんて、もう若い人は知らない女優だと思うんですけど、この人はフランスの女優で、50〜60年代くらいに活躍して、70年代に女優を引退して、そこから動物愛護運動をやりだすんだけど、なにせ目立つ人だから、この人がたとえば、こういうことを言ったりすると大きな話題となります。
栗田 こんなことを言い出す人はヴィーガンの中でも少数だと思うんです。だけど、この人がなまじ有名なだけに、そういう発言が注目されて、「やっぱり動物愛護団体ってさぁ・・・」みたいな偏見や、リベラルの人がそういうところに注目して「おかしいんじゃないのか」と言い出したりするということが起きているんじゃないかな。
フェミニズムにおいても、フェミニストといってもいろんな人がいて、さっきもヴァンダナ・シヴァとか出てきたけど、わりと有名なシェリル・サンドバーグの『リーンイン』とか、日本だったら上野千鶴子さんとかが、一番有名で注目されがち。それだけじゃないのになかなか他の人が見えない、という問題がヴィーガンにもあるんだなというのが感想として一つあります。
生田 活動家に対しても、テレビで出てくる一面だけでみんながイメージを持ってしまうところはありますもんね。野宿者の排除(行政代執行など)の場面で、機動隊とぶつかってる野宿者や支援者がテレビに映されて、「こんなことばっかりやっているの」と思われてしまったりする。もちろん、ああいう場面もあるんですけど、もっとやってることの全体をみてもらいたいなと思うことはあります。
動物問題の交差性についてはいろんな問題が絡まっているので、当然交差してくると思うんです。それは一つ一つ見ていかなきゃいけない。たとえば、僕が書いた『いのちへの礼儀』を読んだ女性が、「乳牛というのは、何もしなくても牛乳を出す牛なんだと思ってた」と言っていた。牛は妊娠してはじめて牛乳を出す、ということを本を読んで知ってびっくりした、と言っていたんです。その女性は、リプロダクションの問題と絡めて考えさせられた、と言っていました。つまり、雌牛を強制的に延々と妊娠させて、牛乳を搾り取るという意味で、人間の女性のリプロダクション・ライツと重なって見えてくる、ということです。
「屠殺=ホロコースト」と語ることの危険性
生田 人間の問題と動物の問題は同時にみていくと面白いところがある。だけど一方で、肉食の問題について、大規模な屠畜場をユダヤ人の大量虐殺と重ねて言う議論があるんだけど、これはユダヤ人の団体から大きな反発があったわけですね。「一緒にするな」「われわれを動物扱いするな」ということで。ここには、もちろん動物に対する差別意識も前提としてあるんだけど、ただ、ユダヤ人の虐殺問題と動物の屠殺の問題は、様々な面で確かに違う。なので、重なる面もあるんだけど、丁寧に議論していかないと、言われた側が激しい反発をして不毛な議論になってしまうということもある。重なる面と違う面をかなり丁寧に言わないと建設的な議論にならないということがあると思います。
深沢 その辺はクッツェーが『動物のいのち』で結構苦労して書いていますよね。語りを工夫している。一つの語りで、「工場畜産はホロコーストと同じだ」と言ってしまうと、どうしてもいろんな議論を巻き起こすから、この本はいろんな立場の人を登場人物にしてポリフォニー的に書いている。ただ、なにせ難しいんだよね。講演のフリをしているフィクションなんですけど、構造がややこしい。
栗田 それだけ慎重な議論が必要だということなんだろうね。
生田 さっきのユダヤ人の問題も、たとえばアイザック・シンガーのようなユダヤ人が書けば、ストレートに受け止められるんですけど、日本人が言うとまったく意味が違うので、そこはかなり慎重にやらないといけないと思います。
栗田 どういう立場から語っているのか、というポジショナリティの問題でもあるよね。
* チャールズ・パターソン『永遠の絶滅収容所』では、人類による虐待と殺戮の歴史と、動物の家畜化・屠殺の関連性が詳細に論じられている。
外来種排斥とナショナリズム——並行する保護と排斥の動き
生田 あと、外来種のことでいえば、外国人排斥の問題と当然絡まってくる。だって、外来種が危ない、とやたら言われるけど、結局、ほとんどの種が追い出すことができずに定着しちゃってるじゃないですか。だけど人命を失ったという話は聞いたことがない。ほとんど問題ないんですよ。だけど、「国の生態系を守れ」といったようなナショナリズムが、特に1990年代以降、在特会(在日特権を許さない市民の会)の発生と同じ頃にはじまってきている。これはトキなどの希少動物の保護と裏表なんだけど、排斥と保護がセットで進んできている。ナショナリズムの問題と外来種の問題はかなり重なっている、という印象です。
栗田 さっきのアメリカザリガニのビジュアルの話は面白いな、と思った。ネモフィラってわかる? 青い花なんだけど、ネモフィラは公園に植えて「綺麗ですよ〜!」なんて言われている花なんですよ。でも、実はすごい繁殖力が強くて、外来種といえば外来種。だから、扱いがビジュアルによっても違うと話はネモフィラを思い出しました。
たしかに、日本の国外で生まれたものが日本でも育っていくことを嫌うって不思議な発想だと思うね。だって、古来の日本種なんて、植物なんかは逆に少ないわけじゃん? 野菜だってトマトは南アメリカ原産とかさ。
生田 野菜はほとんど日本種じゃないですよ。(日本原産の野菜はセリやフキ、わさびなど20種類ほどしかなく、現在栽培されているほとんどの野菜は外来種)。
栗田 ないよね。だから、ほぼいろんな海外の種があるのに、具体的にどう困っているのかが曖昧なままで「急にブラックバスが増えて」とか言われ出すのは問題です。あとは美観の問題でしかなかったりもするのかな。たとえば、「この湖でこれが増えたら困る」とかすごく限定した書き方をしないと、外国人差別みたいになるよね。
