続・社会人になってから毎月寄付を続ける理由(「反貧困」を読んで)
大学を卒業して社会人になってからアラサーになる今まで複数のNPOの月額寄付会員を続けている、と2018年7月に書いた。21年になってもいまだに、寄付を続けている。その理由について、前回はキャス・サンスティーンさん「シンプルな政府」を手掛かりに「社会という『インフラ整備』に投資するため」と書いた。今回、湯浅誠さんの「反貧困」(岩波新書)を読んで再び「寄付する意味」を考えたくなったので、書いてみる。
自分自身からの排除
「反貧困」は2008年の初版。まず驚くのは、10年以上経過しているのに本書が指摘する日本社会の課題はまったく解決されていないし、むしろ悪化の一途をたどっていると思えることだ。だからこそ、本書のメッセージは古びていないと言えるし、学ぶことは多い。
NPOメンバーとして、貧困状態に陥った方の支援、生活保護受給申請のサポートなどに携わっていた湯浅さん。日本の貧困の特徴を「五重の排除」と看破することが湯浅さんの主張の根幹であり、本書の最大の読みどころとなる。
第1に教育課程、第2に企業福祉、第3に家族福祉、第4に公共福祉。ここまでは想像できる。「五重の排除」の特徴は最後に、「自分自身からの排除」を挙げている点にある。あらゆるセーフティネットから排除された人は、ついに自分で自分を排除し、生きる意味そのものを否定してしまう。
そして第五に、自分自身からの排除。何のために生き抜くのか、それに何の意味があるのか、何のために働くのか、そこにどんな意味があるのか。そうした「あたりまえ」のことが見えなくなってしまう状態を指す。第一から第四の排除を受け、しかもそれが自己責任論によって「あなたのせい」と片づけられ、さらには本人自身がそれを内面化して「自分のせい」と捉えてしまう場合、人は自分の尊厳を守れずに、自分を大切に思えない状態まで追い込まれる。(p61)
社会に、家族に、誰かに否定された人は、ついには自分で自分を否定してしまう。改めて突きつけられると、恐ろしい話だ。
そして思うのは、自分で自分を排除する状態になったとき、果たしてそこから抜け出すことは「自分だけ」で可能だろうか、ということ。きっと難しいだろう。堂々巡りの議論だが、それができないから自分を排除しているとも言える。
だとすれば、自分を排除する人を助けられるのはきっと、NPOや市民活動だと思う。それはセーフティネットとと言うには広くもなく、太くもないかもしれない。けれど蜘蛛の糸のように、絶望に落ち込んだ人には救いの手、一筋の光になるような気がしてならない。
私たちは自分で自分を排除することがあり得る。だからこそ、そんな人を一人でも助けられるような蜘蛛の糸を少しでも多く垂らす社会にする。寄付をする理由というのは、こういう風に説明できるなと感じた。
排除は排除の連鎖を生む
もう少し、視野を広げることも可能だ。自分自身の排除は「そういう人がいる」というだけの問題だろうか。違う。自分自身を排除する人が存在し、その人を放置する社会は、次なる排除を生み出す。排除は排除の連鎖を生む。
湯浅さんは排除から距離を置く余裕を「溜め」と表現し、次のように語る。
少なからぬ人たちの”溜め”を奪い続ける社会は、自身の”溜め”をも失った社会である。アルバイトや派遣社員を「気楽でいいよな」と蔑視する正社員は、厳しく成果を問われ、長時間労働を強いられている。正社員を「既得権益の上にあぐらをかいている」と非難する非正規社員は、低賃金・不安定労働を強いられている。(中略)これらはすべて、組織や社会自体に”溜め”が失われていることの帰結であり、組織の貧困、社会の貧困の表れに他ならない。(p207)
個人の貧困を見過ごす社会は、社会そのものが貧困である、ということだ。
自分自身が排除されている人を「自己責任だ」という時、その自己責任論は今度は自分に降りかかってくる。あるいは、排除状態の人を支援しないことは、いつか自分が「支援されない」ことと地続きである。そんな社会で普通に暮らせる人は、普通でないくらい裕福な、恵まれた少数の人になってしまう。
NPOなどで活動する人は、こうした連鎖を止めようとしている人だとも言えるかもしれない。排除を見過ごせなかった人、なんとかしようとする人。そういった人たちがいてくれるからこそ、この社会は壊滅の手前でとどまっている。
寄付をするということは、連鎖を止める人々の末席に身を置くこととも言える。もちろん止まるかどうかはわからないし、ましてや自分に影響があるかはわからない。しかし少なくとも、止まらなかった連鎖の波はいつか、私たちや私たちの大切な誰か、次の世代の私たちを、飲み込んでしまうだろう。
だから今月も寄付をするし、来月も寄付をしよう。気持ちを新たにした。
前回の「寄付を続ける理由」はこちらです。
「反貧困」は「生きのびるための岩波新書フェア」で手に取りました。同じくフェアで取り上げられた「子どもと本」も素敵だったので、感想を書きました。