最後まで読者を揺さぶり迷わせる名作ーミニ読書感想「八月の母」(早見和真さん)
早見和真さんの最新長編「八月の母」(角川書店)が面白かった。これは名作なのか。最後の最後まで不安定に迷い、揺れ続け、最終的に「間違いなく名作だ」と快哉を上げた。そのスペクタルも含め、素晴らしい小説。
著者の早見和真さんは広角打法の小説家。ベストセラー「イノセント・デイズ」がシリアスな事件ミステリーだった一方、近刊の「店長がバカすぎて」は書店を舞台にしたコミカルなお仕事喜劇と振れ幅が大きい。今回は、「イノセント」寄りの超重量級作品。物語に立ち込める空気はとても重い。
語り手は、故郷の愛媛を捨てて東京で暮らす女性。夫と息子がいて、お腹には第二子がいる。この女性が憎み、だけど忘れることのできない母との関係を振り返る回想記というのがストーリーの軸だ。
しかし本書はある種の「信用できない語り手」のスタイルが採用され、回想記に複数登場する女性のうちいったい誰が語り手本人なのか、読み進めるたびに分からなくなる。語り手の名前が伏せられ、回想記と現在のリンクがあやふやになり、読者の気持ちは大変不安定になる。
また、「いったいこの物語は何を描こうとしているのか」についてもぐらつきを感じる。
一見すると、ジェンダーの小説の色が濃い。回想記には、貧困や孤独を抱える女性が多数登場する。そして優位にある男性に愚弄され、侵略される姿が描かれる。ここだけ取り出すと、男女のジェンダー・アンバランスを描こうとしているのかと思ってしまう。
あるいはタイトルにあるような「母性」を描きたいのか。母性の温かさと恐ろしさの二面性。それも物語のキーモチーフとして何度も登場する。
しかし、ジェンダーにしても母性にしても既にそれを取り上げた名作小説は多数ある。新刊本で言えば桐野夏生さんの「燕は戻ってこない」が、貧困の末に代理母ビジネスに手を出さざるを得ない女性を描いていた。「八月の母」はこれほど重い空気で、これほど重厚なページ数で、何を描きたいのか。
これは結局、社会派ミステリーとしてありそうな凡庸な一冊なのか。疑りかけた思いは、後半にかけて急スピードで拭われていく。
それは、たとえば人間はどこまでやり直すのが聞くのかであったり、人はなぜ「このままではダメになる」と分かっている蟻地獄に留まってしまうのかであったり。嵐が周りの建物や生き物を巻き込んで巨大な竜巻を作るように、次々と重たいテーマを内包していく。
その竜巻は、本書終盤のキーワードで出てくる「螺旋階段」のようでもある。暗闇の螺旋階段。道に沿って歩いているつもりがぐるぐると回っている。少しずつ回転しながら地下に潜っていく。語り手が誰か問題やモチーフの不透明さに感じたぐらつきが、実は作者が物語上に置いた「仕掛け」のような気がしてくる。
ここまでくると名作だとしか言いようがない。
そしてラストには、「この物語はこのシーンを描きたかったんだな」と納得する光景が待ち受け、冒頭に仕掛けられた伏線が見事に手繰り寄せられる。
だから本書について、名作なのか判断に迷う点を含めて名作なんだと思う。本書を開いてみて少しつまづいたとしたら、最後に面白かったと思える準備ができていると思って安心してほしい。