——わたし親戚が佐渡島にいるんですけど、日本原産のトキは絶滅していて、今佐渡にいるトキって大陸からきたものを増やしているんですよね。自国でハントし尽して一回みんないなくなっちゃってから焦って中国のトキを連れてきて。観光資源のためだと思うんですが、「トキを保護しよう」と国や新潟県が頑張っている。もう原産とか関係ない。
生田 そうなんですよ。本でも書いたけど、いわば、日本人が絶滅したので「同一種」である中国人を連れてきて「復活」させたようなものです(中国のトキと日本のトキは遺伝子の違いがごく僅かな同一種で、「例えて言うなら、日本人と中国人の違いみたいなもの」(石居進「早稲田ウィークリー」919号)とされている)。
トキは美しいので保護されているんだけど、でも多くの動物は保護などされずにほったらかしなので、おかしな話です。
栗田 しかもトキの学名「ニッポニアニッポン」って、名前がすごいよね。
一同 (笑)。
生田 よりによってその鳥が絶滅しちゃった。
栗田 なんつう名前を(笑)。でも外来種の問題が騒がれだしたのは案外最近なんじゃない。タンポポだってさ、西洋タンポポはわたしの小さい頃からいて、あれは外来種で、日本のタンポポがそれで衰えだしたけど、小さい頃は特に騒がれた記憶はないもんね。
生田 そうですね。あまり関係ない話ですけど、伝統のものは尊重されて、少々危険でも見逃されるということがある。「蒟蒻畑(こんにゃくばたけ)」で喉詰まらせて死ぬ人がいて、問題になったじゃない。それで、「蒟蒻畑」は細かくくだいたものが売られているんですけど、実は餅のほうが人がたくさん死んでいる。餅は危険な食べ物で、毎年、特にお年寄りが窒息死している(餅による窒息事故の死亡者は、消費者庁によると65歳以上が2018年に363人、2019年に298人。「医師の立場から見て、『餅ほど恐ろしい食べ物はない』と常々思う」(https://diamond.jp/articles/-/291770)と言われている)。だけど、でも販売禁止にならないのは、「伝統食品だから」という位置付けなんだよね。ちょっと似てます。
栗田 そうか。やっぱり政治性というか、人為的というか。
生田 外来種は危険視する一方、日本伝統のものはなんとしても残さなければ、というのがずっとあるんだと思う。
動物と生殖(リプロダクション)の問題
栗田 フェミニズムの文脈でいうと、わたしはリプロダクティブ・ライツは自分の専門分野ではないからあんまり大きいことはいえないけど、あたりまえだけど畜産ってめっちゃ生殖中心主義なんだっていうのは、改めて痛感させられた。
動物と生殖の話は、ペットもブリーダーという存在をどう捉えるかという問題があるけど、動物が生殖を求められている存在なんだと思うと、どこまでそれを求めていいんですかというウェルフェアの議論にもなるよね。本当は卵を年間15個くらいしか産まない鶏が、300個も産ませられる羽目になっている。じゃあ15個に戻すというふうに考えるのか。それは生殖の話に深く関わるんだ、と気付かされて。生殖の問題はセンシティブな問題であるはずだからこそ、卵をあんなに食べてることはどうなのよ?と考えなくちゃいけないと深く思いました。
フェミニズムは、生殖が管理されていることがおかしいじゃないかといってきたから、それを動物に対して、ウェルフェアのレベルでもちゃんと考えなくちゃいけないな、と思いました。
深沢 動物も性的指向はさまざまなんですよね。
栗田 キリンは同性愛が多いとか。ボノボも結構同性同士でスキンシップしたりとか。
深沢 畜産だけに限らず、動物園でも、たとえばニューヨークでメスのゴリラが交尾を嫌がるから、交尾するまでプロザックを投与されるということがありました。それは反対の声が強かったんですけど。管理するとはそういうことにつながりますからね。
栗田 そこまでやらせる必要があるのかという。まさに尊厳の話に関わるし。
深沢 それと同じことを人間にやったらものすごい問題になることを、人間の娯楽のための施設がそれをやってしまっているわけで。動物への搾取に対してもっと自覚的にならなくてはならないと思う。
——スライドのなかで、女性に搾乳機がついているポスターがあったけど、あれが日本でどう見えるか、というのを考えてしまいます。あのポスターって、「人間にこんなことしないでしょ、だから動物にもしちゃダメだよね」というメッセージかなと思うんですが、日本って猫耳コスプレとか、牛柄ビキニとか、ああいう表象ってポルノにありふれている現状がある。女性を工場の中の動物のように扱う性的コンテンツが普通にその辺にあるみたいな日本の特殊な環境がまずあるから、ああいうポスターを見ても、まず、「変なポルノが蔓延している状況がやばい」という話になって、なかなか動物の話にいかない、ということが起こりそう。今も女性の権利のために、トランスの人の権利が制限されてしまうということが起こっていますよね。
栗田 たしかに、日本はその問題があるからね。さっきの搾乳機みたいなものも、エロバナー漫画にあるもん。またそこは海外とは別のルートの問題が潜んでいる。そのアプローチがまた難しいというのがあるね。
深沢 ちなみにさっきのロンドンの牛の女性のやつは、批判も結構あったみたいですけど、あれを考えた女性は、「ビキニとか下着の女性の広告は普通に出回っているのに、動物問題のキャンペーンで女性の身体を使ったら”危険”とみなされるのは偽善だ」ということをおっしゃってましたね。
栗田 それもまた、なるほど。
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※2023/11/27 一部修正しました。
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