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"協力"のコミュニティと"協働"のコミュニティ

こんにちは。滋賀県湖南市在住、Dongree代表のドリーです。
Dongreeという事業で僕がやっていることは、2015年開業時のWEB制作から始まり、京都では4年ほどコーヒースタンドを経営、滋賀に移住後ブックカフェの店主をしたり、コーヒーロースターの焙煎士をしたり、滋賀県湖南市の地域おこし協力隊として地方創生にまつわる活動をしたりなど、その時々で常に移り変わっています。近々DIYリノベーション事業も始まるので、大工さんにもなります。

全ては『お金以外の資本で豊かに暮らす村づくり』を実現させるため。

そんな僕が、新しい企画やビジネスを成そうとするとき、まず最初に大事にしているのは『自分の中の明確なストーリー』です。
アイデアの起承転結が見えていて、ちゃんと人に語れるものに落とし込めているかどうか。
ここが出来てると、共感者と出会った時に良いスタートが切れるし、その後の不確定要素に直面しても方向修正はしやすい。

そして次に、そのストーリーを一緒に紡いでくれるパートナーの存在が、実はストーリーそのものよりも大事。
物語は自分1人では絶対に完成はしないもので、その読者であり、そして一緒に語ってくれる人がいないと世の中には広まっていかないから。
パートナーとの語らいで、より深みのあるストーリーに進化もしていきます。

そのパートナー選びは、人柄や社会的関係性を重視しつつも、スキルや経験も無視できません。
パートナーとしては『協力』という形では少し足りなくて、『協働』という形が良くて、その方がお互いに一番気持ちがいいし出来ることの広がりが格段に違います。

その協働関係で企画や事業を進めていくために、僕が重視しているものが一つあります。

それは『依存しない関係』であること。


っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっd依存のない協働

例えば僕はWEB制作業・ブックカフェ経営・コーヒー焙煎士・地域おこし協力隊、など様々な環境で働き、報酬を得ています。
自分のビジネスを持ち、信条・信念でもってスキルや経験、時間(人生と置き換えてもいい)をお金に換えて生きてる状態。

この状態があるかどうかが、良い協働関係の線引きになっている気がします。

たとえば「一緒に何かしたい!」と思ってくれる人が現れたとしても、「"何か手伝えること"があればやりますよ!」というスタンスは申し訳ないけれど正直難しいと感じてしまうことがあります。こちら側に"手伝えることを考える仕事"という負担が発生し、相手が依存している状態。
気持ちはほんとに嬉しいんです。自分のやろうとしていることの自信にもなるから心強いし、有難い。
けれど、その気持ちに応えるためにも、僕は理想を現実化していかないといけない。正直な気持ちで歩を進めるならばこそ、足枷となり得る『依存する人』とは距離を置かなくてはならない。難しいけど、ここはハッキリと意識しておいた方がいいと思ってます。

また、暮らしに困窮していて「十分な報酬がないと一緒には出来ません」というのも苦しい。
場合によっては、「一緒にスタートアップをしよう!」と声をかけて、互いに報酬ゼロで一緒に始めれる余裕があるかどうかも重要になってくるので。

逆もまた然りで、例えばデザイナーさんに、
「この商品を売りたいのでデザインをお願いしたい!コンセプトも販路も考えてもらえますか」
といった丸投げの依頼の仕方をしてしまうこと。
これもまた相手に依存しすぎてて、良い協働関係とは言えない。もちろん良いデザインなんて出来っこないし、依頼料が無駄になる。

他方、安定した自分のビジネスや余裕のある資本を持っているからといっても、誰でも協働関係にはなれるわけでもない。
やはり大事なお金(人生)を使って行動を共にする以上、信頼関係やビジョンの共有は必要だし、そこには人間対人間の相性ももちろん介在する。

村づくりに必要になる「非経済(お金)」な協力のコミュニティ

さて、Dongreeでは前述の通り「お金以外の資本で暮らす」をコンセプトとした場づくりを目指している。このことは僕の発信チャンネルのあらゆるシーンで語っているし、これからもアップデートしていくものだから、ここではその詳細は略させてもらいます。とにかくお金からの解放をみんなで達成したいと思っている人間で、それをいつか本気で事業化しようとしています。

そんな僕は、京都時代にはWEB制作業から人生初の店舗経営となるコーヒースタンドや暮らしの道具店、手仕事の作品展、山奥マーケット、各地へのポップアップ出店他イベント企画多数、アレコレやっていました。その目的はDongreeの名前を広く知ってもらうためであったのと、村づくりに繋がるコミュニティづくりでした。一人で村をつくっても、僕の目標は達成されない。そこに暮らし、本当に豊かになる人がいてこその村づくり。だから資金以上に『共感してくれるメンバー』というのがめちゃくちゃ大事で、「お金は後回しでもいい!」って腹をくくって、クレジットカード2枚をキャッシュローン限度額まで使いまくって、借金背負いながら無茶な店舗経営やイベントを繰り返していました。

その当時は「先行投資だ!」「ちゃんと人は集まってるから大丈夫」「いつかみんなで村づくりは叶う!」と、頭の中お花畑ちゃんな考えで走り続けてました。食事も1日一食。奧さんとのデートも皆無。豊かな暮らしからは程遠い現実。それでも元気(なつもり)でした。
そうして限界が来て、2020年の春、僕は人生で初めて立ち上げた店舗、小さなコーヒースタンドを閉めました。コロナの影響などではなく、とうに限界はきていて、その最後のきっかけがコロナであった、というのが実情です。

気づいてなかったんですね。自分自身"依存する者"であったことに。

目標は確かに"お金に頼らない村"なんだけど、その過程としての自分や奧さんの暮らしや、共感して手伝ってくれる人たちを"ボランティア"的に考えてしまっていたんです。非経済のコミュニティを勝手に協働のコミュニティと勘違いしていたんですね。
ボランティアを頼ること、それ自体を僕は悪いとは思いません。
むしろ普段の仕事から解放されて、休日にボランティアが楽しくできる環境を作れたことは、僭越ながら貢献している面もあると考えてます。

ただそれを、関わる人たちの生活にも繋がる『協働』とごちゃ混ぜにしてしまったのが間違い。

ボランティアで楽しく広がるのはあくまで互いにお金が必要じゃない、非経済的な『協力のコミュニティ』

しかしながら、コミュニティの中心である自分が金銭的に困窮していたので、どうしても生き抜くために無報酬でのボランティアをお願いし続け、更にそこで生まれた場を活用して、『お金化』する必要に常に迫られていた。
みんなにはボランティア精神を呼びかけておいて、そこで生まれた収益は自分の生きる糧にする。そうしないと成り立たない資金繰りにしてしまっていた。

そこにずっと齟齬があったのだと思います。

自分が利益を取らずに済む環境づくりを

そんな反省を踏まえて、ぼくは今、地域おこし協力隊として非経済のコミュニティを育てながら協働関係も作り続けています。
まず十分な活動資金(半年の生活は見える程度)をガッツリ借り入れ(シンプルだけどここは大事でした)。その上でDongreeの事業収益は全て『協働』するための資金にあてる。具体的にはブックカフェで働いてくれるスタッフ、事業を手伝ってくれている妻、そしてDongreeの活動を広げてくれる生産者やデザイナー、あらゆるジャンルのビジネスパートナーへの報酬として、全額使い切る。貯蓄はしない。

とにかくDongreeから生まれた利益を一切自分には入れない。協働に回す。自分の生活費は自宅兼店舗であるブックカフェの事業経費で賄う(家賃・光熱費・食費)。その他雑費で足りないときは個人の働きで何とか稼ぐ(今は地域おこし協力隊やWEB制作の仕事)。依存にならない状況で、非経済的な活動も起こし、余力の時間で協力者との関係も深める。その結果、協力者から協働者が現れることもある
Dongreeは協力と協働で、常に回し続けるイメージ。

回りが気持ちよく流れていれば、そこに人やお金は自然と入ってくるもので、それを自分で止めずにどんどん流す。するともっともっと人やお金が流れてきて、いつのまにか自分はお金に頼らない生活になっていき、その上でみんなも楽しく働いている状態が生まれていく。

『協働のコミュニティ』と『協力のコミュニティ』

この両方のバランスでもって、『お金以外の資本で豊かに暮らす村づくり』の輪郭が見えてきそうだなと想像しています。
そのために、まずは自分がお金以外の資本で豊かにならねばならない。

食べること、そしてやはり家族や友人、支え合う人と繋がっていること。

みなさんの、お金以外の資本はなんでしょう。



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